Black Eyed Peasは人気競争に勝つことなど興味がない。もしあったなら、宝石や高級車や尻軽女についてラップしているだろう。そのかわりに、will.i.am、apl.de.ap、tabooの3人組は、'98年にInterscopeからリリースしたデビューアルバム『Behind The Front』に続く『Bridging The Gap』で、相変わらず彼ららしい折衷主義のヒップホップを吐き出している。 「俺らがやってることをいいと思ってくれてる人たちがいると同時に、半分くらいの連中は『あいつらのは本物のヒップホップじゃないし、下らねえことばっかり話題にしてやがる』と思ってるはずさ」とグループのリードラッパーであるwill.i.amはいささかも動じずに言う。「でも、残り半分の奴らは『やられた』って感じのはずだぜ」 『Behind The Front』はゴールドディスクを獲得できなかったために(これはEminemやDr.Dre、Limp Bizkitなどによって確実にマルチプラチナムの山を築いてきたInterscopeにとっては、かなりまずい展開だった)、商業的には失敗と見なされたが、確かな衝撃を与えた作品だった。MTVは早くから彼らに目をつけ、ラジオ受けのいい“Joints 'N Jam”のビデオをレギュラーローテーションに入れた。そして、彼らは今どきの超売れっ子、OutKast、Everclearと組む一方で、Smokin' GroovesやSnowcore、Lyricist Loungeと共演したり、Warpedツアーに参加したりするだけでなく、自分たち自身の欧州ツアーも行なったのだった。 彼らはラップの“今月の顔”的な存在というよりは、むしろヒップホップ界の異端者として分類されることが多い。そして、貧しい育ちを自慢するようなことを拒んでいるから、という理由で、彼らのことを“甘過ぎる”とするラップ仲間の喧伝にも取り合わない。「俺たちは奴らと同じ所から出てきたんだぜ」。ゲットー生まれの下層階級にいたかどうかで、ヒップホップの信頼性を測るようなアーティストたちについてwillは語る。 「俺だって2pacが見てきたのと同じようなものを見てきた。ただ、2pacは俺たちとは違うやり方で、彼の人生経験を表現してるってだけのこと。俺も同じゲットーの生まれだ。友達の半分は死んでたり、刑務所にいたり、妊娠したり、ドラッグやったりしてる。俺だって同じことを語れるし、俺たちみんな同じようなことをやってきたんだ。俺としては、ヒップホップにはああいうやり方しかない、みたいに思ってる偏狭な奴らとの橋渡しをしたいと思ってる」 というわけで、'80年代のR&Bヒットに貧しい子供時代についてのラップを乗せる代わりに、B.E.P.は『Bridging The Gap』の最初のシングル“Weekends”で、Debbie Debの'80年代ダンスクラシック“Lookout Weekend”に乗せてパーティしてみせる。また、元気でスウィートな“Hot”や、電子音のシンコぺーションが聴きものの“Go-Go”(Soul Sonic Forceの“Planet Rock”が意外なところで挿入されている)、それにストリングスやベース、ハープが激しく鳴らされるタイトル曲などは、最近のラップグループが作るものよりはるかに先を行く、音楽的な創造性に富んだものばかり。willとaplがアルバム制作のほとんどの部分を手掛けるようになって、B.E.P.の音楽的なヴィジョンは形にしやすくなったようだ。 しかし、話が“Rap Song”――Wyclefのプロデュース作で、彼らのお気に入りのヒップホップチューンから、サビの一節ばかりを集めたお気楽な曲――に至ると、willは実際のところこの曲が気に入っていないのだとこぼした。「俺たちはあの曲を、ヒップホップのモラルとかなんとかを無視して作りたかったんだ」と彼は説明する。「べつに音作りの見本ってわけでも、リリカルなウィットとは対極にある俺たちの歌詞の可能性を探ろうとした作品ってわけでもない」 「Les NubiansとMos Defがプロダクションに参加した“On My Own”、俺はあの曲の濃くてダークなサウンドが気に入ってるんだ」と、好みの音楽のタイプについて聞かれたwillは続ける。「クラブっぽい雰囲気なのに、真に迫った感じもするんだよね。ヴォーカルのテクスチャーはものすごくスムースで、でも、曲そのものはゴツゴツしてる。歌える曲かと思えばそうでもないし、にぎやかかと思えば物足りない感じもするし。俺はそういうのが好きなんだ。それに“Weekends”もね。たとえ他の人の曲だったとしても、クラブでかかったら踊れるだろうな」 LAのクラブシーンは、B.E.P.がレコード契約を獲得するのに大きな役割を果たした。willとaplが出会ったのは'89年。以来、2人はLAのクラブに共に出かけ、ラップし、ダンスするようになる。そして、まだAtbam Klanとして知られていた'92年に、故Eazy-EのRuthless Recordsと契約。結局、Ruthlessからアルバムを出すことはなかったが、ギャングスタラップの先駆者であるEazy-Eが亡くなる'95年まで契約は続いた。その年の後半、ラッパーや詩人、俳優の集まりであるGrassrootsの一員だったtabooが加入。彼らはクラブだろうが大学だろうが、呼ばれればどこにでも出かけてパフォーマンスをするようになる。B.E.P.の活きのいいステージの噂はすぐに多くのメジャーレーベルの関心を呼び、ついに'97年にInterscopeと契約するに至ったのだ。 面白いことに、グループのデビュー作『Behind The Front』は、『Bridging The Gap』に比べるともっと売れそうな作品なのだが、それはそれでいいとしよう。あれはラップのヒット作の大部分に避けがたく伝染してしまう特性をすべて回避した、15の魅力的な曲ばかりを集めた希有なアルバムである。さらに、『Bridging The Gap』は明らかに典型的なヒップホップ作品ではない。だがこのアルバムは、ドラムマシーンのパターンと、R&Bのサンプルだけに頼っているヒップホップレコードの音楽的限界を広げる手助けをしてくれるはずだ。 「願わくば、このアルバムで彼らの考えをちょっとだけ広げてやりたいんだ」と、willはB.E.P.のヴァイブを掴みかねているファンについて話す。「俺たちは直接的に説教するわけじゃない。ただ俺たちのやることを通じて、彼らの精神的なギャップに橋を架けたい。音楽的なことにしても普通の生活にしても、俺たちがどんなところからやって来たのかを理解してもらうためにね」 |