ニュース・最新情報
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【ライブレポート】クワイエット・ライオット、このバンドを存続し続ける意味
近年は1980年代に活躍したメタルバンドが再始動し、勢力的にツアーをしている様をSNSでもよく見るようになった。
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クワイエット・ライオットの新作、故ケヴィン・ダブロウのヴォーカルを収録
ルディ・サーゾによると、クワイエット・ライオットは、ニュー・アルバムに故ケヴィン・ダブロウが生前レコーディングしていた曲を収録する予定だという。
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クワイエット・ライオット、新作に故フランキー・バネリのドラム演奏を収録
クワイエット・ライオットのニュー・アルバムでは、2020年に亡くなったフランキー・バネリが生前録音していたドラム・パフォーマンスを聴くことができるという。
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クワイエット・ライオット、大晦日公演に初代ベーシストのケリー・ガルニがゲスト出演
クワイエット・ライオットが12月31日に米ラスベガスで開催した大晦日ライヴに、バンドのオリジナル・ベーシスト、ケリー・ガルニがゲスト出演した。
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クワイエット・ライオット、2022年初めに新曲をリリース
クワイエット・ライオットは、新ラインナップによる新曲を数週間後にリリースする予定だという。
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ルディ・サーゾ、クワイエット・ライオット復帰「フランキー、ケヴィン、ランディを厳かに追悼できる」
18年ぶりにクワイエット・ライオットに復帰したルディ・サーゾが、先月、新ラインナップで開催した初公演を振り返った。
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クワイエット・ライオット、『Metal Health』ジャケ写のオリジナル・マスクが570万円で落札
クワイエット・ライオット最大のヒット作、1983年にリリースしたサード・アルバム『Metal Health(邦題:メタル・ヘルス〜ランディ・ローズに捧ぐ〜)』のジャケットで描かれ、その後バンドのシンボル的な存在となったマスクの実物が、先週終わり、オークションに出品され、5万ドル(約570万円)で落札された。
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フランキー・バネリ、70回目の誕生日にレインボー・バーに胸像設置
故フランキー・バネリの70回目の誕生日だった11月14日、米ウエスト・ハリウッドにあるレインボー・バー&グリルに彼の胸像が設置された。
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クワイエット・ライオット、ルディ・サーゾ復帰後初の公演開催
クワイエット・ライオットが土曜日(11月6日)、米バージニア州ウッドフォードで、ルディ・サーゾ復帰後初となる公演を開いた。
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フランキー・バネリの家族、告別式にファンを招待。世界配信も
2020年8月20日に永眠したクワイエット・ライオットのドラマー、フランキー・バネリの告別式が11月15日に米ロサンゼルスにあるフォレスト・ローン・メモリアル・パーク(ハリウッド・ヒルズ)で執り行われることが告知された。
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クワイエット・ライオット、来週開催の公演でルディ・サーゾが復帰
クワイエット・ライオットは、11月6日に米バージニア州で開く公演で、ベーシストのルディ・サーゾが復帰すると告知した。
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クワイエット・ライオット、ルディ・サーゾ復帰の新ラインナップの写真初公開
クワイエット・ライオットが、ルディ・サーゾ(B)が再加入し、2022年から始動する新ラインナップの写真を初公開した。
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ルディ・サーゾに代わり離脱するチャック・ライト「これからもクワイエット・ライオットを支援していく」
ルディ・サーゾが復帰することにより、クワイエット・ライオットを後にするチャック・ライトが、『Metal Sludge』宛てに声明を出した。
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ルディ・サーゾ、クワイエット・ライオットに復帰
ベーシストのルディ・サーゾが、18年ぶりにクワイエット・ライオットに復帰することが発表された。
