【対談】マシコタツロウ x 一青窈「親密な言葉と飾らない本音」
まるで本当のきょうだいのように、親密な言葉と飾らない本音が切れ目なく飛び交う。シンガーソングライター・作曲家のマシコタツロウと、ボーカリスト・作詞家の一青窈。二十数年前、一青窈のデビュー・プロジェクトのために出会った二人は、今もなお特別な絆で結ばれた同志と言える関係だ。BARKSでは、マシコタツロウのキャリア初のフルアルバム『CITY_COUNTRY PRESENT_PAST』のリリースを記念して、二人の対談を企画。「平成で一番歌われた曲」(第一興商カラオケ「DAM」集計)となった名曲「ハナミズキ」への思い、一青窈のニューアルバム『一青尽図(ひととづくしず)』にマシコが提供した新曲「』にマシコが提供した新曲「6分」ついて、そしてマシコのアルバム『CITY_COUNTRY PRESENT_PAST』について。様々な話題を語り尽くす特別対談をどうぞ。
■もともと「ハナミズキ」はゴスペルな感じだったんです
■でも“おしゃれな感じはいらない”ということでロックっぽくなった
――二十数年前、お二人の出会いは、どんな場面から始まりますか。
一青窈(以下、一青):私は本当に記憶力がないから、正しい情報はこっち(マシコ)から出てくると思いますけど。私が覚えてる光景は、タツロウと、薄暗い倉庫でレコードを物色していたこと。
マシコタツロウ(以下、マシコ):あれはね、当時の事務所の社長が物置として借りていたアパートの一室。そこにレコードがたくさんあるから、“好きなもの持って行って良いから一緒に行ってこい”って言われたの。隣の幼稚園の子供たちの声が聞こえる中で、二人で黙々と、薄暗くて埃っぽい部屋でレコードを見ていた。この人、全然女の子女の子してないから、スカートを履いているのに気にせず床に座ってるんですよ。“タツロウ、これ何?”とか言って。この人なんなんだ?って思った(笑)。
一青:その頃、ギャルだったからね。安室ちゃんみたいなミニスカートとブーツを履いていた。
マシコ:知らんけど。そういうのを履く人は、もっと気を付けなきゃ。
一青:まあでも、タツロウとだから。
マシコ:その時オレは、ブラックミュージック、ジャズ、AORとかばっかり探していたけど、一青は邦楽の名盤を探していた。
一青:大貫妙子とか。
マシコ:サディスティック・ミカ・バンドとか、“これすごい!”とか言ってた。結局二人で、20~30枚持って帰ったね。
――その時点ではもう、二人は打ち解けていたわけですね。
一青:そうじゃなきゃ、あんな座り方はしないです。
マシコ:どういうこと(笑)。でもそのぐらい、きょうだいの感覚だったんですよ。
一青:そうそう。お兄ちゃんみたい。
マシコ:そもそも最初に会った時、この人の住んでいる最寄り駅の駅前で待ち合わせたんですよ。そこに自転車をカラカラ押しながら来て、“あ、どーも、一青です”みたいな感じで挨拶して。立ち話も何だからって、蕎麦屋に行ったんだけど、自転車置き場に止めて、そのままカギをかけずに行こうとするから、“カギかけないの?”って言ったら、“かけない”“なんで?”“盗まれる確率よりも、私がカギをなくす確率のほうが高いから”。オレ、それから自転車にカギをかけなくなった。
一青:すごい影響を与えてるね(笑)。
マシコ:とりあえず蕎麦を食って、そこから一青の実家に行ったんですよ。音楽性を確かめ合うみたいなことで。
一青:社長命令でね。そこで私は、中森明菜が好きでとか、そういう話をしたと思う。
マシコ:書き溜めた歌詞も見せてくれた。
一青:その時に具体的に、こういう曲を書こうという話になったんだっけ?
