【連載】Vol.110「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」

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日本を代表するブルース・ギタリスト菊田俊介が初のアコースティック・アルバム『In a room _ acoustic solo/SHUN KIKUTA』発表!



この春ブルース・ギタリスト菊田俊介が初のアコースティック・アルバム『In a room_acoustic solo』を発表した。彼がブルースの本場シカゴで活動をスタートさせたのは1990年のこと。僕がキングレコードからのデビューが決定してウィンディ・シティでレコーディングする彼を訪ねたのは四半世紀半前の事だった。以来その素晴らしいブルース・ギターに酔いしれた僕はShunのライヴをシカゴ~ニューヨーク~東京~横浜で何十回となく楽しんでいる。正直に言っちゃうとローリング・ストーンズ、ベンチャーズに次いでその回数は優に100を超すかもしれない。そして何度となくMC、ギグをブッキングもさせて貰った。

現在、菊田俊介は東京をベースにして活動している。そこでShunにお願いして一足早く新作アルバムを聴かせて貰ったが、聴いた途端に新たなる魅力が噴出しているその出来栄えに大拍手を送った。今号では菊田俊介に『In a room』をじっくりと語ってもらった。Shunスペシャル・インタビューだ。



Mike:いつも全国津々浦々を精力的にライヴ・ツアーしている菊田俊介、この1年コロナ禍で活動がだいぶ制限されてしまいました。この1年余り、どう過ごしていましかた?

Shun: 去年はライヴがぐっと減りました、それでも47本、例年の半分かな。1~3月は通常通りでしたが、4~5月は全く無し、6月から少しずつライヴを始めました。そんな昨春、何にもしないで自宅へひきこもっているなら前々から制作したいと思っていたアコースティック・アルバムを自室で録音しようと1曲ずつじっくり制作したんです。

M:そんな渦中新作をレコーディング、今月リリースです!その前に、2019年フランス録音の『SHUN KIKUTA WITH EL JOSE And the Hibbie Blues/LIVE IN FRANCE』も紹介してください。



S:2019年4月フランスのブルースマン、エル・ホゼに誘われて彼のバントHibbie Bluesと2週間のフランス・ツアー、リオン周辺やブルゴーニュを回ったのです。最終日は山の中腹の街ペュサンでのステージでした。中世のお城があってその前にはやはり同時期に建った歴史あるある建物があり、その一角のクラブThe Hall Blues Clubでライヴを行ったのです。その模様を録音したんですが、後日じっくり聴いてみると自分で言うのもなんですけど良い出来で、それならとライヴ・アルバムとしてリリースしたのです。フレディ・キング、B.B.キング、マディ・ウォーターズ、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、そしてオリジナル曲を演奏。「Love Love Love」は日本語ヴァージョンで披露しましたが、とても好評でした(笑)。最後は勿論「Sweet Home Chicago」で締めました。
この年の9月にはエル・ホゼに来日してもらい共演しました。フランスにはジャズメン、ブルースメンが多く住んでいることでも知られブルース熱はとてもホットです。



M:さていよいよファンの前に登場のニュー・アルバム『In a room _ acoustic solo/SHUN KIKUTA』。このアルバムについてじっくり語っていただこうと思います。ジャケットに二本のアコギがありますね。

S:レコーディングでメインに使ったゴダンギター5th Avenue、ジャケット写真の手前のギターですね。これはちょうどエレキとアコギの中間という感じで、録音の時にはラインとマイクの両方で音を拾い、エレキ、アコギ両方のエッセンスをバランスよく混ぜた音色を作ってみたんです。このギターはもう10年位愛用してます。自宅録音ということでチューニングも全て自分でしました。



M:では、各曲をじっくりとセルフ・ライナーノーツお願いします。オープニングは「I just wanna make love to you」、正式題を「Just Make Love To Me(I Just Make Love To You)」、ウィリー・ディクソン作品、マディ・ウォーターズの1954年ヒット作、Billboard誌R&Bチャート4位を記録。ローリング・ストーンズ1964年UKファースト・アルバムで取り上げていて邦題は「恋をしようよ」でした(笑)。今回Shunは実にしっとりと歌っています……。

S:かってバックでは演奏したことはあるけど、自分で歌うのは今回が初めて。テンポ・ダウンしてのスタイルです。

M:オリジナル作品のようにも感じ、とても良かったです。このナンバーをオープニングにした理由は?

