【和楽器バンドインタビューvol.7】町屋「貴重な機会で、すごい経験値になった」

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和楽器バンドが、無期限活動休止前最後の作品となる『ALL TIME BEST ALBUM THANKS 〜八奏ノ音〜』、LIVE Blu-ray『和楽器バンド 大新年会2024 日本武道館 〜八重ノ翼〜』を10月9日にリリースした。

これらの作品で楽しめる和楽器とロックバンドが融合した唯一無二の音楽は、超絶技巧のギタリストであり、メインコンポーザーでありアレンジャー、ディレクターである町屋が統括してまとめ上げているものだ。聴いてもらえれば、洗練されたそのサウンドに驚かされるだろう。そしてベストアルバムには、町屋の渾身の一曲「八奏絵巻」も収録されている。

今回はそんな町屋へのインタビューをお届け。楽曲のことはもちろん、無期限活動休止に思うこと、さらには音楽の聴き方までを語ってもらった。

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◼︎これで聴いてくれた人が喜んでくれれば

──素敵なアルバムを作ってくださって、ありがとうございます。アルバムの最後を飾る新曲「八奏絵巻」には驚かされました。まずこの曲のお話から聞いていこうかと。

町屋:毎回制作期間に入ると、新曲のデモの締切に向けてみんなが曲を作るんですけど、集まった曲はいったん僕が取りまとめて事務所とレーベルに展開するんです。だから曲ができたらみんな僕のところに送ってくるんですけど、普段はみんな締切ギリギリで送ってくる。なんですけど、今回はゆう子が締切より2週間ぐらい早く、「GIFT」を送ってきたんです。多分まだみんな新曲に手つけてなかったと思うんですけど、 「GIFT」を聴いた時に僕は「スペシャルサンクス枠はもうこの曲でいいな」と思っちゃって。他にもみんな多分似たような方向性の曲書いてくるだろうけど、「GIFT」の“ありがとう”って、ファンや関係者とか僕らのことを知ってくれている方々へ向けて発信している歌詞だと僕は捉えたんですね。でも、仮に別の方向に向けて感謝を書いたとしても、文章の見栄えとしては大差ないと思うんですよ。よっぽどこだわって書かないと、 同じスペシャルサンクス枠に入っちゃう。

──なるほど。

町屋:なので、もう一曲どんな曲が欲しいかと考え直すわけです。和楽器バンドの全楽曲110曲強から今回ファンの方にアンケートを取って、その結果を基にメンバー、事務所、レーベルの3者で選曲をしたんですけど、リレコーディングの6曲を含めて16曲しか使われなかったら、使わない曲が94曲余るじゃないですか。 1〜3票とかの極端に少ない票数のものは振り落としても、80数曲は残ったんです。

──もったいない気がしますよね。

町屋:そう。僕は「アンケートに入らなかった曲を選んだこの人たちの気持ちをどう解消してあげよう」っていう思いが浮かんだんですよ。そこから「楽曲の中に何曲か要素取り込めないかな」 っていうところから始まって、「いやちょっと待て。それだったら全部入れられないか?」と思い、「ほかでも今までこういう企画はあったかもしれないけど、お客さんの気持ちを全部汲もうとする人は多分いなかっただろう」って、それをやってみることにしたんです。まぁでもどう考えても時間がかかる作業なのは目に見えてたんで、とりあえずアルバムごとに手をつけていくことにして。1stアルバム『ボカロ三昧』と2ndアルバム『八奏絵巻』までは、全部同じキーに直して歌詞も書き出した上で並べてみて……というところで作業を一回止めて選曲会議に。で、このアイディアが通ったので、続きを進めていきました。

──そういう流れだったんですね! 全曲キーを直して書き出すだけで途方に暮れそうです……。

町屋:ほとんど僕1人で作らせてもらったんですが、制作当初に思っていた「ここがこうなってこうなって、ここがしんどいであろう」って予測が、実際手をつけると結構違っていて。

──と、いうと?

