心の奥底から湧き出る歌。一青 窈(ひとと よう)BARKS初登場インタヴュー

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デビュー・シングル「もらい泣き」のロング・ヒットで
俄然注目度をアップした一青 窈(ひとと よう)。
彼女は、自身の歌を空間図形として捉え「音の中で泳ぐ」と表現する。
そうした独創的な観点は歌詞の中にも綿々と現われ、
心の奥底から湧き出る想いを伝える。
知れば知るほど、魅力的なヴォーカリストだ。

言い残してきた気持ちを洗いざらい流したいから、歌ってるのかもしれない

1st ALBUM

『月天心』
TRIAD PASSION
2002年12月18日発売
COCP-32024 2,625(tax in)

1. あこるでぃおん
2. もらい泣き
3. sunny side up
4. イマドコ
5. 犬
6. 月天心
7. ジャングルジム
8. 心変わり
9. アリガ十々
10. 望春風


1st SINGLE

「もらい泣き」
TRIAD PASSION
2002年10月30日発売
COCA-15446 1,260(tax in)

1. もらい泣き
2. 翡翠
3. アリガ十々




INTERVIEW MOVIE



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INFORMATION
【ラジオ】
◆BAY FM 「night market,YO!」
 毎週(金)26:30~27:00
◆AIR-G' 「M's Garden内コーナーレギュラー
 “起きてちYo”」
 毎週(金)5:00~

【オフィシャル・サイト】
http://www.columbia.co.jp/~hitoto
――この1カ月間のインストア・ライヴなどを通して、変化を感じることはありますか?

一青:

うーん、あんまり確信的に変わったことはないですけど、天井がどんどん高くなっていってる感じはします。声が上に抜けていく感じが気持ちいいなぁっていう。上に吸い込まれていく感じです。


――そういう感覚は大学生のときにやっていた路上ライヴでは感じなかったですか?

一青:
基本的にストリートライヴって、目的があって歩いてる人たちが面白そうだったら立ち止まって見ていくっていうもので、私に何も期待を寄せてないからあんまり緊張もしなかったんですね。けれども“一青窈って何を歌うんだろう?”っていう期待をもたれると、すごい緊張するというか。でも私はライヴについては “ちょっと歌ってるから、楽しいと思ったら寄ってって”っていう、アットホームなラウンジ感を再現できるように心がけているんですけど。

――そもそも歌うようになったきっかけは?

一青:

幼稚園を卒園してから私とお姉ちゃんとお母さんは日本に帰ってきて、お父さんと離れて暮らすことになったんですね。そのときに、お父さんが毎月1枚ディズニーの「おはなしレコード」っていうのを送ってくれてて。それを聴いていると、台湾と日本で離れて暮らしてる距離を忘れられるとか、淋しい気持ちにならないとかあって。それで私は「おはなしレコード」の歌のお姉さんになりたいって、そのときから思い続けて今に至るんです。「おはなしレコード」ってミュージカルみたいで、歌にちゃんと物語があるんですね。今でもそういうコンセプトがしっかりした歌が好きだし。井上陽水さんの曲って、お母さんは詞が好きで聴いてるんだけど、私は小さい頃は“♪わぁ~”っていう解放音とか使ってる単語が面白くて耳で楽しむだけで。でも今は詞も読み込めるようになって“深い!”って思えるんですよね。そうやって親子二世代で楽しめるアーティストっていうのがすごい素敵だなぁと思うし、そういうアーティストになりたいというのもあるし。ちゃんとメッセージを伝えたい、つまりリリックノートをちゃんと開いて読んでほしいっていうのも、私はとても思っていますね。


――歌唱法の面でも陽水さんの影響ってありますか?

一青:

歌い方に関しては、空間図形として、後ろで鳴ってる音に対してどう歌うとこの絵(曲)が素敵かっていうふうに思って歌ってるんですよ。鳴ってる音の中でどう声を泳がしていったら絵として美しいかっていう。たとえば“ここでこういうフェイクをしたら〇〇っぽい”っていうのが当てはまると、私としては絵的に面白くないんです。“どこに行ったら私らしいんだろう?”っていうのをつねに模索してきて今のスタイルに落ち着いたので。だから鳴ってる音が変われば歌い方も変わるし。今の私の歌って細かいピッチは正しくないと思うんですよ。でもその落とし込み方とかフェイクしてしまうやり方とかのバランス感覚を面白いと思ってくれる人たちが、今集まって一枚のCDにしてくれてるわけで。


――たとえば象徴的なところで言うと、元ちとせさんには民謡というルーツがあって今の歌い方があるわけですど、一青さんにはそういったルーツってあるんですか?

