【インタビュー】蜷川べに、「“和楽器の新ジャンル”を作っていくのが私の夢」

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津軽三味線奏者・蜷川べにが、4月3日に初のシングル「春ね。」をリリースした。

和楽器バンドが2024年末で活動を無期限休止。メンバーはまた再会するときのために、各々の道を歩むことを決めた。その中で蜷川べには4歳から始めた民謡と、小学生の頃から始めた津軽三味線を軸に、2025年1月1日からソロ活動を本格始動。シングル「春ね。」をリリースし、5大都市ツアーを行う。

どうやら、これまでの和楽器バンド・蜷川べにとは一味違うようだ。これから彼女はどんな風に歩んでいくのか──。それを知るため、今回インタビューを実施し、いま彼女が思っていることをじっくり語ってもらった。

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◾︎私の生き方全てを含めて“蜷川べにです”っていう姿を見てもらいたい

──和楽器バンド活動休止後、べにさんはしっかりソロ活動を打ち出しています。それを見ていて、楽しそうにしているなと安心していました。

べに:そうですね(笑)。好き放題やらさしてもろてます〜っていう感じなんですけど。でもね、和楽器バンドあってこそのソロ活動という自覚はあります。

──実際、和楽器バンド休止後は、どんな心境でしたか。

べに:もちろん10年間頑張ってきたことですし寂しい思いはありますが、12月31日をもって和楽器バンドが活動休止するということは1年前から発表していて。それまでにもバンド内ではずっと話し合ってきたことだから、“1月1日からはソロ活動に切り替えるぞ”という心の整理はついていました。なので区切りをつけるためにも1月1日からファンクラブも発足しましたし、動き始めましたね。ただ、ファンの方みんながそのテンポ感に着いて来れるわけでは無いと思っていて。まだ気持ちの整理がついていない方もたくさんいることはわかっていました。

──いわゆる箱推しの方も多かったですしね。

べに:そうそう。でもそういう“どうしたらいいの”と迷ってしまっているファンの方々にとっては、各々のソロ活動というのはひとつ気分が晴れるようなものなんじゃないかなと思って。私のソロ活動に関してもバンド活休の1年前から打ち出してきましたし、他のみんなもいろんな活動をしていますから、そんな感じで今度は各々の良さを見る方向にシフトしていってもらえたら嬉しいですね。ただ、「ソロでも頑張ります!」って言葉で言うだけでは伝わらなくて、やっぱり行動にしていかなきゃいけない。活休したことで離れてしまった方もたくさんいらっしゃると思うんですよ。でも心の整理がついたとき、例えばそれが1年後でも2年後でも、ふとしたときに「こんなことしてたんだ」って知ってくれたら嬉しいですよね。だから私はライブをしたり露出を増やしたり、とにかく行動し続けて、足を止めないことが大事なのかなと思っています。

──和楽器バンドでのご自身と、ソロ活動のご自身は違いますか?

べに:和楽器バンドでは、自分の役割を全うしなければいけないと思っていたんですよね。ファンの方にも「べにさんって喋らないイメージだった」って言われることがあって。別にしっかりキャラを作ろうって決めてたわけでもないんですけど、このバンドの中での自分の役割は、“あまり話さずに格好よく仕事をやって魅せる”ことだと無意識に決めていたような気がしますね。8人いると全員が全員、前に出るとまとまらなくなっちゃうし、自分はあまり前に出ない方がバンドとして8人全体の整合性が取れると思いました。ブランディングとしても、凛として三味線弾いている姿がいいってことも言われてましたし。でも実は普通に関西弁でわーって喋るし、突っ込むし、ボケるし、元々やっぱ関西の血なんで(笑)。だからソロ活動を始めてからの自分は、これまでとは違って見えるかもしれません。

──和楽器バンドのときは、いまみたいに歌ってみたいとか、もっと前に出たいとか、そういう気持ちはなかったんですか?

