【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.22「2015年の終わりに」
悲報に触れると「もっとしっかり見ておくんだった」や「ステージを見ることが出来て良かった」という思いが交差して、なんとも言えない苦い気分になります。
今年のフジロックで見たラスト2曲、それが最後となってしまったモーターヘッド。そのフロントマンでありロック界のレジェンド、レミー・キルミスターが亡くなるという衝撃的なニュースが2015年の最後の最後、耳に入ってきました。
確かあれは、高校生の頃に見に行ったエクスタシー・サミットというX JAPAN主催のイベントで東京ヤンキースがカヴァーしていた「Ace of Spades」を武道館で聴いたのが彼らの楽曲との最初の出会いでした。オリジナルよりもカヴァーを聴いた数の方が多いほど日本のミュージシャンたちにもリスペクトされてきた、日本にもしっかりと浸透している洋楽曲のひとつですよね。
頻繁とまでは行かないまでも来日してくれていたバンドであり、イギリス滞在時にもイベント出演している彼らを何度か意図せず見ることができてしまっていたために、‘モーターヘッドはいつでも見られるバンドである’という誤った認識を持ってしまっていたために、レミーの死、バンドの終わりが信じ難くあります。それらは単なる偶然の幸運だったわけで実際にはそこまで精力的な活動ではなかったのかもしれませんが、そういったライブ・バンドたるイメージは絶大なものでした。
そんな偉大な彼らの突然の終わり。モーターヘッドとしての活動を終了するとドラムのミッキーが発表した今も、なんだか全てが嘘みたいな話として捉えてしまっています。心にぽっかり穴が開いたまま年越しをすることになりそうですが、彼らの音を聴き、悼み、穏やかに過ごすように努めるつもりです。
さて。今年もいいニュース、悪いニュース、たくさんありましたね。音楽を通じ、何を見て、何を感じた1年でしたか?
私の場合、生後2か月〜1歳2か月になった息子の育児に勤しむ傍ら、どうしても見たいライブには家族と友人の協力を得て足を運ぶことができたことに有難みをひしひしと感じたことが最も印象的な年となりました。
これまでは当たり前にできていた「ライブへ行く」という行為も、命を預かる身となった今では到底一人では実行できません。ライブに限らず、ほとんどのことは一人ではできないということを体得できたことで、周囲への感謝の気持ちや当たり前がどれほど恵まれていることなのかに気づくことができ、我が子に感謝しています。また、子育てに音楽を用いる‘音育’を通じ、これまで知らなかった音楽の可能性や持ち得る力を感じ取ることができた1年でもありました。
最後に、音楽世界の2015年を漢字1文字で表すと、どの字が当てはまるものかと考えてみましたところ、「被る」という言葉が浮かびました。恩恵も害も身に受けるという両極端な意味を持つ「被」は、たくさんの音から与えられた恵みを受けたこと、そして、先月のパリでのEagles Of Death Metal公演中に音楽ファンと音楽そのものが攻撃されたことで大きな被害を受けたことを表現出来る一字のような気がしています。
事件の衝撃は未だに心の中にあり、どう受け止めるべきか、何をするべきかを考え続けていますし、レジェンド達の訃報も仕方のないことではありますが、悲しいことはなるべく少なめに、来年も音に触れて楽しくいられる、健やかでピースフルな日々を過ごしたいものです。そしてここに遊びに来てくれたあなた様の新年が良きものとなりますように願っています。
◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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