一青:

ないですねぇ。大学時代にマライアとかホイットニーをそれなりに聴き込んで、クセを真似してカヴァーしてた時代もあるけれども、それじゃやっぱりオリジナルは越えないし。で、誰っぽくなくてもいいんだって自分で認められた瞬間からこうなったって感じで。どちらかというと詞に重きを置いてきちゃったので、歌い方に関しては今レコーディングをたくさんするようになって“これでいいんだ、これでいいんだ”って確認しながらやってます。


――「犬」なんて“これもアリ?!”っていう予想外の歌だしねぇ。

一青:

最初は民生ロックみたいなユルい感じだったのを、<変わりたい>っていう私の詞をアレンジャーの根岸さんが“一青窈はこう変わりたいだろう”ってツェッペリン的解釈に持っていったっていう。それで私も“じゃあ吠えてみよう”って。インプロビゼーションじゃないけど、その場の即興の反応ですよね、レコーディングにおける。

――「もらい泣き」を聴いて、アルバムを聴いた人はビックリするでしょうね。

一青:ね。

子供にもわかるように伝えることを、今すごい頑張ってます

――そして詞なんですが、擬音語や擬態語が多いですね。

一青:

あ~。自分が読んでる本で面白いなと思う人たちが、けっこう擬音語を使ってて。著名な作詩家の方たちって、ぜんぜん難しい言葉を使ってないんですよね。言葉を知ってくると難しい言葉を並べようとするんだけども、そうじゃないところに巨匠たちは行ってるんだって思ってから、子供にもわかるように丁寧に伝えることがすっごい難しいことなんだって分かって。それが今すごい頑張ってるところですかね。それがさっき親子二世代って言ってた、まず子供が楽しめる音だけの部分っていうので、意識的にフックとして使ってる言葉ですね。


――擬音語とか擬声語って、その人にしか表現できない音でもあるから個性も出ますしね。

一青:

そうですね。私の友達にもそういう表現をする人がいて、「なんかモフモフした感じよね」とか(笑)。好きですね、そういう言葉。あと、もう一個あるとすれば、中国語に形容詞を二つ重ねる言葉が多くて、強調するときに同じ単語を2回重ねるんですね。たとえば “愉快”っていう言葉だったら“愉愉快快”(ゆぅゆぅくゎいくゎい)って。音的にも気持ち良くて、すごい可愛いっていうのがたくさんあって。それもわりとヒントになってるかもしれないですね。


――あと特徴的だと思ったのが、語り口調なんですよね。

一青:
うんうん。日記っぽい。私の詞は日記から派生して散文詩になってるので、お父さんとかお母さんに書いた手紙調が抜けないんですよね。“今日〇〇があったんです”みたいな(笑)。

――日記つけてるんですか?

一青:
幼稚園の頃から毎日何某かの形では。それが今、進化して詩になってて。だから歌詞のデータベースは、今までの日記および詩なんですよね、自分の。それをプリントアウトしたものを机の上に並べて、曲をもらったときにそこから、同じ季節と同じ色と同じ温度の、自分の感覚で似てると思ったものを抜いていくんですよ。それを新しく書き直したっていうのが、『月天心』の10曲の詞になってます。

SM用語って知らなかったんですけど、響きが面白いと思って

――あの、「心変わり」の<てんやわんやで 放置PLAY>というショッキングなフレーズはどのあたりから?

