【和楽器バンドインタビュー vol.5】亜沙「この8人じゃないと意味がない」

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2024年末をもって無期限活動休止する和楽器バンドがベストアルバム『ALL TIME BEST ALBUM THANKS ~八奏ノ音~』と、映像作品『和楽器バンド 大新年会2024日本武道館 ~八重ノ翼~』をリリースした。

それに寄せて実施しているメンバーソロインタビューも5回目。今回は、亜沙(B)の登場だ。

和楽器バンドの中で一番バンドマンらしい彼は、この活動休止に何を思うのか。あまりメディアでは語られてこなかった、彼の美学に触れていただきたい。

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◼︎長く続けていけるバンドに移行できたらいいんじゃないかな

──改めて和楽器バンドの亜沙さんがどんな存在であったかを振り返っていきたいなって思うんですけど、今回のベストアルバムにはメンバーが初めて集まったときの曲「六兆年と一夜物語(Re-Recording)」が入っています。このときの印象からお伺いしたいです。

亜沙:集まったときかぁ。単純にみんなうまかったですよね。色々バンドやってくると、初めて会った人でも合わせたらなんとなく「このメンバーだとしっくりこないな」とか「いいな」とかわかるんですよ。初めて「六兆年と一夜物語」で音を合わせたときにしっくりきましたね。でも、俺とべには共通の知り合いから声をかけてもらって、和楽器バンドに参加することになったんですよね。だからっていうのもあって、企画もののプロジェクトみたいな感じでアルバム1枚で終わると思ってたんで特別な感情があったわけでもなく。これもひとつの仕事、みたいな感覚でしたね。

──でもやってみてやっぱり「六兆年と一夜物語」は楽しかったですか?

亜沙:楽しかったですよ。やっぱり新鮮だったし。うーん、でもまあなんかそんなに熱い思いとかはなかったかな。そもそも俺はずっとヴィジュアル系のバンドをやってて売れなかったんですけど、その後に手掛けた「吉原ラメント」が結構伸びてくれて。それできっかけを得たんで、自分はそれでやっていくつもりっていうか、ちゃんと腰据えてボカロPやろうって思ってたからバンドはもういいかなっていう思いもあったんですよ。その頃<ETA>っていうイベントとか、歌い手やボカロ系のイベントにも出させてもらっていたから、ライブをやるならこういうのとか自分のソロ活動でいいかなって。そしたら和楽器バンドの話をもらえたから「なんかまたバンドできるんだ」ぐらいに思ったって感じですね。今でも覚えてるんですけど、実家でゴロゴロしてるときに電話がかかってきて「和楽器のいるバンドでベース弾かない!?」「いいっすよ〜」みたいな超軽いノリでしたね(笑)。



──それがこうなるんだから人生って面白いですね。

亜沙:でも実はそこから3カ月くらい連絡がなくて。ある日突然「リハやることになったから。『六兆年と一夜物語』と『吉原ラメント』覚えてきて」って。当日は夜22時とか23時とかに初台のスタジオに集まることになってて、俺が一番最初についたんですよ。そこにあの頃の尖ってた黒流さんが太鼓をガラガラ運んで入ってきたっていう(笑)。

──当時はやっぱり、ご自身としては「ボカロP」がメインの職業で、和楽器バンドはサイドプロジェクトのような感覚だったんですよね?

亜沙:そうですね。何に帰属するかっていうとボカロPでしたね。とはいえそもそもボーカロイドの話をすると、俺は重音テトを使ってたんで厳密に言うとボカロじゃなくてUTAUだし、ボカロ界隈でもちょっと亜種みたいな存在で。アルバム『八奏絵巻』を出したくらいからかな。いや、『ボカロ三昧』とかかな。初ライブのclubasiaのあとくらいに、和楽器バンドが本業の感覚になっていったかもしれないですね。

──それは何かきっかけがあったんですか?

亜沙:clubasiaのときのことはよく覚えてるんですけど、あの当時スタッフさんは2人でまわしてたんですよ。なのに、clubasiaの日はやけに人がたくさん来てて。で、ライブが終わったあとに偉い人に「本当に君たちには超期待してるから」って言われたんですよ。スタッフさんたちも「あの方がそう言うのはすごいことだから」って言うし、「なんか大きい話になってきたな〜」って思ったのを覚えてますね。

──バンドマンとしては「すごいことになってきた」って思いませんか?

