【和楽器バンド インタビューvol.3】蜷川べに「これからは、ありのままの自分で」
10月9日に『ALL TIME BEST ALBUM THANKS 〜八奏ノ音〜』と、LIVE Blu-ray『和楽器バンド 大新年会2024 日本武道館 〜八重ノ翼〜』を同時リリースした和楽器バンド。
活動休止前最後の作品となったこの2作には、バンドがファンへ向けた大きな感謝が込められている。その想いを伝えるために、BARKSではメンバーそれぞれにソロインタビューを実施している。
第3回目となる今回は、その妖艶なビジュアルを持って華麗に津軽三味線を弾き弾く、蜷川べに。彼女が作詞作曲した「ワタシ・至上主義」にも通じるような、率直な感情を語ってくれた。
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◼︎「そっか、なんかこういう感じでやっていくんや」って思ってました
──ベストアルバム『ALL TIME BEST ALBUM THANKS 〜八奏ノ音〜』がいよいよ発売となりました。リリースイベントを回って、お客さんの反応いかがでしたか?
蜷川べに:1月に無期限活動休止を発表してから、私たちメンバーもそこから今年1年は走りきるって決めていて、リリースイベントもツアーも全力です。お客さんからも「今年はもうめいっぱい推し活をやりきる」っていう気持ちがすごい伝わってきていて。リリースイベントでは抽選で当たった方が前方の優先エリアで見れるんですけど、抽選に外れても余裕があれば後方に入れるようにはなっているのでそのために当日来てくださるお客さんもいたり、コスプレで来てくれる方もいたり、さらには外から音漏れを聴こうと待機してくださったりまでしてくれるんです。お渡し会も、何枚も買って何周もしてくださる方とかいらっしゃって。
──愛を感じますね。
蜷川べに:そうなんです。デビュー当時からずっと応援してくださってる方も多いですし、たくさんの方がここまで応援してきてくれたんだなってすごく実感しましたね。
──良かったです。活休を発表されたとき、べにさんはファンクラブのブログで「自分の役割を全うしなきゃって必死になってて」と書かれていたのが気になっていたんですよ。
蜷川べに:私、ちっちゃい頃から感受性が鋭くて、世界の見え方とかが神経質気味なところがあるんです。人が何考えてるかとか、どう思ってるかとか、そういうのもすごく敏感に感じちゃう方なので、場の空気を良くするために頑張っちゃったりして、クタクタになることとかも結構あったり。和楽器バンドとしての活動って、デビューからここまでほぼ休みなしというか、10年間走り続けてきたので、一旦ちょっとこのあたりで自分自身と向き合ってみたいという気持ちになることはありました。
──確かに和楽器バンドはトントン拍子に駆け上がってきましたよね。
蜷川べに:バンドの単位としてはこういう活動ができてよかったけど、自分自身のやりたかったことをやるとか、自分自身のちょっと置いてけぼりになっていたことをケアしたりだとか……人によっては海外でしばらくゆっくりしたいっていう人もいたり、勉強したいっていう人もいたり。そういうことをそれぞれやりつつ、心の余裕を持たせることができたら、集まった時さらにパワーアップしたいい音楽作れるよねって思ったんです。
──それはべにさんだけでなく。
蜷川べに:今後どうしていくかっていうところに関しては、メンバー内で結構話し合ってきましたね。ファンのみなさんにとってはすごくショックなことで、ネガティブに考えられてる方とかもいらっしゃるんですけど、私たちメンバーとしても、私個人としても、今回の活動休止っていうのはとてもポジティブに考えていて。一度自分自身を見つめ直して、みんながパワーアップして、さらにもっともっと素晴らしいものを作り上げていく、ちゃんとみんなパワーアップして帰ってくる。だから全然そこは心配しないで、って感じです。
──べにさんは、具体的にどんな時間が欲しいんですか?
蜷川べに:ゆっくり旅をしてみたりとか、勉強する時間もちょっと多めに欲しいなと思ってました。自分の性格上、もともと一人で何かに向き合ったり、淡々と何かをやるっていうことは苦ではないので、 そういう時間を活動休止の期間で持てたらと思っています。
──少し、和楽器バンドのことも回想していきましょう。
蜷川べに:もともとは私は、母と祖母が三味線と民謡をやってて、4歳の頃にそのお稽古についていくようになって民謡から始まったんですよね。でも中学〜高校ぐらいでちょっと無理しすぎちゃって、喉を潰して……。それで民謡の伴奏というところから三味線を始めたんですけど、何事もやり出すと凝っちゃう性分なので、そのうち大会などにも出るようになったんです。でもその頃はいわゆる古典的な民謡三味線っていうのをやってたんです。そこからちょっと正統な三味線の道を外れて(笑)、20歳ぐらいのときに上京するまで、京都のクラブイベントでディジュリドゥとかジャンベとかのいろんな楽器とコラボレーションでセッションしたり、三味線とギターとボーカルという編成のバンドも組んだりしてましたね。
──そして、和楽器バンドのメンバーに出会うわけですね。
蜷川べに:京都ではいろいろやっていたんですが、このメンバーと会ったのは東京に来てからなんで、私の活動を知ってる人が実は誰もいなかったっていう(笑)。和楽器バンドと出会ったのも、ゆう子さんの友達つながりだったんです。ほかのメンバーはゆう子さんが集めたり、つながりのあった人たちなんですけど、亜沙さんと私は、最初からではなく「六兆年と一夜物語」からMVに参加したメンバー。直接ゆう子さんと対面したのも、「六兆年と一夜物語」のときが初めてだったんですよね。だから、自分が“他のジャンルと三味線を合わせた音楽をやっていきたい”と思って活動していたことを誰も知らなかったんです。
──その時点での苦労はありましたか?