一青:

ネットサーフやってると友達同士で“面白いページあるよ”って送り合うじゃないですか? で、“18禁のエロサイトなんだけれどもこの人の書いてる文章は哲学だから”って言われて薦められたページがあって。それがSMのページで、肉体的なSMじゃなくて精神的なSMで。最初は読みながら“グロイなぁ”とか思って疲れたんだけども、4章目ぐらいから“いやけっこう深いかも”とか思ってきて。そこに“放置プレイ”っていう言葉があったんですよ。それがすごく響き的に面白いなと思って。で、歌詞に当てはめたら、周りの人に“意味ちゃんとわかってる?”って言われて(笑)。SM用語って知らなかったんですよ。好きな人に放ったらかしにされてる状態が、言葉としてバッチリだなって思ったんですよね。…でもSM用語って他にも楽しいのありそうですね。


――普段はインターネットでどんなところを見てるんですか?

一青:
海外の、行けないところの建築物のページを見ますね。あとは、廃墟の写真とか。 もともと、音楽がある空間っていうのをプロデュースしたくて早稲田の建築を受けたんですけど落ちたので、慶応に行ったんですよ。ガラス張りのツルッとした建築物を見ると、女の子がキティちゃんとか犬とかを見て“可愛い!”って言うのと同じように“可愛い!”と思うんですよね(笑)。

――廃墟も同じ観点ですか?

一青:

廃墟はですねぇ、最初は怖いと思ってたんですよ。でも、ある写真集を見ているときに、その写真家が何を捉えているかをよく考えて見たら、廃墟自体じゃなくて廃墟から息吹いてる生命の力強さなんだっていう、緑がすごい綺麗なんだっていうことに気付いたんですね。退廃してるものを写しているかと思いきや、その反対の方向をクローズアップしたかったんだっていうのが分かって、すごい“綺麗だな”って思えた瞬間から好きになりましたね。だから単純に、心霊スポットを写してるサイトとかは興味ないし、怖いです(笑)。


いっぱいモノを失うと、瞬間瞬間が大切だと思えるんです

――その廃墟の衰退と緑の生命力の二律背反な感じって、一青さんの歌に対する考え方にも通じていますね。

一青:
ね。結局、毎日生きてて楽しいとか、すごい綺麗とかっていうのって、それと表裏一体の裏側の部分を知らないで言うとぺらぺらで。それを知ってる人が“生きてるってすごく素晴らしいわね”って言ったときに重みがズンッとあるっていう。べつに、ダークサイドを歌う人は歌う人でいいんですけど。私はいろんなことがあったけれども、今こうやって周りに人がいて、自分は一人で生きていられるっていう状況がすごく嬉しいんです、っていうことを淡々と歌っていきたくて。やっぱりいっぱいモノを失ったりすると、その瞬間瞬間が大切と思えるじゃないですか? それで今のうちに言えることは言おうと思っているわけです。

――そう思うようになったきっかけって何なんでしょう?

一青:

やっぱり、両親の死なんですけど。小学校2年のときにお父さんが死んで、そのときはあんまり分かんなかったんですよね、人の死というものが。それからまた高2のときにお母さんが亡くなって、もう一回経験したときに“あ、やっぱり同じなんだ”って思って。そこでなんか、悔やんでもしょうがないなって。だったら、言えることは今のうちに言っておこうみたいな。“ありがとう”と“ごめんなさい”っていう気持ち、この二つは。だとしてもやっぱり素直になれない自分っていうのはいて、だからきっと歌ってるんだと思うんだけども。たぶんその、言い残してきた気持ちっていうのが、まだ洗いざらい流せなくて、それを流したくて流したくて歌ってるって感じですね。


――じゃあ一青さんにとって“歌う”っていう行為は、ある種の浄化なんですかね。

一青:

うーん。なんか、今まで閉じ込めてきてしまった想いを、どうにか出しますっていう(笑)。今、一気に開花って感じですね。自分自身を浄化してるとか精神的な部分までいくとちょっと分からないけども、ただ感覚的に“ありがとうございました”っていう感じなんですよね。アルバム作るまでは“一人で立ってられるから周りの人なんかどうでもいいの”って思ってたんですよ。でもそうじゃなくて、周りに人がいるから自分が一人で立っていられるっていうのに気付けた一枚で。自分を想ってくれる人たちが周りを取り囲んでくれてるこの形って、家族に似てるなぁと思ったんですね。そのおかげで今毎日過ごせてるっていう。だからこの作業って、とっても…なるべくしてなったっていう感じがしますね。

取材・文●望木綾子

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