ニュース・最新情報
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オジー・オズボーン、15年間一緒だった愛犬を喪う
Photo: Ross Halfinオジー・オズボーンが、15年間一緒に過ごした愛犬ロッキーが今週亡くなったことを伝えた。
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ボブ・デイズリー「オジー・オズボーンとランディ・ローズの作詞、酷かった(笑)」
オジー・オズボーンが70年代終わり、ソロに転向後、結成したバンドの初代ベーシスト、ボブ・デイズリーは、オジーとランディ・ローズ(G)が書く詞があまりにも酷く、作詞を担当するようになったという。
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オジー・オズボーン、ブリトニー・スピアーズへ謝罪
オジー・オズボーンが、ブリトニー・スピアーズへ謝罪した。
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オジー・オズボーンとギーザー・バトラー、アストン・ヴィラFCのCMで共演
ブラック・サバスのオジー・オズボーンとギーザー・バトラーが、彼らの故郷、英国バーミンガムをホームとするサッカー・チーム、アストン・ヴィラFCのCMに出演した。
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ブリトニー・スピアーズ、オジー・オズボーン一家に「最も退屈な家族、黙ってて!!!」
頻繁にダンス動画をSNSに投稿していることについて、オジー・オズボーン一家から「可哀そうで見ていられない」などと気の毒がられたブリトニー・スピアーズが、オズボーン家を「最も退屈な家族」と表し、「黙ってて」と言い返した。
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オジー・オズボーン、ドリーム・バンドのラインナップ最新版「ジョンとポールと俺と…」
オジー・オズボーンが、再び、彼にとってのドリーム・バンドのラインナップを挙げた。
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オジー・オズボーンの妻、オジーとレミーをスーパーヒーローにしたアニメの制作を計画
オジー・オズボーンの妻でマネージャーのシャロンは、オジーとモーターヘッドのレミーをスーパーヒーローにしたアニメを制作したいと考えているそうだ。
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オジー・オズボーン、体調優れず、来月開催されるイベントへの出演をキャンセル
オジー・オズボーンは、来月12~14日に米アリゾナ州で開催されるホラー映画関連イベント<Mad Monster Party>に家族と共に出演予定だったが、現時点、旅行するのは困難な状態にあると、出演をキャンセルした。
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オジー・オズボーン・ファミリー、火をつけられた保護犬を家に迎える
愛犬家で知られるオジー・オズボーン一家は、最近、保護犬を新たに家に迎え入れたそうだ。
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マイケル・アンソニー「ビル・ワードはオジーから髭に火をつけられても動じていなかった」
Vertigo Records, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由でマイケル・アンソニーは、ヴァン・ヘイレン時代、ブラック・サバスのツアーに同行し、オジー・オズボーンがバンド・メイトのビル・ワード(Dr)の髭に火をつけるのを目にしたそうだ。
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トニー・アイオミ、オジー・オズボーンからの「ビル・ワードともう1回プレイしたい」発言に「いいアイディアだ」
ブラック・サバスをビル・ワード抜きで終わらせたのを後悔しているオジー・オズボーンが最近、「もし、彼らがビルともう一度公演をやりたいってことになったら、俺はそのチャンスに飛びつくね」と話したことに、トニー・アイオミが応答した。
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若きオジー・オズボーン、真夜中に墓場で踊り、子供を震え上がらせる
Photo by Sam Taylor-Johnson子供のとき、英国ウェールズにある名スタジオ、ロックフィールド・スタジオの敷地内に暮らしていたティファニー・マレーさんが、スタジオでの生活やそこで遭遇したミュージシャンたちの思い出を綴った本『My Family and Other Rock Stars』を出版した。
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オジー・オズボーン、ビル・ワード参加のブラック・サバス公演のチャンスがあれば「俺は飛びつく」
Vertigo Records, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由でオジー・オズボーンは、ブラック・サバスがビル・ワード抜きで最後を迎えたのが心残りだという。
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オジー・オズボーン「これまでプレイしてきた中で最高のギタリストは…」
オジー・オズボーンが、彼にとって史上最高のギタリストの名を挙げた。
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メタリカのロバート・トゥルヒーヨ「オジーなくしていまの自分はない」
anna Hanks, CC BY 2.0 , ウィキメディア・コモンズ経由でメタリカ加入前、オジー・オズボーンのバンドでプレイしていたロバート・トゥルヒーヨは、オジーに恩義を感じており、オジーが彼を必要とするならば、いつでも駆けつけるという。
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オジー・オズボーン、ビリー・モリソンの新曲に参加
Billy Morrison, CC BY-SA 4.0 , ウィキメディア・コモンズ経由でオジー・オズボーンが、ビリー・アイドルのギタリストとして知られるビリー・モリソンの新曲「Crack Cocaine」の制作に参加した。
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オジー・オズボーンの妻「オジーはいつだって女性に対し不適切」
オジー・オズボーンの妻でマネージャーのシャロンによると、世の中がどれほど変わろうが、オジーはいまだ女性に対し不適切な発言を繰り返しているそうだ。
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オジー・オズボーン「『シンドラーのリスト』はみんな観るべき」
Photo: Ross Halfinオジー・オズボーンは、第二次世界大戦時に多くのポーランド系ユダヤ人を救ったオスカー・シンドラーを描いたスティーヴン・スピルバーグ監督の映画『シンドラーのリスト』(1993年)を観て、衝撃を受けたそうだ。
