【追悼 ジョーイ・ラモーン】多くのキッズを生んだパンクの“父親”的存在
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多くのキッズを生んだパンクの“父親”的存在 2001年4月15日、ニューヨークの病院でラモーンズのフロントマン、ジョーイ・ラモーンがリンパ腺ガンにより亡くなった。49歳だった。 ’74年に結成されたラモーンズは、同時期に活動を始めたパティ・スミス、テレヴィジョンらと並ぶニューヨーク・パンクの創始者とされながら、彼らのように文学性やメッセージ色をことさら打ち出すことはせず、あくまでもポップでキャッチーなナンバーを次々に繰り出すというスタイルにこだわり続けたバンドだった。 ’70年代半ばといえば、まさにプログレッシヴ・ロックの全盛期。高度なテクニックを駆使した長大なナンバーが幅を利かせるなかで、4人が繰り出す3分足らずのシンプルなロックンロールはまさに時代へのカウンターパンチであり、その後、ロンドンへ飛び火するパンク・ムーヴメントの起爆剤となったのは周知のとおりである。 ラモーンズ、そしてジョーイ・ラモーンが残したもの……。それはつまるところ、シンプルなロックンロールの持つ無限の可能性と、それが誰にでもプレイできるものなんだ、ということを思い出させてくれたことにほかならない。 Launch.comのニュースには、ジョーイの死後、彼を偲ぶアーチストたちのコメントが続々とアップされた。そして日本にも、彼に憧れ、一緒に仕事をしたバンドがいる。ここではそんなアーチストたちの言葉を借りて、この“パンクの父”の死を悼みたい。
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| ジョーイの死を悼むアーチストたち |
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ビリー・ジョー
ボノ(
クリス・フランツ,ティナ・ウェイマス
ディッキー・バレット
ジェイムズ・ヘットフィールド
ジョーン・ジェット
ラーズ・フレデリクセン
ロブ・ゾンビー
セバスチャン・バック
石坂マサヨ






