【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vol.146「息をするように歌う人、矢野まきの25周年ライブ回顧録」

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2024年10月19日に日本橋三井ホールで開催された『矢野まき 25th Anniversary LIVE Special「ARIGATO! ARIGATO!」』のレポートを書きながら、いろいろ思うことがあった。書き終えた後も思考は止むことなく現在まで続き、昨晩は夢にまで見た。何がそこまで引っかかったのか。



矢野まきのデビュー25周年を祝うライブはプロデューサー/ギターの松岡モトキ、ピアノの浦清英、ギターの中村修司をサポートメンバーに迎えてのアコースティック編成で開催された。矢野の真骨頂ともいえる音数の少ない空間だったわけだが、強力な布陣が紡ぎ出す心地好くどこまでも広い音の海の中で自由自在に泳ぎ回る矢野の歌声が胸に迫り来る極上のライブエンターテインメントだった。この日届けられたのは25年の歳月で丹念に育まれてきた16曲で、まるで16本の映画を見終えたように錯覚させられるほどアーティスティックな時間となった。詳しくは直後に綴ったライブレポートを読んでいただきたいが、そこには書かなかった印象的な場面もあった。

ひとつは矢野と親交のあるスキマスイッチの大橋卓弥がゲストで登場したシーンでのこと。「大きな翼」を歌い終えた彼が「すごいね、この曲。まきちゃんの曲の中でもボトムがぎゅっとしっかりしてて男っぽい。こんな曲から子守歌みたいな歌まで歌えて、本当にすごいと思います」と矢野を称賛する場面があった。それに対し矢野は「私は息をしてるように歌ってるだけ」と清々しい笑顔で、ごく自然に応えた。だが、そんな矢野に「それが難しいことなんだ…」と大橋が呟いた。時間にして15秒くらいの会話だ。



私が矢野の現場マネージャーをつとめたのは1999年のデビューから5年ほどだが、その間、彼女と共演した日本を代表するミュージシャンやプロデューサー、スタッフ関係者などの様々なギョーカイ人が口々に彼女の歌を褒め称えた。また、ライブで曲が終わる毎にすすり泣く声が客席から聞こえてくるのも当時からずっと変わらない。毎回現場を共にするツアークルーでさえ当たり前のように泣かされる。それが矢野まきの歌力だ。

その後、私は他アーティストの担当を経て数年後に離職。渡英し、活動の場を邦楽から洋楽へとシフトしたものの、執筆もはじめたことで再び彼女の音楽の魅力を言葉で届ける機会に恵まれることとなった。

そんな私もこの25年、多くのライブを裏方や一観客として体感してきたが、共に演奏するプレイヤーや聴く者を瞬時に虜にしてその世界に飲み込んでしまうような特殊な能力を持った歌い手やミュージシャンとはそうそう出会えるものではなかった。あの日、矢野と大橋のやりとりが強く心に残ったのは、ひとりの歌い手の25年の月日を重ねて迎えた進化と、25年経っても変わらないものがあるという事実に同時に触れたせいかもしれない。改めて、矢野まきの偉大さを知り、唯一無二の歌い手であることを認識した日だった。



そしてもうひとつ、あの日のライブで強烈に感じたことが実はあった。これも私見なのでレポートには書かなかったが、あの日の矢野まきはあまりにも美しかった。それは容姿だけではなく、これまでの歩みと経験、さらに内面から溢れ出すものが加味されての美しさなのだろう。これまで何度も彼女のライブを観てきたが、過去のどのステージよりも光り輝いてみえた。以前、彼女は「おばあちゃんになっても歌っていたい」と話していたが、どうかこのまま、この先も歌声が磨き上げられていく様を披露し続けてほしいと願っている。

矢野まきが歌い出すと豹変したかのように映るのは、彼女の歌の世界と他との間に誰も踏み入れることのできない境界線が存在しているからだと私は思っている。そして彼女の歌世界はどこまでも純真で残酷で、激情、希望、歓喜、絶望などの様々な感情が生き写すかのように生々しく体現される。これを歌唱力というのだろうが、天才としか言いようがないほど高尚だから人の心に深く、ダイレクトに響くのだとも。



時に社会が厳しすぎたり、優しさがないように感じることも多々あるけれど、心が止まってしまいそうな時には考えるのをやめにして、矢野まきの歌声を聴いてみてほしい。叶うなら、ライブがよりいいだろう。琴線に触れる歌声に触れたら、きっと心が動き出すはずだ。

文◎早乙女 ‘dorami’ ゆうこ
写真◎青木こず恵



◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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