【対談連載】ASH DA HEROの“TALKING BLUES” 第5回ゲスト:DURAN
■その国だからこそ生まれる音楽
■っていうものがある──DURAN
ASH:生まれは山梨だっけ?
──確か、クオーターでしたよね?
DURAN:お父さんがスペインとフィリピンのハーフで、お母さんが日本人。小さい頃は日本にいて、14歳ぐらいからフィリピンのインターナショナルスクールへ行って。19歳ぐらいに日本に戻ってきて、今度はアメリカへ行って。で、また日本。
ASH:お父さんはタガログ語も話せる?
DURAN:しゃべれるし、スペイン語もできるし、英語もできる。
ASH:DURANもそうだよね?
DURAN:スペイン語は無理だね。数ぐらいしか数えられない(笑)。日本語と英語だけ。
ASH:部活とか何をやってた?
DURAN:テニス! メチャ、燃えてた。
ASH:ヘェ〜、意外だね(笑)。ギターはいつから?
DURAN:ちょうどその頃だよ。3歳からピアノやってたんだけど、中学校に入ったらバンドがすごく流行っていて。オヤジがベーシストだったから、家にはある程度の楽器があって、バンドをやりやすい環境でもあったから。ベースもドラムもギターも全部あったし。とくにフィリピンへ行ってからだよね、バンドは。あっちはどこのバーへ行ってもバンドが入っているんだよ、いわゆる箱バンが。テーブルのペーパーナプキンにリクエスト曲を書くと、何でもやってくれる。それがまたすごい。
ASH:それはタイへ行ったとき体感した。箱バンのヤツに「この曲はできるか?」って聞いたら、すぐにできるから、“ウワッ、素晴らしいな”って驚いたんだよね。DURANが14歳ぐらいでギターを選んだ理由は?
DURAN:もともとドラムをやりたかったんだよね。家にセットがあったから、学校のヤツらとバンドもやったんだけど、ギターのヤツは動けていいな……と(笑)。
ASH:なるほどね、ドラマーは座ってなきゃいけないからね(笑)。
DURAN:座って叩いてるだけってのがつまんなくなっちゃって。
ASH:それで、感覚的に選んだのがギターだったんだ。DURANのプレイからは、いろんなロックレジェンドの匂いが滲み出てくるんだよ。ジミ・ヘンドリックスやプリンスとか、ほんとにいろんなギタリスト達が。でも、ギターヒーローの誰かに憧れてギターを手にしたというよりは、DURANはギターに選ばれたんだね。
DURAN:うん、今思うと。オヤジがいろんな音楽を聴いてたから、自分も自然に耳にしてたけど、最初は誰かに憧れてって感じではなかった。
ASH:ちっちゃい頃にお父さんとセッションとかも?
DURAN:最近は実家に帰ったとき、一緒に音を出して遊んだりはするね。ちっちゃい頃は弾く姿をずっと見てたりはしたけど。
ASH:その感じって、なかなか普通じゃないよね(笑)。
DURAN:家は以前、ショーパブみたいなのをずっとやってて。海外から女の子を呼んできて、その子達のための家を作って住まわせて、女の子は生演奏をするし、ちょっとエッチな踊りもするし(笑)。
──オオッ!
DURAN:なんだったら来てくださいよ(笑)。ちっちゃい頃はその女の子達にけっこう育てられたというか。ショーパブのまかないを一緒に食べたり、女の子が生着替えする楽屋とか遊んでたり(笑)。
──そこで今のプレイに通じるエモーショナルさを培ったとか?
DURAN:エモーショナルさって(笑)。
ASH:ショーが身近にある環境って凄い。吸収とか英才教育とかじゃなくて、自分の中に自然とプリセットされているものとしてあるという。DURANの生い立ちを聞いたとき、“漫画みたいな人だな”と思って。サーカス団の団長の息子みたいな感じでしょ。
DURAN:そっかそっか(笑)。
ASH:浮世離れしているというか、二次元感みたいなのもある。
──フィリピンやアメリカなどの生活経験で、グローバルな視点も自然に備わっていると思うけど、今、DURANがいる日本のミュージックシーンはどう感じます?
DURAN:その国だからこそ生まれる、この国ならではの音楽ってものが、どこにもあると思ってますね。例えば日本だと、歌詞は主に日本語じゃないですか。それで生まれるリズムやメロディラインがある。フィリピンはフィリピンでそういうのがあるし、アメリカもそう。あとは海外のほうが、音楽が近い気がするんですよね。
ASH:ああ、分かる。身近だよね。
DURAN:一番悲しいのが、日本では、その辺の道とかで音楽したら怒られちゃうでしょ。ニューヨークの地下鉄とかだったら、曲を掛けてラップ歌ってるヤツが普通にいたりする。日本でやったら相当、迷惑じゃないですか。
ASH:いいところでもあるんだけどね、日本の。お互いに気を使うというか、“周りに迷惑掛けないようにしなさい”って日本人は育ってきたじゃん。日本は律儀な国なんだよね。
DURAN:だからどっちがいいってわけじゃないけど、国ごとに違いはあるなって。
ASH:それも分かる。アメリカとかでは音楽がごく当たり前に存在していて。どこで音楽やっても、いい演奏をしていたら「兄ちゃん、いいじゃん」みたいなノリもあって。でも、だからこそシビアだと思うんだよね。プロになるのはすごく大変だと思う。道端にいるアイツのほうが上手いぜ、と言われちゃうだろうし。
DURAN:そういうのはあるね。
ASH:日本は道端でやったら怒られちゃうような国だから、逆に音楽が特別視されるというか。そこが日本の強みかもしれないけど。
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