町屋:最初はメロディーの抑揚とか高低差、音程のインターバルを中心に構成を考えてたんですけど、全部並べてみたら「ちょっと待って、歌詞の問題があるぞ」って気付いたんですよ。そこで「考え方を変えなきゃダメだ」と思って、音のことは一旦全部忘れて、歌詞を全部書き出してみたんです。そしたら曲によって言葉の言い回しが口語っぽいものだったり、そうじゃないものだったりたくさん種類があって。そこから少し硬かったり古い言い回しだったりする、一番和楽器バンドらしい言葉を中心に、歌詞から作っていくことにしたんです。

──こんなにいろんな曲が入っているのに歌詞の意味が通っているのが不思議だったんですが、そういうわけだったんですね。

町屋:ただ、歌詞だけにフォーカスすると曲として成立しないんで、歌詞をベースにメロディーも成立するかどうか頭の隅で考えながら並べていって。言葉も音も、新しく創作するということは一切したくなかったので、全部過去にリリースしたもののサンプリングだったりフレーズで組んでいきました。



──正直にいうと、初めて聴いた時は胸がギュッと締め付けられてしまって苦しいぐらいでした。みなさんこの曲で和楽器バンドとの思い出が駆け巡ると思います。

町屋:終わり方が暗めではあるんですけど、和楽器バンドっぽい侘び寂びの部分も出せたかなと思っていて。スピード感がすごく目まぐるしいんで、おっしゃる通り、割と驚くと思いますよ。でもその重量が強すぎてもリピートするのがしんどくなっちゃうから、線引きがすごく難しかったんですけどね。

──タイトルを「八奏絵巻」にしたのは?

町屋:ここまでサンプリングで作っておいて、全く新しいタイトルを作るのもなんか違うなって思って。その時に、アルバムタイトルが楽曲になっていることがないことに気付いたんですね。「オトノエ」っていう曲もないし、「TOKYO SINGING」っていう曲もないし。というところで我々の今までのアルバムタイトルを羅列してみたら、“絵巻”って走馬灯のように10年間を回想するには悪くない言葉だなと思って。8人のアンサンブルっていうニュアンスも含まれますし。それで2ndアルバムのタイトルから「八奏絵巻」っていう言葉をサンプリングしました。

──このタイトルで、例えば「暁ノ糸」から始まってたら「あぁ泣かせに来てるな」って予想できたと思うんです。でも「World domination」から始まるから、一瞬油断したというか、聴き進めるうちにどんどん引き込まれていくような感じで。

町屋:僕、このバンドは、どこまでいっても言い出しっぺで最初にメンバーを集めたゆう子が全ての中心だと思ってるんですよ。頭に「World domination」を持ってきたのは、ゆう子が茨城から上京してきて、歌手を夢見る自身の少女像を投影した楽曲だからです。そこから始まった方がストーリーがあるな、という意味を込めています。

──歌の始まりは「花一匁」の《季節はずれの 赤いツバキ》ですが、これもゆう子さんをイメージして書かれた一節でしたよね。

町屋:僕、 作詞者の世界観の話とか、心の内側の話は聞かないようにしてるんですよ。あんまり深く聞きすぎると、客観視ができなくなっちゃうんで。だからその話も覚えてなかったんですけど、それでも90曲以上を検証して、やっぱり歌い出しはこれしかなかったですね。

──町屋さん、最近DJされてるじゃないですか。もしかしてそういう経験とかも活きてるんでしょうか?