べに:なかったですね。やればいいのにとか、そういう意見をもらうこともありましたけど、このバンドで私が歌う必要はないなと思っていましたね。自分の手札を出すことよりも、バランサー的なところを重視していたかな。

──そんなべにさんが、いまは自分ひとりでガンガン活動していることが、ずっと取材をしてきた身としてもなんだか不思議だったりはするんです(笑)。

べに:活休前最後のインタビューでもお話しさせてもらった通り、和楽器バンドでの10年は自分にとっての下積みだと認識していて。その上で“じゃあ今度は自分の個性や本来持っていたものを打ち出していこう”というのがソロ活動ですね。音楽だけじゃなくてトークでもなんでも、自然にやるだけでオリジナリティっていうものは出てくると思うので、イチ“アーティストです”というだけではなくて、私の生き方全てを含めて“蜷川べにです”っていう姿を見てもらいたいんです。

──なるほど。定期的にインスタライブをしてらっしゃいますし、昔よりも生身のべにさんに近づけるようになりましたよね。

べに:あれもね、“土曜の21時になったら必ずやる”と決めたんですよ。気が向いた時にやろうくらいのスタンスだと継続できないし、続けることが最終的には力になっていくのかなとも思っていて。インスタライブだけに限らず全ての活動においてそうなんですけど、例えばライブにしても“集客が思うようにいかなかったから次はやめよう”って思うんじゃなくて、ダメだったらダメなりに1人1人のお客さんの意見を取り入れて、次またトライするということをしているんです。とにかく辞めない、続けるっていうことは自分の中のポリシーです。

──すごいかっこいい。和楽器バンドの取材でお会いしていたときのべにさんからは出なかった発言だなと。

べに:あはは(笑)。不思議ですよね。3年前に町屋さんとユニット・Shirafuをやっていたとき、全国の小さいライブハウスやジャズバーみたいなところを回ったんです。ちっちゃいとこなら30人とかの規模。和楽器バンドは規模が大きくなっていたから、それと比べたらもうゼロ距離ですよ。その時に、初めてお客さん1人1人の顔をちゃんと見て演奏することができたんです。で、お客さんは手間と時間をかけてチケットを取って、発券して、交通費をかけてその日のライブにきてくれたってことを実感できて。もちろんそれまでも仕事として一生懸命やってきたつもりだったんですけど、正直言うとそういうことをあまり考えていなかったなって。しかもファンの方はそこまでして私たちに会いに来てくれて、この距離感で見てくれて、それで「すごく助けられてます」「人生がすごく楽しくなりました」って言ってくれたり……。だから、私もこういう人たち1人1人に、ちゃんと向き合っていこう、その手段が音楽なんだと気づいたんです。

──いい話です。それに加え、シンプルに“今を楽しめている”感じもします。

べに:自分でも気づいてなかった自分、みたいなのは見つけられましたね。最近自分が楽しいなと思うのは、0を1にしていく企画であったりとか、みんなを喜ばせる企画を考えてるときなんです。和楽器バンドのときは“こんなことがしたいな”と思っても、規模が大きくて関わる人もとても多いから、1つの物事を進めるまでにものすごい時間がかかるんですよね。8人全員の意見が一致することも難しいですし。それはあの規模のバンドだから仕方のないことですけどね。それに対していまのソロ活動っていうのは、全部自分で決めることができる。こういう企画にはこの特典をつけよう、ライブをもっと面白くするためにこんなことをしよう、グッズのデザインはこうしようとか、そんな作業が、自分が思っていたよりも好きだったみたいです。性格的にもソロは向いているのかも。


──では、今回の初シングル「春ね。」も完全べにさん発信だったわけですか?

べに:そうですね、“こういうものにしたい”というオーダーは私から。今回は町屋さんに作詞作曲をお願いしたんですけど、町屋さんは職人気質だから、細かくオーダーすればそれ通りのものを作ってきちゃうんですよ。だからあえてざっくりとしたオーダーにして、どんな曲になるか私自身も楽しみに待っていました。

──べにさんは、どんな曲にしたいと思っていたんですか?

べに:もともと私のルーツは民謡なので、それを入れつつ歌謡調にして欲しい、そこに町屋さんが好きで聴いているHIP HOPの要素も入れて欲しい、という結構無理難題なオーダーをしました(笑)。紅桜さんっていうラッパーがいるんですけど、その方が曲調はループで歌謡が混じったみたいな歌い方をしてて、それがすごくいいんですよ。で、民謡調の節回しに三味線のループ、HIP HOPを加えたらどうなるか見てみたいなって思って。その結果「春ね。」が上がってきたときは“めっちゃいいです!これです!”って一発オッケーでした。

