【インタビュー】Hi-STANDARD、難波章浩が語る「ハイスタを3人のものに取り戻す」
![](https://img.barks.jp/image/review/1000136110/001.jpg)
Hi-STANDARDが10月5日に16年ぶりのシングル「ANOTHER STARTING LINE」、続けて12月7日にカバーシングル「Vintage & New, Gift Shits」をリリースした。事前告知なし/店頭販売のみによる「ANOTHER STARTING LINE」のインパクトはあまりにも大きく、「Vintage & New, Gift Shits」はハイスタらしいスピード感もルーツも詰め込まれたカバー集として、すべてのロックファンを歓喜させたはずだ。
◆難波章浩 [Hi-STANDARD] 画像
BARKSでは、Hi-STANDARDの今に迫るべく、難波章浩(Vo&B)に話を訊いた。新曲制作までの道程、新曲に込められたメッセージやカバーへのこだわり、新しいハイスタだからできること、1990年代当時と現在、そして<AIR JAM 2016>。そのすべてを語ってくれたロングインタビューをお届けしたい。
◆ ◆ ◆
■初々しいくらいの初期衝動っていうか
■ハイスタ結成時みたいなフレッシュ感があって
──16年ぶりのシングル「ANOTHER STARTING LINE」はゲリラ告知シングルということで、凄まじい反響がありましたね。
難波:“ゲリラ告知”って、僕らが言ったわけじゃないですよ(笑)。その言葉、凄い広まっちゃいましたね。
──発売当日に店舗へ行ったら、“ゲリラシングル”と銘打ってました。
難波:ははは、それヤバイですね。たぶん最初にポップを書いた店舗の人がそう表現して、その言葉が拡散されたんでしょうね。ゲリラって、ちょっとバトル感というかコンバット感あるもんね。それはどうかなと(笑)。
![](https://img.barks.jp/image/review/1000136110/308.jpg)
難波:そうですね。ただ、東北で<AIR JAM 2012>をやった後、全然予定を立ててなかったというのが本当のところなんですよ。でもせっかくみんなでライブができて。ぶっちゃけ、いろんなことを乗り越えて、3人が結束しつつある状態だったんです。だけど、完全に“ここからやろうぜ!”という感じではなかった。
──そうでしたか。
難波:そもそも<AIR JAM 2011><AIR JAM 2012>は、ハイスタを復活させるためにやったライブではないからね。東北のために、日本のために、僕らができる最大限をやろうと。それが<AIR JAM 2012>で一段落付いた感じになっちゃったんですよ。……僕はあのステージで、「KEEP GOING!」と言って、“続けたい”というキーワードを出したんだけど、やっぱり、また次の年に<AIR JAM>を開催するとか、ハイスタのライブをやるとかっていう構想にはならなかったんです。だけど、「リハには入ろうよ」って話になったんですね、みんなで。
──それは自然な流れですか?
難波:そう、週一でも2週間に一度でもいいから、リハーサルを組んでおこうと。表立ったライブや音源リリースはないかもしれないけど、止めないでおこうと。実際にそんな感じで地下活動を続けててね。たとえば、4時間とか5時間のリハでずっと家族の話をするだけで終わる日もあったり、演奏は「Stay Gold」だけやって各々の活動の話をするだけで終わる日もあったり、「Dear My Friend」1曲だけやって「何もしなかったね」って帰るとか。もちろんそのときは新曲は1曲もなくて以前のハイスタの曲をやって帰るみたいな、その状態が2年ぐらい続いたのかな。
──演奏うんぬんよりも、心の距離を縮める時間が必要だったと。
難波:会う時間が必要だったんでしょうね。2011年にライブをやったけど、それ以前にみんなで会う時間っていうのはそんなにあったわけじゃないし。バンドとして10数年もブランクがあると、音源出してライブやろうってパッと切り替えられるものじゃないから。僕たちの場合は、ですけど。復活したのでここから活動していきます、みたいな感じになれるバンドじゃなかったんだなって。だから、もう一回新たにバンドを結成するくらいの気持ちで。そういう期間というか、みんなとコミュニケーションを図る時間が必要だったんだろうな。それがこの2年のリハだったんですよ。
![](https://img.barks.jp/image/review/1000136110/302.jpg)
難波:いつ頃かなぁ……、<AIR JAM 2016>をやろうと決まったのが2015年の10月とか11月ぐらいだったんですよね。それまでに音源を出そうという話になったんだけど、そこからだったのかな。わかりやすいスタートじゃなかったというか、<AIR JAM 2016>が決まって、3人が世の中に本気でハイスタを打ち出そうというムードに一気になったのかな。<AIR JAM 2012>からは3年半くらい過ぎていて、いい感じでバンドが固まっていたんですよ。表には出ていなかったけど、僕たちの中では沸々と“新曲も作れるんじゃない?”って、“やっちゃおうやっちゃおう”って。で、2015年の末に3本のライブをやったんですね。
──<BRAHMAN 20TH ANNIVERSARY LIVE「尽未来際」><FAT WRECKED FOR 25 YEARS><SLANG主催「POWER STOCK」>ですね。
難波:そう。その前に2〜3曲は新曲ができそうだなというムードになってたんです。で、3本のライブを終えた時点で、ハイスタとしていいスタートを切れたなという実感が、3人の中ではあったんです。
──あの3本のライブは新曲を作る上で後押しになったと?
