――2人ともDef Leppardのオリジナル・メンバーではないですよね。最初に参加したときはどんな感じでした? 自分がバンドの方向性を変えたと思いますか? PHIL:えーと、俺が加入したのは20年前。曲は全部出来上がっていた。もともと連中のことは知ってたんだ。前にもJoeに、Ozzyのツアーに来てくれないかと頼まれたことがあってね。オリジナル・ギタリストのPete Willisが、ちょっと酒で問題あるからって。当時俺はGirlってバンドにいたけど、Joeが「3日間で16曲おぼえられるかい?」って訊くから、「もちろん!」と答えたよ。でも、そのときはそれだけ。Joeが電話してきて、「もう大丈夫、何もかもうまくいくようになった。Peteは完全にシラフに戻ったし、最高だ」って。 それから2年くらいたって、また電話がかかってきた。「もう一度考えてくれるかな? Peteがまた変になってさ。もうやつには出ていってもらうことにした。それでソロが弾ける人間を探しているんだ。どうしてもギタープレーヤーが2人必要なんだよ」。というわけで、とりあえず出向いていって、「Stagefright」のソロを最初に弾いた。続けて「Photograph」「Foolin'」「Rock Of Ages」。あとは歌をちょっとやって、それでそのアルバム制作は完了。誰も気づいてはいなかったけど、結局ツアーのリハーサルをやってたってわけさ(笑)! つまり、俺はまだ正式なメンバーではなかったけど、サポートは始めていたことになる。最初のギグはロンドンのMarquee Clubだった。それから渡米してBilly Squierの前座をやった。そのツアー中に何もかもが一気に巻き起こったんだ。まるで核爆発みたいにね。あっという間の出来事だった。Marquee Clubでプレイしてたのが、次の瞬間、スタジアムだよ。そりゃいい気分だった。バンドを変えたという意味では、俺がヴォーカルもできたというのは変化の1つになったかな。それ以前も連中はコーラスをやりたがっていたけど、あまり上手くなかったんだ。Steveはよく歌うフリをしてたんだよ! Pete Willisもきちんとは歌えなかったね。それからヴォーカル・アレンジで有名な(長年スーパースター・プロデューサーであり共作者である)Mutt Langeと共同制作することになった。それでいろんなことが変わったね。それに自分が加わって、よりアグレッシブになった。それまでのプレイは少し軽すぎると思ってたんだ。クールだけどね。でも少し軽かった。 ――Vivian、あなたはどうでした? VIVIAN:自分は“ほんの”10年前にメンバーに加わったんだけどね。 ――つまり“Ron Wood”みたいな気がするということ? 自分はもう何年もバンドにいるのに、未だに新メンバーみたいな? VIVIAN:その通りだよ。未だに自分は“新メンバー”だからね。バンドに入ったのは『Adrenalize』のレコーディングの後で、2回目のギグはWembley StadiumのFreddie Marcuryエイズ啓蒙コンサートだった。でも、その3、4日前にダブリンのクラブでショウをやって、最初からすごくいい感じだったんだ。その過程が心地好かった。Joeはダブリンに住んでいたから、もともと知り合いだったし、共通の友人も多いよ。 ――Steve Clarkの後釜ということで不快な思いをしたことはなかったんですね? VIVIAN:うん、全く感じなかった。Steveが死んで1年がたって、彼らはようやくアルバムを完成させ、全員がとにかく後釜を探そうという気になっていたんだ。自分のほうも問題はなかった。自分はうってつけだと思っていたよ。ずっとバンドのファンだったからね。その昔、「Rocks Off」や「Wasted」がシングルでリリースされたときに買ってたくらいだから、このバンドはすごく近い存在だった。まさに自分にぴったりだと思ったよ。それにSteveと違って自分は歌うのが好きだからね! 