ニュース・最新情報
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ブリンク182、ラモーンズになりきったミュージック・ビデオ公開
ブリンク182が、木曜日(10月5日)、間もなく発表するニュー・アルバム『ONE MORE TIME...』から新シングル「DANCE WITH ME」をリリースし、ミュージック・ビデオを同時公開した。
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ジョニー・ラモーンが長年愛用したギター、1億円で落札
ジョニー・ラモーンが長年愛用していたギター、1965年製のMosrite Ventures IIがオークションに出品され、93万7,500ドル(約1億500万円)で落札された。
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オフスプリングのヌードルズ「俺のロックの神はジョーイ・ラモーン」
Photo by Daveed Benitoミュージシャン各々が“ロックの神”と崇めるミュージシャンについて語る英国BBCラジオ2の番組『The Rock Show with Johnnie Walker』にゲスト出演したオフスプリングのヌードルズ(G)が、彼の“ロック・ゴッド”にラモーンズのジョーイ・ラモーンを挙げた。
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ジョーイ・ラモーンのバイオグラフィ映画、ピート・デヴィッドソンがジョーイ役に
Netflixは木曜日(4月15日)、コメディアン/俳優のピート・デヴィッドソンを主役に、ジョーイ・ラモーンのバイオグラフィ映画『I Slept With Joey Ramone』を制作することを告知した。
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新旧のロック・ドキュメンタリー映画、シネマート新宿&心斎橋に集う
ロック・ドキュメンタリー映画を特集上映する企画<UNDERDOCS>が、6月12日(金)~7月9日(木)に東京・シネマート新宿、6月12日(金)~6月25日(木)に大阪・シネマート心斎橋にて開催される。
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B・J・アームストロング、D・マッケイガンら、J・ラモーン追悼後に奇妙な記念写真
週末(8月26日)、ラモーンズのジョニー・ラモーンが永眠するHollywood Forever Cemeteryで、毎年恒例の彼の追悼公演が開かれ、グリーン・デイのビリー・ジョー・アームストロング、ガンズ・アンド・ローゼズのダフ・マッケイガン、セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズ、コメディアン/ミュージシャンのフレッド・アーミセンらが出演した。
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ラモーンズ、デビュー・アルバム40周年を記念し、イベント続々
2016~2017年、ラモーンズのセルフ・タイトルのデビュー・アルバム・リリース40周年を記念し、様々なイベントやキャンペーンが開かれる。
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マイケル・モンロー、新作に故ディー・ディー・ラモーン作の新曲収録
10月7日に発売となったマイケル・モンローのニュー・アルバム『ブラックアウト・ステイツ』に、ラモーンズのオリジナル・メンバーであり、2002年に他界したディー・ディー・ラモーンが生前マイケルに提供した未発表の楽曲「アンダー・ザ・ノーザン・ライツ」が収録されている。
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少年ナイフ、CJラモーンとダブルヘッドライナーでアメリカツアー
少年ナイフがCJラモーンとダブルヘッドライナーで6月にアメリカツアーを行う。
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ヴァセリンズ、実はスパイ?
ザ・ヴァセリンズによる最新アルバム『ヴィ・フォー・ヴァセリンズ』の収録曲である「クレイジー・レディ」の、ミュージックビデオが新たに公開されている。
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【ライブレポート】CJラモーン、『ラモーンズの激情』完全再現にフロア激狂
2013年夏の<FUJI ROCK FESTIVAL>出演に続き、CJラモーンが日本にやって来た。
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ラモーンズ、ドキュメンタリー映画のリバイバル上映で“革ジャン割引”実施
今年結成40周年を迎えるラモーンズのドキュメンタリー映画『END OF THE CENTURY』が、劇場公開から10年を経てリバイバル上映される。
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マーティン・スコセッシ監督、ラモーンズの伝記映画製作?