町屋:めっちゃ活きてます。DJをやってなかったら、これは作れなかったかもしれない。作業的にはもうマッシュアップの域をはるかに超えてるんで、DJの仕事より重いんですけど。普通のコンポーザーとして覚えていく曲の乗り換えと、DJとして覚えていく曲の乗り換え方って違うんですよね。DJは、フロアがどうなってるかっていう状況を把握しながら曲を乗り換えていくんで。この曲でも、別の曲が入るたびにお客さんがアガるっていうことをすごく意識しながら作りました。だから間奏に「吉原ラメント」を絶対持ってきたかったし、10年やってきて一番盛り上がったギターソロとして「焔」を入れたり。

──「焔」で尺八が同じメロ吹いてるとかもすごく良くて。

町屋:僕が決めた「これは入れてほしい」っていうフレーズはある程度あった上で、 いつも通りメンバーにある程度お任せして作っていったんです。 みんなそれぞれ過去に弾いたものからサンプリングしてフレーズ持ってきたりとかして。僕でもメンバーが仕込んだフレーズで気付いていない部分はいくつかあると思いますよ。その点で、神永は結構色々やってくれましたね。 デモの段階では僕が気付かなかったところのサンプリングまでしてくれてたんです。

──みなさんにインタビューしていく中で、“一音だけ”入っている曲もあるとか聞いて……。

町屋:“一音だけ”は、もうド頭で2カ所出てきますね。イントロの「戦-ikusa-」に入る前の“ジャッ”ってところが「白斑」です。あとイントロでは黒流さんが《ライ!》って言ってるんですけど、あれは「鋼-HAGANE-」です。掛け声って《はいさ!》《オリャ!》とかいろんな曲の中にいろんな種類があるんですけど、《ライ!》って掛け声は全曲の中でここにしかない。

──作りながら、「ここにはあの曲のあの掛け声を入れよう」みたいなことを思うわけですか?

町屋:思いますね。レコーディングの途中で一応、「どっかでサンプリングするかもしんないんで、《ライ!》を入れといてください」って言って、素材だけは録ってあったんですよね。あと、イントロのドラム&和太鼓は「Perfect Blue」だったり。 リズムセクションと上物セクションが全く別のものやってたりするんです。

──個人的には「雪影ぼうし」と「儚くも美しいのは」が交差するところが好きです。

町屋:「雪影ぼうし」をゆう子に歌わせて、「儚くも美しいのは」を俺が歌って音程を解離させたら、多少当たってるところが発生しても多分気にならないんじゃないかなと思って試しにやってみたら「ハマるわ」と。「暁ノ糸」も、本来のサビは《我等謳う空の彼方へ》から始まるんですけど、歌詞の意味合いが成り立つようにってことを一番に考えて《堰を切って溢れる思い》から使ってたりとか。

──全てに物語があって、どこまでもエモい。まさに、町屋さんが和楽器バンドでやってきたことの集大成だと思いました。

町屋:これで聴いてくれた人が喜んでくれればいいんですけどね。


──私は、活動休止前最後にこの曲が聴けて良かったと思っていますよ。

町屋:僕ら、結成時点からいつか活動休止するということは念頭にあったんです。もともと結成して3年で活休するか、5年で活休するかみたいな話もあって5年で活動休止するのが濃厚だった。でも、お客さんが求めてくれる声も多いし、周りにプッシュしてくれる人も多いから、「じゃあこのまま走ろう」って言って走ってきて。「ずっと走り続けて1回休む」っていうのは、今回取ってつけたように出た話ではないんです。だから「暁ノ糸」を書いたときにはもう、《いつか醒める夢の居場所で 笑い合っていられる様に》って言ってあった。

──あぁ……。

町屋:そう、夢が醒めるんですよね。

──いつか活動休止すると決めていたのは、企画物のような形で始まったプロジェクトだったからですか?

町屋:理由は2つあって、ひとつはそれ。もともとみんなそれぞれの活動があった中で、「このメンバーでこういうことをやったら楽しいんじゃない?」というところからスタートしているのでね。もうひとつは、 アウトプットしてる時間が長すぎてインプットの時間が少なくなると、音楽家としてのバランスが悪くなるから。本当は年間のスケジュールでインプットとアウトプットをうまく組み立てるべきなんですけど、我々はそれをしてこなかったので、結局どこかでツケが回ってくる。でも思いのほか、みんな本気になってやってこれましたね。10年ですからね。

──町屋さんにとっても、和楽器バンドってすごいやりがいのあるプロジェクトだったのでは?