マシコ:それも社長命令があったから。当時はMISIAさんとか、R&Bの日本版がいろいろ出てきた時期で、一青もそういう歌をクラブとかで歌っていたんだよね。でも一青はそういう方向性じゃないから、R&Bの要素も取り入れつつ、アジアっぽい大陸感とか、和風感とか、そういうものを大事にして曲を作れという話があったから。
一青:1週間に10曲とか、バンバン送ってきて、私もバンバン返して、一つ余さず詞を乗せて歌入れして、鬼のように作っていた。いろんな曲を試してたよね。
マシコ:試した。 R&Bの歌い方って、16ビートのリズムが大事になってくるんだけど、一青はどっちかというと8ビートの人で、そのほうがコブシが回りやすいんですよ。その時点でR&Bっぽいメロディは合わないと思ったから、それこそテレサ・テンとか、ああいう歌の世界が良いなとオレは思ってた。
一青:私はまだ若いから、R&Bが歌いたくて。
マシコ:デスチャ(デスティニーズ・チャイルド)とか送って来るんですよ。こういうの歌いたいって。
一青:アリーヤとか、アリシア・キーズとか。
マシコ:違うなーと思いながら、それっぽい感じをアレンジに入れるんだけど、やっぱり違う。やりたいことと、デビューのために作る曲が違っていたから。
一青:でも、タツロウがふざけて作る曲はすごく楽しかった。これ絶対採用されないなっていう曲も、同じ熱量を持って作ってたから。すっごい面白くて、ゲラゲラ笑いながら作ってた。
マシコ:二人で自由に作ったものは、あんまり使われなかったけどね。当たり前だけど。
――タツロウさん、当時は作曲家としては駆け出しの時代ですよね。
マシコ:ド素人ですよ。
一青:とにかく“二人で作れ”というプロジェクトだった。社長の直感なのかな。
マシコ:だと思うんだよね。
――一青窈、マシコタツロウのコンビといえばやはり「ハナミズキ」。2002年10月、マシコさんが作曲に参加した「もらい泣き」で窈さんがデビューして、いきなりの大ヒットでしたよね。5枚目の「ハナミズキ」を作る時には、相当プレッシャーがありましたか。
マシコ:「ハナミズキ」はね、実は「もらい泣き」より前に作っていたんですよ。
一青:そうだったっけ。
マシコ:あまり表に出てない話だけど。「ハナミズキ」は2001年9月11日の同時多発テロのあとに作った曲で、すごく良い曲ができた!と思っていたから、デビュー曲はなんでこれで行かないんだ?って社長にいつも言っていた。でもね、戦略があるんですよ。一青のキャラを出すためには、デビュー曲がバラードというよりは、「もらい泣き」のようなリズムのある曲がいいって、今となったらすごくわかるんだけど、当時のオレは悩みました。ずーっと一緒にやってきたのに、「もらい泣き」は共作で、なんでオレがAメロBメロしか作ってないやつでデビューしなきゃいけないんだ?って、嫉妬に似た気持ちもありました。
一青:「もらい泣き」の時に、当時のレコード会社のディレクターさんが、アコースティックギターのバージョンか、社長が選んだ豪華なアレンジのバージョンで出すか、悩んでいたのを覚えてる。
マシコ:「もらい泣き」はね、ガットギターが効いてるんだけど、あれは全部録り終えたあとに“ガットギターを入れよう”ってなったの。結果、スパニッシュな感じやエモさが出たと思う。
一青:もっとそぎ落として、ギターだけのバージョンで出したかったけど、社長が推してた、豪華な感じで出したほうが絶対に売れると言われて。
マシコ:これは難しいところで、ミュージシャンシップにのっとってグッドミュージックを突き詰めるのか、みんなに愛されるものを作るのか、常にポピュラリティとのご相談になるんだけど。結果論だけど、間違ってなかったわけじゃない?