マーティン・スコセッシがラモーンズの伝記映画製作のメガホンをとるようだ。
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ラモーンズのベスト盤、選曲はモリッシー
モリッシーが、ラモーンズのベスト・アルバムの選曲を手がけたという。
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ラモーンズ、アーケイド・ファイアの公演にジョイン
土曜日(8月23日)、NYブルックリンで開かれたアーケイド・ファイアの公演にラモーンズのマーキー・ラモーン(Dr)がゲスト出演した。
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ラモーンズ、初代ドラマーが死去
ラモーンズの初代ドラマーでオリジナル・メンバー唯一の存命者だったトミー・ラモーンが、金曜日(7月11日)亡くなった。
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マーキー・ラモーン「ラモーンズの伝記映画などあり得ない」
ミュージシャンの伝記映画がブームといえるほど多く作られているご時勢だが、ラモーンズに関しては難しいようだ。
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[クロスビート編集部員リレー・コラム] 編集長大谷編「CJラモーン」
今から約1年前、ラモーンズの一番末っ子、CJラモーンのベースが高円寺のライヴハウスで盗まれた。
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コブクロ、カバーアルバムはコブクロ・フィギュアorピック付
コブクロがカバーアルバム『ALL COVERS BEST』を8月25日(水)にリリースする。
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ショック!CJラモーンの愛用ベースが都内で盗難
つい先頃、都内のライヴハウスで来日公演を行なっていたCJラモーン。
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[クロスビート編集部員リレー・コラム] 編集長大谷編「CJ・ラモーン」
CJ・ラモーンが8年振りに来日している。
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平均年齢80歳、世界一やんちゃなご長寿ロック合唱隊ヤング@ハート、来日決定
米マサチューセッツ州の小さな町ノーサンプトンに平均年齢80歳のシルバー合唱隊がある。
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フィル・スペクター、殺人で有罪に
“ウォール・オブ・サウンド”と呼ばれた独自のレコーディング・テクニックやザ・ビートルズの作品で知られるプロデューサー、フィル・スペクター(68歳)が月曜日(4月13日)、第2級殺人で有罪判決を受けた。
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MXPX、『オン・ザ・カヴァー II』を引っさげて待望の来日
不滅のパンク魂を誇るMXPXがリリースするカヴァー集『オン・ザ・カヴァー II』が熱い。
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人気声優がカヴァー、“萌死”確実なパンクコンピ
アメリカのサブプライム問題から波及した全世界的な大不況、雇用不安や失業者の増加、社会情勢の不安定化…。
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週刊エンタメ情報・今週の1行ニュース(2009.01.31)
●エイミー・ワインハウスのロンドンの自宅が空き巣に遭い、ギターやレコーディング機材が盗まれた。
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週刊エンタメ情報・今週の1行ニュース(2007.09.22)
●ブリトニー・スピアーズは、裁判所から薬物検査や飲酒制限を命じられた直後の18日夜にも、ハリウッドのクラブを深夜までハシゴして、アヴリル・ラヴィーンらとパーティしていたらしい。
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パンクって何だ?必見映画『PUNK'S NOT DEAD』
パンク。
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故ロック・スターを使用した広告に遺族から抗議の声
靴メーカーDr. Martensが、カート・コバーン(ニルヴァーナ)やジョーイ・ラモーン(ラモーンズ)、ジョー・ストラマー、シド・ビシャスといった亡くなったロック・スターのイメージを広告に使用したことに対し、遺族から抗議の声が上がっている。
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【Hotwire Music Business Column】ロドニー・ビンゲンハイマー、ウォーク・オブ・フェイムで輝く星に
ロドニー・ビンゲンハイマーの名前が、3月9日にハリウッド・ブルバードにあるウォーク・オブ・フェイムの星型に刻まれる。
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プロフィール・バイオグラフィ・リンク
''75年、彼らは最初のアルバムをリリースした。ロックの歴史の中でもおそらく最も頭を悩ませるデビューアルバムかもしれない。初歩的なロックンロールが14曲、どの曲も2分半以下の長さ。何でも大げさに過剰に、というやり方が支配していたあの時代、このアルバムは非常に衝撃的な存在だった。
究極にまで突き詰めたそのミニマリズムも奇跡なら、彼らがそのスタイルをほとんど変えることなく、20年以上も活動を続けてきたこともまた奇跡と言えるだろう。とはいえ、彼ら自身は昔の「1-2-3-4」で始まるサウンドだけでなく、ファンが驚くようなサウンドへも手を広げてきたのだが。
“音の壁”を作り出すことで有名なPhil Spectorがプロデュースしたアルバム、『End Of The Century』には、“Do You Remember Rock''N''Roll Radio?”や“Rock''N''Roll High School”といった名曲の他に、奇妙に感動的な“Baby I Love You”のカヴァーも収録されていた。
一方、元PlasmaticsのJean Beauvoirがプロデュースした『Animal Boy』は、もっとメタルよりな作品だった。『Acid Eaters』は彼らのロックンロールの師達に捧げられた作品で、『Brain Drain』にはパンクのクリスマス賛歌“Merry Christmas(I Don''t Want To Fight Tonight)”が収められていた。
当時芽生えたばかりのパンクロックが育つための、重要な音楽的土壌をRamonesは作り上げた。しかし、パンクと常に結びつけて考えられる政治的思考を掘り下げて披露するようなことは、彼らは決してしなかった。もちろん、時には幅広い政治的関心を見せることもあった(検閲やホームレス問題、そして当時の大統領だったRonald Reaganも楽しげにからかっていた)。
しかし、特定の問題を大きく取り上げるようなことはしなかった。それが、彼らの政治的関心の低さから来たことなのか、それともそういう次元を越えていたからなのかは、はっきりしない。20年間以上にもわたって“Hey-ho-let''s-go”の信念を貫いた彼らは、''96年のロラパルーザでプレイした後、その活動の歴史に終止符を打った。