「たいていの場合、ママが銃を持っていることさえ知らないものよ」とErykah Baduは、サードアルバムのタイトル『Mama's Gun』について説明する。「でも彼女がそれを取り出して、あなたに見せたとき、状況はシリアスなものになる。今の私にとって人生とはそういうものよ。私たちはとても危険な時代を生きていて、子供たちでさえ身を守るための道具が必要になるでしょう」 ニューアルバムのマスタリングを数日前に終えたばかりのErykahは、ジャーナリストでいっぱいの部屋で、アルバムタイトルは武器の使用を主張するものではまったくないと明言した。だが、彼女はダブルプラチナに輝いた'97年のデビュー作『Baduizm』を発表したときにも、意味深長なタイトルを比喩的に用いるという手法を使っている。 Erykahは『Mama's Gun』の内容がリスナーに力を与えることを望んでいるという。「私のアルバムを銃の代わりにホルスターに入れたり、膝やシートの上に置いてほしいの」 『Mama's Gun』からのファーストシングル「Bag Lady」は、人間関係に苦しんでいる人々にとって健康への起爆剤の役割を果たすだろう。Dr. Dreが「Xxplosive」で用いたのと同じ特徴的なエレキギターのサンプルに乗せて、Erykahはリスナーに対して様々な感情面での負担から自己を解放するように促している。 「この曲を書いたのは2年半くらい前、『Baduizm』を作り終えたころだったわ」とErykah。そのビデオはNtozake Shangeの脚本と演劇「For Colored Girls Who Have Considered Suicide/When The Rainbow Is Enuf: A Choreopoem」を漠然とベースにしたものになっている。 「正確にはライヴ活動を始めたころ、自分自身の成長にインスパイアされて書き始めた曲といえるわね。昔よりものごとをうまく評価できるようになって、それまで今のように日々を過ごすことができなかった理由がわかったのよ。つまり、1人の人間が抱え込むには多すぎるものを心に抱えていたわけ。それで重すぎて持てないものや不必要なものをそぎ落としていったの」 この曲がOutKastのAndre 3000との以前の関係にインスパイアされたものかどうかについては、Erykahは説明を避けている(AndreとErykahの間には2歳になる息子のSevenが生まれたが、OutKastの曲「Ms. Jackson」で2人の破局の痛みをオープンに扱っている)。さらに、ニューアルバムに収められたメッセージ性を持つ作品は「Bag Lady」だけではない。「Time's A Wastin'」で、彼女は焦点の定まらない人々を取り上げて、「時は費やされていく/若い人たちよ、時間を無駄にしていないだろうか/目的地も分からずにさすらい続けて」と呼びかけた。「Penitentiary Philosophy」は窮地に陥った人々にインスピレーションを与える言葉を贈っている。判断不能に直面した人々は「Didn't Cha Know」に共感できるだろう。 こうした人を元気づける内容は、初期のころからErykahの音楽の一部ではあったが、彼女が母親となったことでよりいっそう重要性が増している。子供を産むということは彼女の生活を根底から変えてしまったという。Sevenが産まれてから最初の2年間、彼女はつきっきりで、毎日母乳を与えて育ててきた。「健康でまっとうな人間であることの責任を強く自覚するようになったわ」とErykahは母親業について語る。「1人の人間の存在を形成するのに手を貸したこと。それに責任を持つことで私自身が成長したのよ」 Erykahの作品にとりわけ顕著な変化が見られるとしたら、それは彼女の作るサウンド面にある。今作はBillie Hollidayにたとえられることの多かった『Baduizm』でのソフトで、ジャジーなサウンドとはまったく異なる方向性を示している。今回の音楽は'70年代の本物のソウルからの強い影響が感じられる。つまり層の厚いバックグラウンド・ヴォーカルをともなうバラード、パーカッションの追加、ファンク・ロック的な躍動感などである。'70年代ファンクの再生ということも可能だが、Erykahによればこの変化は意図したものではなかったという。 「その種の音楽が好きなので、偶然だったと言うつもりはないけど」と彼女は説明する。「でも自分が感じたままの自然なサウンドなの。レコード契約をするまで、自分に特定のスタイルがあるなんて考えてなかったけど、このスタイルは何とかだ、なんて書かれはじめた。私は自分の好きな音楽をやっているだけだし、オーディエンスの感受性を過小評価したことも決してないわ」 Erykahはレコーディングの場所も厳選するようになった。地元にいるときはPaul Meyerのスタジオを使っているが、これはMeyerがガラクタの材木や金属を集めて手作りで建てた録音設備である。森の中を5マイルも入ったところにある、テント小屋を備えたスタジオについてErykahは「とっても暖かい感じがするの」と語っている。そして『Mama's Gun』の録音場所を選ぶときに、彼女には心に決めていた場所があった。かつて故Jimi Hendrixが所有していたニューヨークのElectric Lady Studiosである。 「スタジオの壁は、絵画とElectric Lady的なオブジェのコラージュで埋め尽くされていたわ」とErykahは回想する。「ブースはJimi、Stevie Wonder、Roy Ayersとか数えきれないくらいの伝説的なアーティストが使ったのと同じものだったのよ。D'Angelo(彼はそこで『Voodoo』を録音した)が使ったばかりだったし。空気を感じるの。どう説明していいかわからないけど音楽を感じるし、アイデアが浮かばない時にはどこかからやってくるような気がすることが何度もあったわ。まるで薄い空気の中からメロディが浮かんでくるみたいにね」 Erykahにとって、自然体に戻って音楽の創作に取り組むのはたやすいことだったようだ。緑色の瞳をした美人の彼女は女優の娘でもあり、故郷に戻って音楽に専念する前は、グランブリング州立大学で演劇学を専攻していた。そして'99年にはJohn Irving原作のオスカー受賞作「The Cider House Rules」のRose Rose役で映画に出演、それまでのキャリアで最も重要な役を演じたのである。 「その役をもらったとき、監督はErykah Baduが誰なのかまったく知らなかったの。“私は演技できるわ!”ってエゴに火がついたのよ」。その映画にErykahが惹かれたのは、内容が時代ものだったからだという。「私はやりとげたし、作品も素晴らしかった。自分が生まれ変わった気分だったわ。チョイ役じゃなかったし、スタッフも何かを期待していたの。何が起きるか予想もつかなかったみたいよ」 たしかにErykahは数多くの帽子(彼女の場合は頭を包む布も)をかぶることに満足しているようだが、1人で何役もこなすハードワークは時として大変なものとなるだろう。母親業に加えて、歌って曲を書き、演技をしてビデオ「Bag Lady」の監督も務めたほか、『Mama's Gun』全曲のディレクションを監修したのである。「自分のハードワークに文句を言いそうになると、スタッフが言うのよ“自分で全部やりたいって言ったのは君のほうだよ”ってね」とErykahは笑う。「“たしかにそうだけど……”と答えるしかなかったわ。今回はワンウーマンショウといったところね。でも素晴らしい出来ばえなの。良い経験だったし、全部を1人でやったから予定どおりに進んだのよ」Erykahはまるで、今でもシリンダー全開で爆走しているようだ。 |