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90年代のパンクバンドとして華々しい成功を遂げたOffspringは、何百万枚というレコードを売り上げ、インディーズレーベルEpitaphを一躍有名にした。その彼らがEpitaphと縁を切ったことで明るみに出たのは、内輪もめは音楽業界のどんなレベルでも起こりうるという事実だ。

オレンジカウンティ出身の4人組は、10年の下積みを経験した末に、一夜にして人気者になった──結成は'84年、アルバム『Smash』のブレイクが'94年。それまでの彼らは、PennywiseやBad Religionを目標にするアンダーグラウンドのありふれたグループでしかなかった。

シンガーのBryan“Dexter”HollandとベーシストのGreg“K.”Krieselがバンドを組み、'85年にギタリストのNoodles(Kevin Wasserman)が、'87年にはドラマーRon Welty(当時わずか16歳)が加入。Epitaphと契約する前にアルバムを1枚出していた。Epitaphからの1stアルバム『Ignition』も威勢のいいアルバムだったが、『Smash』ではOffspringの本領が発揮された。

キャッチーなコーラス、耳に残るフック、それに“当たって砕けろ”的なパンクのメンタリティを超越した音楽観。出るべきときに出るべくして出たアルバムだった。おそらく、これほど売れたインディーズロックのレコードは、かつてなかったのではないだろうか。

その後、OffspringがメジャーのColumbiaに移籍したことで、パンクファンは仰天した。バンドが金儲けに走ったのか、EpitaphのオーナーBrett Gurewitzが私腹を肥やすためにバンドを利用しようとしたのか──誰に質問するかによって答えは違ってくる。

OffspringはColumbiaから『Ixnay On The Hombre』と『Americana』の2枚のアルバムをリリースしたが、Columbia側はグループにいっさい干渉しなかった。曲の内容からアートワークまですべてについて、バンド自身の意向が尊重されている。

彼らの音楽は、生粋の攻撃的パンクから多角的なものに方向転換しつつあるが、ハートは今もルーツにある。Hollandは自ら新レーベルNitro Recordsを立ち上げて、若いパンクバンドの育成にも当たっている。

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