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ロックの殿堂2024、ファン投票初週の1位はオジー・オズボーン
2月10日に2024年度のロックの殿堂の候補15アクトが発表され、その直後開始されたファン投票で、初週、オジー・オズボーンが1位に輝いた。
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オジー・オズボーン、故郷バーミンガムで最後の2公演開催を計画
Photo: Ross Halfinオジー・オズボーンの妻でマネージャーのシャロンによると、オジーは故郷、英国バーミンガムで最後の公演を開き、ファンに別れを告げたいと考えているそうだ。
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シャロン・オズボーン「爆弾が落ちても、ゴキブリとキース・リチャーズとオジーは生き残る」
オジー・オズボーンの妻でマネージャーのシャロンが、オジーの健康状態について報告する中で、オジーはゴキブリなみの生命力を持つと語った。
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オジー・オズボーン、T-ペインの「War Pigs」カバーを「過去最高」と絶賛
オジー・オズボーンが、T-ペインによるブラック・サバスの楽曲「War Pigs」のパフォーマンスを「これまでで最高のカバー」と称賛した。
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オジー・オズボーン、フェイク・ニュースに「俺は死んでない。その前にステージに立つ」
オジー・オズボーンは、最近、YouTubeで彼が死亡したとのフェイク・ニュースを目にしたそうだ。
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オジー・オズボーン「メタルの烙印、心地良く思ったことはない」
トニー・アイオミもそうだが、オジー・オズボーンも、彼の音楽がヘヴィ・メタルとジャンル分けされるのを好ましく思っていないそうだ。
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オジー・オズボーン、AI生成のランディ・ローズのリフ「いいのがあれば…」
オジー・オズボーンは、AIが生成する音楽を完全否定していないそうだ。
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オジー・オズボーン、家族と75歳の誕生日をお祝い
Photo: Ross Halfinオジー・オズボーンは、12月3日、75歳の誕生日を家族とお祝いしたそうだ。
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ギーザー・バトラー、オジー・オズボーンからの「闘病中、ギーザーから連絡なし」発言に反論
オジー・オズボーンが、闘病中、ブラック・サバスのバンド・メイト、ギーザー・バトラーからは全く連絡がなかったと発言したことに、ギーザーが反論した。
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オジー・オズボーン「地獄へ行くのは怖くない。この5年間、行って帰ってきた」
Photo: Ross Halfinオジー・オズボーンは、健康が優れず、ライヴ活動もままならなかったこの5年間、地獄にいるような想いだったという。
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20年間お蔵入りしていたオジー・オズボーンとOzzfestのドキュメンタリーが公開?
『ウェインズ・ワールド』(1992年)の監督ペネロープ・スフィーリスが90年代終わりから2000年代初めにかけて制作したオジー・オズボーンと<Ozzfest>のドキュメンタリー『We Sold Our Souls For Rock ’N’ Roll』が、20年の時を経て一般公開されることになったようだ。
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スリップノットのシド・ウィルソン、息子の1歳の誕生日に「オズボーン・ウィルソン一族、永遠に」
Photo by Anthony Scangaスリップノットのシド・ウィルソンとオジー・オズボーンの娘ケリーの間に誕生した第一子、シドニー君が1歳の誕生日を迎えた。
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プロフィール・バイオグラフィ・リンク
数ヵ月後、デモインで、ある観客がステージに本物のコウモリを投げ込んだところ、彼はゴム製のおもちゃと勘違いしていきなりそれに噛みつく。1年後、アラモ砦で小便をした彼に激怒したサンアントニオの役人たちが、彼を街から追放する。彼の“Suicide Solution”が自殺をそそのかす曲だとして騒ぎ立てたティーンエイジャーの父兄が、Osbourneを相手どって裁判を起こし(すべて敗訴)、罰金を科そうとしたこともあった(実際には、アルコール中毒で死亡したAC/DCのフロントマンBon Scottを追悼するほろ苦い曲だった)。
こんな具合で、ソロに転向したOsbourneの身辺は、B級映画さながらのケバケバしい事件に事欠かなかったが、音楽に関していえば、彼の判断は確かだった。最初の2枚のアルバム(『Blizzard Of Oz』と『Diary Of A Madman』)がプラチナディスクになったのは、OsbourneとギタリストRandy Rhoads、ベーシストBob Daisleyが共作した曲のよさに負うところが大きい。
重量感のあるロックの色合い(とどろくリズムや、Rhoadsの独特なきらめきを放つギターワーク)が濃いにもかかわらず、どの曲も申し分のないポップセンスにあふれていた。この絶妙のコンビネーションから生まれたのが“Crazy Train”“Goodbye To Romance”“Flying High Again”“Over The Mountain”といったハードロックの名曲だ。
ところが'82年、ツアー機の事故で、Rhoadsをはじめ数人のクルーが死亡するという悲劇がOsbourneを見舞う。彼は長い間このショックから立ち直れなかった。その後は酒やドラッグ、そして自身の奇行が招いた問題が、彼を悩ませることになる。肥満したジャンプスーツ姿のElvisの亡霊が目の前にちらつきはじめ、さらに悪いことに、音楽的な目標を失った彼のアルバムは、実生活の不品行をネタにするしかなくなった。
Randy Rhoadsのトリビュートアルバムを除けば、'80年代中期は失敗の連続だった。しかし、Osbourneは'86年にリハビリを受けて、心身の健康を取り戻し、'88年の『No Rest For The Wicked』でカムバックを果たしている。
'96年、Ozzyの祭典として、初の“Ozzfest”が開催され、Sepultura、Danzig、Slayerなど、人気メタル勢が出演。一回限りのフェスティヴァルになる予定だったが、反響が大きかったため、翌年も“Ozzfest '97”が行われ、Black Sabbathが再結集してファンを喜ばせた。