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クワイエット・ライオット、新曲でフランキー・バネリとルディ・サーゾが共演
今週末放送される元クワイエット・ライオットのルディ・サーゾ(B)のラジオ番組『Six Degrees of Sarzo』に、現メンバーのアレックス・グロッシ(G)がゲスト出演し、クワイエット・ライオットの新曲「Rock In Peace」がプレミアされる。
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ニッキー・シックス「ランディ・ローズからクワイエット・ライオットに誘われた」
ニッキー・シックスは、モトリー・クルー結成前、ランディ・ローズ(G)とケヴィン・ダブロウ(Vo)からクワイエット・ライオットに加入しないか誘われていたという。
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クワイエット・ライオット、「新しいことについて話している」
フランキー・バネリを喪ったクワイエット・ライオットだが、この先様々なことを計画しているそうだ。
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ドン・ドッケン、フランキー・バネリとの思い出を語る「車を直した代わりにライヴに参加してくれた」
ドン・ドッケンが、癌と闘病の末、今年8月に亡くなったクワイエット・ライオットのドラマー、フランキー・バネリを偲んだ。
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クワイエット・ライオット「フランキー・バネリが望んだように前へ進むのを誇らしく思う」
中心メンバーだったフランキー・バネリ(Ds)を喪うも、バンドを継続すると決めたクワイエット・ライオットは、プライドを持ち、バネリが望んだように前へ進むという。
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ルディ・サーゾ、亡くなる数時間前のフランキー・バネリと対面「彼は闘っていた」
クワイエット・ライオットのベーシストだったルディ・サーゾが、8月20日に亡くなった元バンド・メイトで長年の良き友人、フランキー・バネリを偲んだ。
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クワイエット・ライオットのA・グロッシ、ファンからの支援に感謝
クワイエット・ライオットのギタリスト、アレックス・グロッシが、フランキー・バネリを喪うもバンド活動を継続すると決めた彼らの元に届くファンからの支援に感謝した。
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クワイエット・ライオット、フランキー・バネリの希望に沿い、バンド活動を継続
先月、バンドの核だったフランキー・バネリ(Ds)を喪ったクワイエット・ライオットが、水曜日(9月9日)、「クワイエット・ライオット - 2020/2021 なぜなら、それでも人生は続くから!」と、この先のツアー日程を発表した。
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Hookers & Blow、フランキー・バネリが1テイクで録音した「Trampled Under Foot」公開
クワイエット・ライオットのギタリスト、アレックス・グロッシとガンズ・アンド・ローゼズのディジー・リード(Key)のサイド・プロジェクト、Hookers & Blowが、先月亡くなったフランキー・バネリが参加したレッド・ツェッペリンの「Trampled Under Foot」のカバーをリリースした。
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フランキー・バネリ、生前に葬式を契約
癌との闘病の末、8月20日68歳で死去したクワイエット・ライオットのドラマー、フランキー・バネリは生前、自身の葬式の契約を済ませていたそうだ。
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デイヴィッド・カヴァデール、ポール・スタンレーらフランキー・バネリを追悼
フランキー・バネリの訃報に多くの人たちが悲しみに包まれ、ミュージシャンから続々と追悼の言葉が上がっている。
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クワイエット・ライオットのフランキー・バネリ、死去
クワイエット・ライオットのドラマー、フランキー・バネリが8月20日(木)夜、68歳で永眠した。
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フランキー・バネリ、3週間の入院中に脳卒中を起こす
クワイエット・ライオットのドラマー、フランキー・バネリが先週終わり、1ヶ月ぶりにFacebookを更新し、3週間入院していたことを明かした。
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ルディ・サーゾ「フランキー・バネリはファイターだ」
ステージ4の癌と闘病中のクワイエット・ライオットのドラマー、フランキー・バネリへ元バンド・メイトのルディ・サーゾ(B)がエールを送った。