難波:大きかったですね。Hi-STANDARD主催の<AIR JAM>とはまた違うじゃないですか。普通にみんなと肩を並べてライブができるんだなと。
──他のバンドと同じ線上に立つことができたという?
難波:ヘタしたらその線を越えちゃうんだなって。ハイスタ、やっぱり威力あるなと感じたので。休んでいる時間もあったけど、こうやって集まって本気になるとヤベぇな、負けないなっていうのを感じたんです。そこでそうとう自信が沸きましたね。
──それはお客さんの反応を見て?
難波:それももちろんありますね。お客さんには本当に助けられたんですけど、それ以前に、僕ら3人が初々しいくらいの初期衝動っていうか、ハイスタ結成時みたいなフレッシュ感があって(笑)。“ぜってぇ、これやっちゃうでしょ!”みたいな、3人のテンションがマジだったんですよ。その感じがすごくよくて。その3本のライブを終えて、曲作りが加速して、レコーディングの日程とかもどんどん決まっていく感じでしたね。
──あの3本で<AIR JAM 2011><AIR JAM 2012>とは、また異なる感触を得ることができたわけですね?
難波:違いましたね。<AIR JAM 2011><AIR JAM 2012>は、妥協はしてないし、あの時に出来る精一杯だったんですけど、僕らの中ではもっと……本当にいっぱいいっぱいでしたよ。とにかく、東北でハイスタのステージを見せる、で、元気になってもらうっていうのが目標だったので。そんな中でハイスタがやれたっていうことが凄いことだと思うんですね。
◆インタビュー(2)へ
この記事の関連情報
Ken Yokoyama、Mリーグ“TEAM雷電”チャンステーマ「RIDEN GO」を書き下ろし
【ライブレポート】Ken Yokoyama、<The Golden Age Of Punk Rock Tour>完遂「言葉以上にありがとう。また会えたらいいな」
【インタビュー】Ken Yokoyama、90sパンクカバーアルバムを語る「愛しているんですよね、僕はこの頃のバンドとか曲を」
Ken Yokoyama、90sパンクカバーアルバム発売日に都内某所より配信ライブ開催
PIZZA OF DEATH REOCRDS、Ken Yokoyamaカバーアルバム『The Golden Age Of Punk Rock』発売記念キャンペーン実施
Ken Yokoyama、90sパンクカバーアルバム『The Golden Age Of Punk Rock』を10月発売+レコ初ツアー決定
【速レポ】<京都大作戦2024>Ken Yokoyama、変わらぬ本質と拡大する挑戦「なるべく多くの人に気持ちが伝わったらいいと思ってステージやってます」
【速レポ】<SATANIC CARNIVAL>Ken Yokoyama、ポジティブな挑戦が生んだ感動的シンガロング「一緒に歌える歓びを味わおうじゃないか」
Ken Yokoyama、夏の九州ツアー<Fanning Flames Tour>にKUZIRAも帯同