町屋:そうですね。和楽器バンドに加入して最初の頃は厳しかったけど、2年目以降ぐらいから、いかにもメジャーっぽい環境で仕事をさせていただけたことがありがたかったですね。それまではバンドはしていましたけど、バックバンドとかエンジニアとか、どっちかっていうと裏方のスタッフ的な仕事が多かったので。3rdアルバム『四季彩-shikisai-』の途中あたりから──厳密には2ndアルバム『八奏絵巻』の途中からですかね、A&Rの手が回らなくなって僕がボーカルのセレクトとかするようになったところから、徐々にハンドリングするようになっていった。自分がアレンジもディレクションもハンドリングさせていただけるっていうのはとても貴重な機会で、すごい経験値になりましたね。これはちょっとお金じゃ買えないかな。

──この10年で1番楽しかったのって、やっぱり制作ですか?

町屋:日常的な行動で言うと僕はレコーディングが好きなんで、やっぱり制作が好きでしたね。それ以外だと、和楽器バンドでデビューして初の海外がフランスの<Japan Expo>だったんですけど、 それが僕にとっても初めての海外で。それまで日本を出たことがなくて、自分の中の未来予想図に海外で音楽をやるという選択肢が全くなかったんです。日本人が海外のマーケットでも勝負できるなんて思ってもいなかったし。そういう意味では、海外公演っていうのはすごい思い出深いですね。

──逆に辛かったことは?

町屋:辛かったのは2つかな。ひとつは、仕事的にどうしても作業が僕に集中しがちなこと。どっかで1個工程がズレると僕のとこで溜まるから、そしたら僕の先にいるエンジニアさんの仕事とか諸々が遅れちゃうっていうのが苦しかったっすね。あとは、人数が多いので人間関係がとても疲れました(笑)。4人バンドでも喧嘩することなんてよくあるじゃないですか。逆に、8人だから続けてこれたっていう部分もあるとは思うんですよ。意見が対立しても孤立しないので。でもやっぱり考え方や方向性の違いで衝突することは、普通のバンドの倍の人数いる分だけ起こったし、スタッフさん含めたチームの人数も多いので。その落としどころをそれぞれ探って、より完成度が高い、みなさんに満足していただけるものをなるべくたくさんの人に届けよう、という原点をもって頑張ってきましたけどね。

──本当にいろんなことがあって、活動休止は当然の成り行きで、1回休むべきだったという。

町屋:だと思います。 多分ここで休まなかったら、仲悪くなってる(笑)。

──町屋さんはこの活休期間に何をしていく予定なんですか?

町屋:『ボカロ三昧2』のツアー中に誕生日を迎えて、「俺、結構人生折り返したじゃん」と思って。正月に「どうすっかな」ってボケっと風呂入りながら考えてたら「飲んでる時間と2日酔いで寝込んでいる時間がもったいない。もう時間がないからとりあえず酒やめよう」と思い立って、酒をやめました。人生折り返したってなると、自分のことをボースティングしていくのとか、すっごいカッコ悪いと思って。残った時間で音楽家としてやっていくとしたら、「これからは自分の人生のことを歌っていくターンだな」と思ったんです。自分の経験を活かして人に伝えるとか、そういう段階に変わってきたなと感じて、そこから僕の根本的な考え方とか色々変わりました。

──ほう。

町屋:「元々何になりたかったんだっけ」って立ち返ってみたら、「そうだ。俺、シンガーソングライターになりたかったんだ」ってところにたどり着いて。なので、活動休止中に何がやりたいかと聞かれたら、歌ですね。人間として、自分の人生を歌っていくっていうこと。あとは、和楽器バンドでオーケストラを入れたことがあったじゃないですか。バンド以上の編成を僕がコントロールするっていうのは昔の自分だったら選択肢になかったんですけど、今はそれが選択肢に増えた。なので、音楽家としてもっと大編成のものに挑戦していくということもやりたいことかな。

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