自分にもっとヴォーカルをやらせてくれるバンドを望んでたんだ。Dioにいたときは、バックコーラスを歌いたくても歌わせてもらえなかった! 「ギタープレイヤーはギターを弾き、シンガーは歌をうたう。Ritchie Blackmoreがバックコーラスを歌ったことあるか? Tony Iommiが歌ったか? つまらないことは考えずにギターを弾いてくれ」って彼に言われてね。でも、歌は自分にとってそれ以上のものなんだ。どっちかというと、いわゆるロックものよりも、ヴォーカルやポップ・ミュージックのほうに興味があるくらいさ。 '90年代の自分達は全然“クール”じゃなかったのさ | ――Matt LangeはどのぐらいDef Leppardの音楽に貢献しているんですか? 彼を6人目のメンバーと呼んでいる人も多いようですが…… PHIL:彼は最高だよ。彼の存在はとても大きい。(ぶ厚いヴォーカルは)すべて彼のアイデアだった。『Hysteria』によって新しいレベルに到達したんだ。「Rocket」も「Pour Some Sugar On Me」も……すべてがそのための蓄積だった。そこで初めて俺達は本当のスターになったんだ。だってR&Bバンドから*NSYNC、Backstreet Boysといったポップグループまで、みんなが俺達をコピーし始めたからね。バックヴォーカルの多重録音ってやつさ。Queenも同じことをしてたけど、やり方が違った。Muttはまさにそれを最大限に駆使して、全く新しいスタイルを作り上げたんだ。 ――あなた達とMuttはスタジオにかける時間が長いことでも有名になりましたよね。 PHIL:うん、『Pyromania』は11ヵ月。『Hysteria』はいろいろ問題があって長い時間を費やした。Rickが事故にあったりして、いったい全体、自分達が何をやってるかさえ分からなくなったんだ。でも、今は技術が進んでるから助かるよ。プロの機材は俺達にとってまさに“ああ、神様ありがとう”みたいなものさ。今はだいたい1枚のアルバム制作に1年だから、他のみんなと変わらないと思うよ。 ――'96年の『Slang』はそれまでと全く違いますよね。もっとずっと荒削りで、剥き出しのままというか、いつものあなた方のレベルからするとローファイとも言えそうですが…… PHIL:ああ、あれを出せてよかったよ。自分では傑作だと思ってる。とても創意に富んだアルバムだ。スタイル自体がそれまでとは違ったのさ。ただ曲を書いて録音する、それで終わり。その次のアルバム(『Euphoria』)では、みんなが昔ながらのDef Leppardを聴きたがっているだろうと考えたんだ。(『Euphoria』を)今聴き返すと、悪くはないけど、多少ミスったところもあると思う。それで今回のアルバムは、みんなが何と呼ぶかは知らないけど、いわば自分達のキャリアの集大成だと思っているんだ。ちょうど程よい完成度とでもいうのかな。 ――『Slang』はあまり評判がよくなかったように記憶していますが…… PHIL:うーん、当時は曲調が暗くて哀れな感じだったからね。なんとか“クール”にしようと試みたんだけど。当時のアーティストはみんな何とかして、クールで苦悩するイメージを作ろうとしていた。けど、それができる本物のバンドはほんの2、3しかいなかったんだ。たとえばNirvanaはすばらしかった。限りなくリアルだった。つまり、'90年代の自分達は全然“クール”じゃなかったのさ。そのときの自分達は反キリストみたいなもんだった。みんな俺達を見ては「これこそまさに自分達が反対しているものだ!」と言ってたよ。それで俺達は『Slang』を傑作だと思ったけど、みんなは「違うよ、僕らはDef Leppardを聴きたいんだ」と言うわけ。「前回、まさにDef Leppardっていうアルバム('92年の『Adrenalize』)を作ったときは嫌ってたくせに!」って感じだったね。 ――『Slang』を作ったことを後悔していると? PHIL:そうじゃない! あれはよく出来てるよ。