蜷川べに:このバンドに出会って本格的に音楽を作っていくっていうときに、どういうアンサンブルにしていくかを考えるのが難しかったですね。……“なんちゃって和楽器バンド”みたいなものって、たくさんあるじゃ無いですか。言い方正しいかどうかわかんないですけど、和楽器の音色が入ってるだけで“和楽器編成のバンド”です、みたいな。箏や三味線の音をバンドと合わせたらそれっぽくなるってことも、わかるんですけどね(笑)。でも私たちはそうではなく、これだけの楽器をきちんとアンサンブルとして聴かせていくってなったときに、「譜面の共有が必要だよね」「箏がこう出たら三味線がこう入ると綺麗だよね」と思って。ちゃんと楽典を勉強したのはこのバンドに入ってからでした。
──そうなんですよね、和楽器バンドは“和楽器の音が入ったバンド”ではないんですよね。
蜷川べに:しっかりしたアンサンブルでちゃんとした音楽を作っていく上では、勉強は大事なことですね。デビューしてから10年で、音楽の作り方は試行錯誤した上で変わってきてる部分もいっぱいありますけどね。
──この10年で、べにさん自身はどう変化したと思いますか?
蜷川べに:変化しすぎて、もとがわからないぐらいです(笑)。もちろん音楽で身を立てていきたいっていうのはあったんですけど、正直、他のメンバーと比べて、自分の音楽のヒストリーは、みんなほど下積みや苦労がなかった方だと思っているんです。東京に出てきてからいろんなことがトントン拍子で進んでいったから、デビュー当時はあんまり実感がなくて。みんなと出会ってデビューして、音楽つくって、MV撮って、あれよあれよという間にClub Asiaから始まって、BLITZやって、渋谷公会堂やって、次、武道館やって……みたいな。なんか、そんな感じで、「へ〜…!」みたいな(笑)。正直、「よっしゃこれから売れてやる!」みたいなのとかもなくて「そっか、なんかこういう感じでやっていくんや」って思ってました。
──ある意味すごく幸せな、憧れの音楽人生ではありますよね。
蜷川べに:それから先も、スタッフさんや支えてくれる人もどんどん増えていって、仕事も次々くるものに受け身でいました。メンバーの中では、黒流さんが一番年上で、ゆう子さんがリーダーとして指揮を取っていく。音楽面はまっちー(町屋)が担当している。だからインタビューとかいろんな仕事の場面でも、座ってニコニコしてるだけっていうところが結構あったんですよ。なので、正直ずっと実感がなくて。それこそ、“自分はアーティストだ”という自覚が芽生え始めたのって、2〜3年前ぐらいからかな。それまではほんと、「おかげ様でうまくお仕事やらせていただいてます〜」みたいな感じで。びっくりするでしょ(笑)?