亜沙:「いやいや無理っしょ(笑)」みたいに思ってましたよ。でもそこから武道館に立って、横浜アリーナ、さいたまスーパーアリーナって怒涛だったんですよね。巻き込まれていった感じに近いけど楽しかったですよ、本当に。俺は音楽で食っていきたかったけど、売れないヴィジュアル系バンドをやりながらバイトを続けてて。そんな生活を二度としたくないという思いが強かったところに、和楽器バンドでトントン拍子になんかうまくいっちゃって、なんか分不相応なものを手に入れたような気がしましたよ。

──分不相応とおっしゃいますけど、それぞれが努力してきた結果の現れだったり、元々才能があったのが見出されたみたいなことだと思いますけどね。

亜沙:いや、運が良かったんだと思いますよ。別にそこまで大して実力があったようにも思わないですし。当時のバンドマンの中ではDTMの知識があったほうだと思うけど、<ETA>に出たときに人気のボカロPの人たちは機材や音楽の知識がめちゃくちゃあって。周りには自分よりレベルが高い人はいくらでもいましたからね。

──そうかもしないですけど、やっぱり亜沙さんのパフォーマンスはとても華があって、ここに立つべき人だなと感じていました。

亜沙:それはね、ヴィジュアル系バンドで鍛えられたから(笑)。最後にやってたヴィジュアル系バンドのボーカルがちょっと年上の先輩だったから、結構厳しくステージングとか言われたんですよ。「手の伸ばし方が違う」「カッコつけるんだったらちゃんとカッコつけろ」とかそういうところまでね。

──あぁ、そういう経験って今の亜沙さんのパフォーマンスにも活きてますよね。やっぱり、それまでのバンドと和楽器バンドは全然違いました?

亜沙:和楽器バンドでいうと、俺とか町屋さんなんかはヴィジュアル系の流れを組んでいる部分はあるけど、大さんは絶対ヴィジュアル系にいないですよね(笑)。そもそも女性ボーカルだし、8人編成だし。やっぱりこういうのが面白くて、全然別物でしたね。


──和楽器バンドの転機だったなと思うところはありますか?

亜沙:10年やってきてるので色々細かいターンはあったけど、大きなターニングポイントと言ったら、ユニバーサルミュージックに移籍したときですね。

──どんな風に変化したと思いますか?

亜沙:方向性が変わりましたね。じゃあ、具体的にどこが変わったかって言われると言葉にするのはすごく難しいんですけど。コロナ禍の影響も大きかったですね。あと、外には見せていない部分だけど、やっぱりみんなのライフステージが変わったのが大きな変化だったかもしれないです。バンドといっても個人の集まりですから、ライフステージの変化がバンドにも反映されていった気がしますね。

──そこから今年、活動休止を発表されるわけですけど。これまで亜沙さんは対外的にそのことについてお話しされることが少なかったかと思います。

亜沙:うん、そうですね。まぁ、なんか“言わぬが花”かなみたいな(笑)。どこまで話すのがいいかなっていうのも考えていて。理由がどうとか、誰がどうだとか、何かや誰かを悪く言ったりする必要はないじゃないですか。ぶっちゃけ言うと、リスナーにとってはどうでもいい話だとも思いますしね。でも、個人としては、活休でよかったなと思っていますね。

──それは、このまま続けていくよりも一度活休した方がよかった、ということですか?

亜沙:そうですね。俺は無理に続けるなら活休した方がいいと思ってる人なんで。ロックバンドって一括りに言っても、成り立ちも違えばストーリーも違うじゃないですか。たとえば地元が一緒で同級生同士でバンドを組んで、音楽的にどうこうじゃなくて「こいつら以外あり得ない」みたいなバンドもいますよね。あとは10代のときに「俺たちは絶対これで売れるんだ」って集まったバンドもいるだろうし。色々エピソードはあるけど、和楽器バンドは最初にも言ったようにそのどれでもなくて。大半はもともと音楽で生活していた人たちが大人になってからプロジェクトとして集まったわけです。それがこう10年やってきて、自分としてはやっぱりこの8人じゃないとこのバンドの場合は意味がないんじゃないかなって実感したので、一人も欠けてはいけないと思ってる。和楽器バンドはメンバーチェンジが許されるバンドじゃない。

──そう思います。

亜沙:そして、俺たちは大人になってから始めたバンドなんだから、無理してまでルーティーンをこなすような活動をしなくていいんじゃないかなとも思っていて。長く続けていけるバンドに移行できたらいいんじゃないかなと考えていたんで、活休してそれぞれのやりたいことややるべきことをやりつつ、いったんハーフタイムを挟んで、やれるんだったらまたやればいいって思ってる感じです。

──この取材を通して、メンバー皆さん同じ想いを持っているのだと感じています。

亜沙:うん、みんな大人なんでね。わかんないですけどね、それがいつになるのかは(笑)。

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