もし、あの作品を作っていなかったら、今この地点に到達していないからね。それに、中には素晴らしい曲もある。真摯な、というか、ベーシックで非常に大胆な曲作りがなされているんだ。“Def Leppard的なこと”をしなかったところが大胆だったね。 本当のJoeはいつだって浮かれてるようなやつなんだから | ――自分達は'80年代のヘアーメタル・バンドと一緒に扱われすぎてきたとは思いませんか? PHIL:ああ、すべてのバンドとひとまとめにされてきたけど、実際は全く自分達とは関係なかった。俺達にとって常に重要なのは本質――つまり音楽であって、イメージがどうこうというのではないんだ。 ――でも、初期の成功はイメージなくしてはなかったわけですから、それは認めないと。あなた方はMTVを通して最初にブレイクしたハードロックバンドの1つですよね。MTVがあんなに影響力があると思っていましたか? PHIL:ああ、俺達は喜んでそのチャンスを受け入れたよ。どれほどの影響力があるかはわからなかったけど、自分達はクールに映ると思ってた。実際はクールには見えなかったけど、そう見えると思ったんだ。だから自分達の姿を出そうと考えた。「俺達ってクールだろ、他のやつらよりもクールだろ、俺達は違うんだ、ほら見てよ! 俺達のほうが若いし、全然イケてるだろ」ってね。本当にそう思ってたのさ! 全部がウソじゃなかったしね。俺達みたいなバンドは少なかったし。大抵は「音楽がすべてだ。ヴィジュアルは関係ない」って感じ。でも、明らかに時代は変わっていた。みんなはヴィジュアル的にも刺激を求めていたんだよ。 ――まるで一回りしてもとの場所に戻ったような感じですね。最初はMTVでブレイクし、リバイバルはVH1で経験したわけですから。最近のDef LeppardはVH1のハウスバンド化していると言ってもいいくらいです。VH1の伝記番組『Hysteria:The Def Leppard Story』についてはどう思いました? PHIL:面白いことにさ、VH1はいろんなことを調べ上げてはいるんだけど、人物のアイデンティティとか個性とかが全く抜け落ちてるんだ。俺達全員にインタヴューしたんだから、我々のキャラクターも多少は押さえてるはずだけど、全体像がつかめてない。『Pet Semetary』って映画を知ってるだろ? 動物を生き返らせても、その動物には魂がないっていう……まるでそんな感じさ。俺達は確かにそこにいるけど、魂が感じられないんだ! ――あの番組ではヴォーカルのJoe Elliottをバンドの独裁者のように描いていましたが、実際はそんなことないでしょう? PHIL:全然! 彼のあのキャラクターは酷すぎるよ。すごく陰気で気難しくてさ。本当の彼は全然あんなんじゃない。いつだって浮かれてるようなやつなんだから。 いい音なら、それでいいんだ。Linkin Parkはすごいと思う | ――'90年代には反動に見舞われましたが……『Hysteria』ほど驚異的なヒットアルバムを出した後というのは、Alanis MoressetteやHootie&Blowfishのシンドロームと同じだと思いませんか? つまり、『Hysteria』が1700万枚も売れたおかげで、次のアルバムはたとえ700万枚売れたとしても、「失敗」と見なされてしまうわけです。 PHIL:なぜ次のアルバムがあまり上手くいかないか、分かるよね? 自分以外の人間がみんなそのサウンドをパクるからさ。アルバムが大ヒットすると、みんながそれをコピーする。まるで自分の次作を他のアーティストが先に作ってしまうようなもんなんだ。だから、AlanisがNatalie Imbrugliaやそういうパクリ連中の後に新譜を出すと、「ああ、もうウンザリだよ、お前なんか! こんなのもう聴きたくねぇ!」って言われてしまう。Alanisは何も間違っていないし、ただ自分の音楽をやってるだけなんだけどね。考えすぎかもしれないけど、他のアーティストが自分達のサウンドを消費しきってしまうこともある、ということは意識しておかないと。