──取材の場でお会いしても、一歩引いたところにいるなとは感じていましたが(笑)。
蜷川べに:正直そこまではね、ついていくだけで必死だったっていうのもあります。それが変わったのは、ゆう子さんがツアーの途中で体調を崩してしまったとき。それぐらいから自分のキャリアとして、自我がちゃんと芽生えて、 ちゃんとお客さんの顔とか景色とか、このプロジェクトに関わってくれてる人たちや支えてくれてる人たちの顔が、よく見えるようになって、景色が全然変わってきたんですよね。もちろんお客さんの顔を見てなかったってわけじゃないですよ。見え方が変わったんです。
──どうしてだったんでしょう。
蜷川べに:私みたいに、そこまで強い意志もなく、下積み時代もなく、とんとん拍子にうまくやれてきた人って多分、多くないと思うんです。 こうやって過ごしてくると、改めてそういうことを考える機会がないんですよ。でも、ゆう子さんが体調を崩してしまった頃から、この先の自分個人としての音楽キャリアとか考え始めて。どう生きていきたいかとか、どうしたいか、本当にこれで正しいのか。なんだかんだうまくいってずっと続けてこられてるけれども、果たしてこれでいいのかっていうこととかを、考えるようになりました。そしたらお客さんの喜んでる顔とか、表情とか見えるようになって。「デビュー当時から全国回って、これだけの人たちが集まってくれるだけのことを自分自身でやってきて、支えてもらってたんだな」っていうのを改めて実感したんです。
──なるほど、自分を見つめ直した結果、視界がひらけた感覚ですね。
蜷川べに:もちろんそれはファンだけじゃなくて、 スタッフさんもそう。「いろんな人が仕事を決めてきてくれて、企画を組んでくれて、その上で自分はステージに立たせてもらってるから、ちゃんとその役割を全うしないといけないな」って。気づくのにだいぶ時間がかかってごめんなさいですけど。
──確かにちょうど2〜3年前くらいから、私も「なんかべにさんの印象変わったな」って思っていました。それまでは、インタビューでも必要なときだけにコメントして、あまり出てきたがらないイメージがありました。
蜷川べに:もう赤裸々に話しますけど……本当ごめんなさい(笑)。8人いるし、ゆう子さんとまっちーがちゃんといろいろ話してくれるから、自分はニコニコしてればOKかなって思ってました! でもそれじゃダメだって気づいてからは、ちゃんと自分の意思で1歩1歩歩いていこう。行かなければいけない。責任を持たなければいけないっていう気持ちに変わりました。和楽器バンドで活動するときって、レーベルの方や事務所のスタッフさんがいろんなことを準備してくれて、現場入って楽器をもらって、リハして、本番。衣装を着せてもらって、メイクをしてもらって……っていうのが当たり前になってた。でもそれも、今まで全部周りの人たちがやってくれてたんですよね。
──ここまで正直に打ち明けてくれて、嬉しいです。それだけべにさんが、“変わった”ことがわかります。次にまた和楽器バンドとして集結した時のべにさんって、これまでとは別人になっているんだろうなって想像できます。
蜷川べに:これからは、ありのままの自分というか、自分らしく、自分は自分っていうところでやっていこうかなって思ってます。元々このバンドって、みんな個性がすごいので、みんなが集まって形になるっていうよりかは、1人1人のキャラが立って8人みたいなところがあるんですよね。そういう意味では、変に意識して自分を引っ込めたりする必要もなくて、本来の自分のキャラのままでもいいのかなって思えました。
──前に出ていくタイプではなかったにせよ、ロックな女性の三味線弾きという意味では、べにさんは他にはいない存在でしたよ。
蜷川べに:いないと自負してますけど、どうなんですかね(笑)。でも、昔から三味線人口を増やしたいという気持ちはあって。イベントやライブに来てくださる方で、「親子で三味線習い始めました」とか「民謡やってます」って伝えてくれたり、お手紙をいただいたりすることもあるんですけど、そういうの、すごく嬉しくって。
──着実に輪が広がってる!
蜷川べに:私自身も古典三味線とかじょんからをやってるときに、「なんかこれだけやとちょっとつまらんな」ってとこから、いろんなジャンルの音楽をやっていきたいって思ったので、「最近流行りのサウンドに三味線が乗っかってて、聴いていてみたら面白い。三味線ってこんなこともできるんや」でもいいし、もちろん古典三味線から入るでもいいし、きっかけはなんでもいいけど、自分もそのきっかけ作りというか、なにかしらの橋渡しになれたら嬉しいと思っています。実際動いたことでいうと、東京和楽器さんが廃業の危機だと聞いて、何かお手伝いできないかと思って、たる募金も行いましたし。
▲和楽器バンドが立ち上げた「たる募金プロジェクト」。募金は、日本で製造される三味線の約60%を製造する大手でありながらコロナ禍で受注が落ち込んでしまい廃業することを決めた老舗三味線メーカー・東京和楽器に全額寄付された。
──あれはすごく良い試みでしたよね。
蜷川べに:和楽器業界、特に三味線については本当に大変な存続の危機を迎えていて。東京和楽器さん以外にも厳しい三味線屋さんはたくさんあるんです。なぜかっていうと、三味線人口が減ってるっていうのもあるし、三味線を作るのに必要な象牙とか革とか、この先も調達し続けていくのが難しい素材がたくさんあるんです。だから、そういった資源に頼らない三味線の形や新しい楽器、シグネチャーモデルなんかを作っていくことも挑戦していきたいと思ってます。そもそも和楽器業界自体を、もっと柔軟に間口を広げたいなとも考えていて。
──間口を広げるという意味では、和楽器バンドはかなり大きな存在で、大きな意味をもたらしていたと思います。実際に私の周りでも、べにさんに憧れて三味線をはじめた人がいますよ。
蜷川べに:そういうのを聞くと、本当にやっててよかったって思うのでめちゃくちゃ嬉しいです。みなさんどんどんやってください(笑)!
◆インタビュー(2)へ
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