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過剰になんでも詰め込むことをよしとしていた時代、Queenは中でも最高の地位を極めていた。イギリスのこの4人組の作り出す音楽は、神話のごときテーマから、けばけばしいボードビリアンの幕間狂言風なナンバーまで、枠も制限もなかった。フロントマンのFreddie Mercuryは、伝統的にストレートな男性優位のハードロックの世界に、驚くほどホモセクシュアル的な表現を見事に取り入れていた。それは、まるで自らの性的嗜好を見せびらかすかのように。

Freddieは演芸ホールからアートロックにいたる、ありとあらゆるイギリスの大衆音楽の歴史を取り入れていたが、それを恥じるということもなかった。Queenは、その荒々しいロックのパワーに加えて、様々なスタイルの音楽を取り入れていた。『News Of The World』に収録されている“My Melancholy Blues”のようなブルーズから、“Crazy Little Thing Called Love”のようなロカビリーまで、そのスタイルは実に幅の広いものだった。

Queenにとって最初の大ヒットとなったシングル“Killer Queen”は、耳に残るギターと奇妙でキャッチーな歌詞が、メロディの魅力をさらに増幅させる作りとなっていた。かと思えば、Queen流の大傑作“Bohemian Rhapsody”に至っては、オペラとヘヴィメタルとメロドラマのようなポップスが均等に取り入れられており、“Stairway To Heaven”のようなロックの叙事詩となっている。

''70年代を通して、Queenは世界最高のロックバンドという地位を守り通した。しかし、''80年代になると彼らはスタイル面で危機的状況に直面する。''80年にリリースされたアルバム『The Game』は、ロカビリーからプロトファンクまで、不思議な組み合わせがその中身を埋めていた。そして、長年にわたってシンセサイザーを使わないことを宣伝していた彼らが、突然ディスコ調の『Hot Space』を出したりしたのである。常にプログレッシブな姿勢を貫いた結果でもあり、自らの音楽性を貫いた姿勢の現れでもある。

Queenはその後も国際的なその地位を維持し続けた。特に、地元のイギリスでは、''91年にFreddie Mercuryが45歳でAIDSにより突然の死を迎えるまで、その人気は続いていた。しかし、ころころと変わるスタイルに面食らったアメリカの観客達は違った。『Hot Space』に収録されたDavid Bowieとのデュエット“Under Pressure”はヒットしたが、''90年代のアメリカにQueenのための場所はなかった。

とはいえ当然ながら例外は常に存在する。映画『Wayne''s World』の中で、WayneとGarthが友達と一緒に車の中で、“Bohemian Rhapsody”を歌ったり騒いだりする場面を覚えている人も多いだろう。アメリカのど真ん中に位置する中部の街をAMC-Pacerに乗ってドライヴするこの場面。Freddieにとっては、''92年4月にウェンブリースタジアムで豪華な顔ぶれを揃えて行われた記念追悼コンサートと並んで、何よりのはなむけとなっただろう。

2005年、Paul Rodgersを迎えてライヴ活動を再開。2012年には米歌手Adam Lambertを迎え、「QUEEN + Adam Lambert」名義でのツアーを開始した。2014年には同名義で来日し、<サマーソニック2014>に出演する。2016年、日本武道館での単独公演を開催。

2018年、故Freddie Mercuryの半生を描く映画『Bohemian Rhapsody』が公開され、日本では2018年公開作品として最大のヒット作となる。

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