それが『Hysteria』のときにわかったことだよ。 ――サウンドのパクリということで言うと、最近流行りのニューメタルについてはどう見ていますか? PHIL:いい音なら、それでいいんだ。Linkin Parkはすごいと思う。 VIVIAN:Linkin Parkは(『X』のレコーディング中に)スタジオでずいぶん参考にしたよ。歌えるやつがいて、曲を書けるやつがいて、すごくクールな音作りがされてる。そういうのだったら聴けるってことさ。おっと、俺、年寄りくさいこと言ってる! PHIL:いや、その通りだよ。そういうバンドは数少ない。過大評価されてるのかもしれないけど……“俺達”は'80年代からずっとリードギター・プレイヤーズとしてやってきた。未だに現役で、自分達のスタイルを持っていて、そのサウンドは悪くもないし時代遅れでもない、と思ってる。これは俺達にとって幸運なことだよね。だって自分と同じ時代に出てきたプレーヤーのほとんどは、プレイを聴いてすごくいいと思っても、どうしようもなく時代遅れなんだから! 中にはギタープレイとは呼べないようなのもたくさんあったし、楽曲も酷ければ歌も聴くに堪えなかった! VIVIAN:そう、確かにYngwie Malmsteenは驚異的だけど、俺にはとても聴いてられない! 昔も聴けなかったけどさ! でも、昔はああいう風になりたいと思っていたんだ。「どうしたら同じように弾けるだろう」と思って練習に励んだのを憶えてるよ。でも、それからしばらくたってわかった。「ああ、できないわけだ。だって本当はやりたいと思ってないんだもの。心から好きなわけじゃないんだ」って。今になって、子供の頃に避けていたギタリストの作品を聴くようになったよ。当時はあまり“テクニカル”だと思わなかったんだ。Dave GilmourやEric Claptonみたいなプレイヤー達のことさ。彼らがすごいのにはそれなりの理由があるのに! ほんのちょっと弾いただけで彼らだってわかるだろ。それが質の高さの表れなんだ。ところが、'80年代にはラジオから流れてくる曲のギターソロを聴いても、「ふーん、どれも同じだな」って感じだった。 PHIL:彼らはただ目立っていただけで、曲はどうでもよかったんだ。でも俺達は、ただみんなを感心させようと思ってやったわけじゃない。自分達自身がファンになれるくらいじゃないと。自分達で聴いてクールだと思えなければダメってことさ。 ――『Euphoria』は随分あちこちに喰い込んで、ゴールドアルバムにもなり、あなた方の曲が再びラジオで流れるようになりましたね。現在の音楽界の状況は、『X』で再び返り咲くための機が熟していると思いますか? 近頃のチャートの中味は種種雑多ですよね。KylieからStrokes、David Gray、OutKastまで何でもありで。 VIVIAN:確かに音楽はすごく多様化してるけど、残念なことにみんなの耳に届く手立てはむしろ少なくなっている。みんなに知ってもらうのはものすごく大変なことなんだ。作品の良し悪しは関係ないし、マスメディアに載らなければ認知されない。今でも僕に向かって、「へぇ、まだ解散してないんだ」って言う人はいるよ。Def Leppardがずっと活動を続けてることを知らないんだ。僕達の音楽を聴く機会がないからさ。 ――あなた方はありとあらゆる局面を乗り越え、様々なトレンドの盛衰を目の当たりにしてきたわけですよね。自分達がいったい何年このバンドをやってきたのか、わけが分からなくなるんじゃないですか? もう20年以上になりますから…… PHIL:まったくだね。いくつか節目みたいなものはあって、例えばBoy Georgeと会ったのが'83年だったってことは憶えてる。で、俺達はというと未だ健在なわけだ! あのちょっとした出来事が19年も前のことだと思うと、頭がおかしくなりそうだけどね。 By Lyndsey Parker (C)LAUNCH.com |