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フランキー・バネリ、緊急搬送されるも「死の淵に立っているわけではない」
ステージ4の癌と闘病中のクワイエット・ライオットのドラマー、フランキー・バネリが月曜日(6月15日)、病院に搬送されたことを報告した。
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クワイエット・ライオット、来月、ソーシャル・ディスタンス公演開催を計画
クワイエット・ライオットは、米独立記念日である7月4日にアーカンソー州で社会的距離を取った公演の開催を計画しているそうだ。
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プロフィール・バイオグラフィ・リンク
ケヴィン・ダブロウ(VO.)、ランディ・ローズ(G.)、ドリュー・フォサイス(Ds.)、ケリー・ガルニ(B.)の4人でスタートしたクワイエット・ライオットは、決して順風ではなかった。デビュー・アルバム「静かなる暴動」は、当時のアメリカでは全く相手にされず、発売もされていなかった。日本でも、いかにも少女うけのするルックスが先行した人気になり、ランディ・ローズをうんむんする者は1人としていなかった。
翌1979年にセカンド・アルバム「暴動に明日はない」が、これも日本でのみ発売された。このアルバムのレコーディング終了後、ルディ・サーゾが加入したが、この時点でクワイエット・ライオットは活動を停止してしまう。理由は不人気である。ロスでは、あまたるいクラブ・バンドの域から脱する事はできず、頼りの日本での売れ行きもイマイチ、という点から、バンドとして存続する事ができず、解散という形で活動に終止符を打った。
このクワイエット・ライオットの名が再び取り沙汰されたのは、オジー・オズボーンのブラック・サバス脱退後のソロ・デビュー・アルバム「ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説」のクレジットの中に、ランディ・ローズの名が記された時だった。この不世出の天才ギタリストへ対する注目の中で、彼が元所属したバンドという程度の意味で、アメリカでも名を知られるところとなった。
更に、このオジー・バンドのベーシストとしてルディ・サーゾも加入し、ここでまた、クワイエット・ライオットには、名ギタリストと名ベース・プレイヤーが所属した伝説のバンドといった色合いが、徐々に濃くなり、段々と日本で発売された2作のアメリカへの輸出が増えていった。そういった状況の中で、1982年3月19日を迎えたわけだ。
この日、天才ギタリストとして将来の爆発的人気を約束されていたランディ・ローズが、飛行機事故のため、他界した。
この日を境に、ランディ・ローズの名は伝説となって語られ、同時にクワイエット・ライオットの名も伝説化し、2枚のアルバムはマニアの間で高額で取り引きされたり、アメリカでの輸出が飛躍的に増大するなど騒然とした人気を得ていった。
そして1983年、オリジナル・メンバーのケヴィン・ダブロウの呼びかけで、ルディ・サーゾ、カルロス・カヴァーゾ、フランキー・ヴァネリが参集し、新生クワイエット・ライオットが再デビューする事になる。実質的にはこの1983年が現クワイエット・ライオットのデビューする事になる。
こうして伝説が甦った形でのデビュー・アルバム「メタル・ヘルス~ランディ・ローズに捧ぐ~」は爆発的な売れ行きを記録し、全米で600万枚を売り尽くした。
そして1983年11月16日にビルボードTOP100にいて、メタル史上初という、おまけつきのナンバー・ワンを記録した。このナンバー・ワンがどれだけの価値があるかというと、マイケル・ジャクソンの「スリラー」、ポリスの「シンクロニシティ」、ビリー・ジョエルの「イノセント・マン」などの大物を眼下においてのナンバー・ワンだったという点を見ても明らかだろう。
このアルバムからは”カモン・フィール・ザ・ノイズ”、”メタル・ヘルス~バング・ユアヘッド”の2曲のメジャー・シングル・ヒットも生み、またたく間にヘッドライナーとしてライヴでの人気も爆発した。
勢いにのったクワイエット・ライオットは1984年に新生後第2弾アルバムとなる「コンディション・クリティカル」を発表、前作「メタル・ヘルス」の延長線上のサウンドを追求し、再びミリオン・セラーを記録、“クレイジー・ママ”、“パーティー・オール・ナイト”の2曲のシングル・ヒットを生んだ。そして1985年の1月に初来日公演を実現させた。
ところが、この頃からルディ・サーゾと残りのメンバーとの間にミゾが出来はじめ、この日本公演が、ルデイが在籍する最後のステージになった。既に脱退が決定していた為、ステージ上では全くスポットライトがあたらないという、変則的なステージになってしまった。
帰国後、脱退したルディ・サーゾに変わり元ジェフリアのチャック・ライトが参加する事になるわけだが、事実上1985年の一年間は、ほとんどクワイエット・ライオットとしての活動はなく、わずかに“HEAR’N AID”(ヘヴィ・メタル・アーティストが結集したエイドもの)に参加したにとどまった。
1986年にはいってすぐ、レコーディングを開始し、ここに新生後3作品、通算5作目のアルバム「QR?」が完成したわけだ。再びクワイエット・ライオットの進撃は開始された。