──かっこいい曲ですよね。

べに:やっぱりバンドで10年一緒に戦友としてやってきてるので、私の得意不得意っていうものをちゃんと理解してくれていますね。Shirafuで全国を回ったときに、町屋さんがギターで曲のコードをとりつつ、私が民謡を三味線で弾き語りする“新解釈民謡”っていうものをに挑戦したんですよ。その経験も活きています。町屋さんはやっぱり和楽器バンドの音楽の要だったので和楽器にも精通してるし、音周りを任せるときにすごく信頼できる人ですけど、今回も期待通りの素晴らしい曲をあげてきてくれて、とても歌いやすいです。

──素人が聴くと、「歌いやすい曲だ」とは思えないのですが(笑)。やっぱりこれは4歳から民謡を歌ってきたべにさんならではですよね。

べに:民謡や浪曲って、地声で喉をぎゅっと閉めて捻って節を回すっていうのが多いんですけど、それをすると喉への負担が大きくて。一回の民謡の大会で歌い切るくらいなら大丈夫なんですけど、一時間半〜二時間とかのライブになってくるととても無理。民謡をやっていた中学生ぐらいのときに喉を酷使しすぎちゃって、大会に出られくなっちゃった時期があったんですけど、そのときに地声で高音まで持っていくのではなく、ミックスボイスっていうのでファルセットだったり裏声と地声の真ん中みたいなところでなるべく喉に負担をかけずに体を使って歌う方法を身につけたんです。

──前作アルバム『三味線で弾いてみた』とは違いますか?

べに:そうですね、あのときとは歌い方が違いますね。『三味線で弾いてみた』は、“どんなジャンルの音楽でも三味線にマッチさせようと思ったらできるんだよ”ということと、国内外の人たちとも今後コラボしていきたいから“どんなジャンルでもアプローチできるよ”っていうところを打ち出したアルバムだったので民謡とポップスをミックスした歌い方はしていません。でも今回は初めてのオリジナルシングルですから、やっぱり自分の得意分野である民謡も取り入れていこうと思ったんです。

──歌詞はどのように?

べに:歌詞に関しては100%町屋さんにお任せで、私は一切オーダーしてなくて。完全にお任せにしたのは、あえて彼の歌詞が聴きたかったんです。今回レコーディングメイキングが収録されたバージョンも発売されていて、その中では町屋さん自身の言葉で曲や歌詞について話してくれています。だからその意図っていうのはそこで聞いてもらえればなんですけど、私なりの解釈としては、多分前半では和楽器バンドの10年のことを書いていると思っています。先ほど「歌いたいと思わなかったか」と聞いてくださいましたが、歌わなかった理由とか、自分の中で一歩踏み出せなかった理由とか──そういうことを。ほんと、よくみてますよね(笑)。

──そうですねぇ。

べに:そういうところから、《春ね。》にかけて、自分自身の春というか、“ここからはもう止められないよね、思いっきりやっちゃおうぜ!”っていうような、メンバーであり戦友としてエールを送ってくれた楽曲だなと勝手に受け取っています。

──私もそうなんだろうなと感じました。曲の構成も面白いから、歌詞も耳に入ってきやすいですし。

べに:急にHIP HOPの要素が入ってきたりしますもんね。町屋さん的には、やっぱりキャッチーなサビを作らないと心を掴めないというところでこういう構成になっていたり。あと、よく聞かれるのが《三十五振り》ってなんですかってこと。35歳なんですか?って言われたりするんですけど、これは上杉謙信のお話らしいです。上杉謙信は刀好きで名刀をたくさん集めていたんですけど、「上杉家卸手選三十五腰(うえすぎけおてえらびさんじゅうごよう)」というのがあって、その三十五振りがあれば無敵だよね、っていう意味合いがあるらしいです。なので、35歳ではないです(笑)。

──なるほどそういう意味だったんですね。

べに:歌詞を考察する楽しさもありますよね。MV撮影のときも監督さんと「《ワン。》って何ですか?」「犬だそうです」「じゃあ犬っぽいポーズでいきますか」っていう突拍子もないやりとりがあったり(笑)。歌詞は割と町屋ワールドが広がっています。

──でも和楽器バンドの町屋さん作詞曲とは違うんですよ。あくまでべにさんのために書いた歌詞だなと思います。

べに:確かにレコーディングメイキングでもそういうようなことを話してくれていましたね。やっぱり初のオリジナル歌唱曲ですから、私らしさを考えてくれたんだと思います。

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