一青:私はそこらへんを踏み誤ることが多いので。みんながほしいものを差し出せない、アマノジャクだから。絶対こっちのほうが売れると思っても、作りたくないんですよ。だから、どんどん売れないものを生産していく。
マシコ:そりゃ、周りが困るよ(笑)。
一青:そこでいつも方向を戻してくれたのが社長で、ポップなメロディで戻してくれたのがタツロウで、私が穴に潜ろう潜ろうとするところを引き出してくれて、それで成り立っていた。私は「ハナミズキ」に関しては、なんでこれを歌わなきゃいけないのかなってすごく思っていて…別に悪い曲とかじゃなくて。すごくひねった音があるわけでもない、学校唱歌のようにみんなが愛してくれる曲だから、私じゃなくてもっとうまい人が歌ったほうが絶対いいから、“歌詞は書きます。書きますけど、売れないと思うな。自分が歌わなくてもいいし”って、ずっと社長に言っていました。だから自分が売れると思ったものは売れないし、「ハナミズキ」が一番愛されて、本当に私はあてにならない。「影踏み」もそうなの。こういうバラードは私じゃない人の方が合うのにって思ってた。
マシコ:全作家に怒られろ。マジで(笑)。でもね、こういうこと言ってますけど、同時多発テロのあとにこの人が、スケッチブックにいろいろな散文詩を書いて来たわけですよ。すごい熱量で。それをおそらく、もっと違うメロディに乗っけたかったんだと思うんです。でも僕は、商業的な頭もあったと思うし、そういう指令もあったんですけど、要は「ウィー・アー・ザ・ワールド」なんですよ。みんなが歌える曲を、というのがあったんで、一青が何と言おうが、ポップなものにしなきゃいけなかったんです。だからメロディはそっちの方向へ進めて、歌詞はもっと尖ったものがたくさんあったんですけど、僕のメロディに言葉をはめこんで行ったんですね。
一青:でも最後に、東京ドームバージョンを作ってくれたもんね。
マシコ:そうそう。事務所の忘年会で、酔っぱらって、プリプロルームで「ハナミズキ」を歌わせて。“東京ドームでやったらこんな感じ”というのを、観客の拍手を入れて、“みんな大好き!”“ウワァー”みたいな、すげぇリヴァーブかけて作ったんだけど。
一青:その時に、この歌を作って良かったなと思った。
マシコ:そこじゃないんだよ!(笑)。
一青:そういう面白いことを、いつもやっていたんですよ。真剣に作るけど、遊びの部分も決して忘れず。
マシコ:ちゃんと歌ってもらうために、付き合ってやってるんだよ、こっちは(笑)。もともと「ハナミズキ」は、ゴスペルな感じだったんですよ。この人がゴスペルが好きだから。もっとAORで、おしゃれで、ハモンドオルガンが出てきちゃうようなイメージで作ったんだけど、社長が“おしゃれな感じはいらない”と。それでロックっぽく、重みのある、シンプルで説得力のあるものにして。
一青:そこは、私はお任せだった。
マシコ:まとめると、一青さんは好き勝手やってるということです。それを押しつぶしてもいけないんですよ。良い言葉が出なくなっちゃうから。
――その関係が絶妙ですよね。自由な窈さんと、しっかり方向性を定める社長とタツロウさんとのせめぎあいが、忘れがたい曲を生んでいく。
一青:もちろん、良いメロディじゃないとそもそも(歌詞を)書きたいと思わないから。当時、いっぱいいろいろな人から曲を集めてくれたんですけど、興味の持てないものには書かなかったんで。でもタツロウの曲には全部乗っけていたから、すごく楽しかったし、今も楽しいし、なるほどねーと思いながら書いています。
――窈さんの歌詞って、たとえば最初の4行でわかるものではなくて、全部聴いて、ああこういう感情なのかってわかるものが多いと思うんですね。考えさせる歌詞、というか。
一青:全部聴いてもわからないかもしれない。自分でも時々、何を書いてるかわからなくなるから。でもそれを、もっとわかりやすく書けとか、社長もタツロウも言わないんですよ。
マシコ:言わない。レイアウトはしっかり考えているし、何て言うのか、抽象画みたいに感じるんですね、何を描いてるのかわからないけど、ずっと見ていると、見る人の心の状態が浮かんでくるものがあるような気がする。そういう歌詞の書き方はすごいなと思う。
一青:社長とタツロウに会うまでは、書き直されてばかりだったんですよ。もっとわかりやすく、英語を使ってとか。別に書けるけど、自分は抽象画を描きたいのに…と思っていたところで、やっとたどり着いた家みたいな場所で、長い間一緒に作ることができてるので。一青窈が歌う歌って何だろう?という、信頼感の中でやれています。
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