大きいことは本当にいいことなのか? この疑問はGipsy Kingsのことを考えるときの核となるものである。彼らに関することすべてがビッグであると思われるのだ。たいていのバンドではギターは1、2本で充分だが、Gipsy Kingsには7本もある。7本! そしてたいていのバンドはドラマーがひとりだが、Gipsy Kingsには4人のパーカッショニストがいるのだ。情熱的なヴォーカルとスパイシーなポリリズムを中心としたド派手で高度に洗練されたフラメンコのブランドという彼らのスタイルを考えれば、このラインナップも納得できるというもの。しかしGipsy Kingsの強烈なスケールは、セールスポイントとしては大きな障害物ともなりかねない。これはコンサートではより顕著に現れる。彼らは像のように印象的だが、必ずしも融通が利くわけではない。 バンドは出だしからPhil Spector風のウォール・オブ・サウンドを駆使して観客を喜ばせた。「Galaxia」や「Djobi, Djoba」といったナンバーは熱狂をもって迎えられ、通路で踊りだす客もいたほどである。ただ、彼らのスタジオアルバムでのケースと同様、あまりにも多くの曲が同じようなサウンドをしている印象もなくはない。単に7本のギターのために曲を作る必要があったせいだとしても、人によってはこの音楽的な単調さは、長時間のショウをひとつの長すぎるフラメンコ・グルーヴのように感じるかもしれない。 幸いなことに、ジェントルな「Flamingo」や「Cineto Solo」といった、3本のギターとヴォーカリストひとりだけをフィーチャーした短いセクションでバンドはブレイクを入れてくれた。これらの曲ではずっとディテールの部分まで表現されていた。そしてそのあと、Kingsは再びフル編成に戻って「Todos Todos」「Salsa」と続けた。 それでも、上モノ重視のグループの性質がファンを悩ませることはなかったようだ。通路でのダンスはたちまちステージへと拡大し、多くの女性が舞台に上がってバンドとマンボを踊るように奨められた。こうした楽しい感覚というのは偽りのないもので、Gipsy Kingsのエッセンスを心ゆくまで堪能させるのに成功していた。彼らは大スケールのギミックをベースとした冒険の少ないバンドではあるが、確実に楽しめる。だから結局のところ、大きいことはいいことなのであった。 By Tim Sheridan/LAUNCH.com |