S:レコーディング中に閃いたんですヨ。

M:そして「Chicago midnight」、懐かしい!何度となくライヴで取り上げているオリジナル。2000年のアルバム『Heart And Soul』に収録。今回は新曲のように楽しめるバラード作品に変身しています。セルフ・カバーしたその理由は?

S:今回アコギ・ヴァージョンということでキーもGからEの開放弦。アコギならではの味を出していると思います。日本語ヴァージョンにしようかとも思ったんですけど、それだとシカゴの雰囲気が出なかったのです。ファン人気の楽曲でライヴでもよく取り上げています。皆さんへのプレゼント、アコギで演るとこんな感じになりますというところをじっくりと聴いてもらいたいです。



M:3曲目「ブルースに恋して」はオリジナル。Shunのブルースに対する気持ち&足跡を全面に出し切った楽曲。

S:オリジナル日本語ヴァージョン、ブルースへの愛、自分のシカゴ・デイズ経験を歌っています。ジュニア・ウェルズ「Little By Little」、レフティ・ディズのところでジョン・リー・フッカーでお馴染み「One Bourbon, One Scotch, One Beer」、ココ・テーラー「Wang Dang Doodle」、B.B.キング「Rock Me, Baby」が登場します。これは全て自分の経験です。2年前の作品でライヴでも取り上げたことありますが、今回のレコーディングで歌詞を少し膨らませました。


▲Shun with ジュニア・ウェルズ


▲Shun with ココ・テーラー


▲Shun with B,B,キング

M:日本ブルース・タッチな作品、これまたShunの新たなる側面に出会ったようでもありました。エンディングは♪ブルース最高!♪そして4曲目は「Look out baby」、2018年アルバム『Rising Shun Plus』収録のオリジナル。『LIVE IN FRANCE』にも登場。



S:『Rising Shun Plus』では早いスウィングっぽいタッチだったけど、今回はデルタ・フィーリングで演奏。このナンバーのみフランス・ツアーの際にエル・ホゼのスタジオで録音、スタジオにかけてあった木製のリゾネーターを使っています。そしてエル・ホゼがアコギをプレーしています、ギター・デュオ・ナンバー。

M:続いてはブルース・スタンダード「Stormy Monday」、T-ボーン・ウォーカー1948年のヒット、「Call It Stormy Monday(But Tuesday Is Just As Bad)」。選曲理由は?

S:この名曲は多くのアーティストがカバーしているけど、アコギのソロはあまりお目にかかったことがないので、今回トライすることにしたんです。T-ボーンを基本にしながらも僕はここでちょっとジャズっぽく展開してみたのです。これからは機会があったらもっとジャズメンとも共演したい…。



M:「People get ready」、注目のR&B。カーティス・メンフィードのジ・インプレッションズ1965年ヒット作ですネ。

S:ある日リゾネーターでオープンGで遊んで弾いているうちに「People get ready」のコード進行になって歌い始めちゃったんです。この曲、僕はジェフ・ベック&ロッド・スチュワートでよく聴いていました。僕のライヴにマック上原が参加した時に彼がよく歌っていました。自分で歌うのは今回が初めて。きっとこの楽曲をドブロのオープンGチューニングで弾くギタリストなんて殆どいないでしょう(笑)。歌っているうちにこの曲はゴスペルだということに気がつきました。カーティスは幼い頃にきっと両親とか祖父母に連れられて教会に行くようになって歌を覚えたんでしょう……。ゴスペルなんで日本語で歌おうとライヴでも取り上げたこともあります。今回この曲を収録しようと日本語ヴァージョンをレコーディングしたんですけど許可が下りず、英語で再録して差しかえしたんです。♪天国に行く日が来る 皆んな準備しておこう 神様を信ずる気持ちがあれば天国行きの電車に乗れる♪。


M:僕の大好きな曲なのです、THX Shun!ボトルネック奏法がライド・オン!!続いてのナンバーはオリジナル「Old Mississippi road」。

S:Mikeさんの依頼で字幕監修させて頂いた2018年日本公開映画『アイ・アム・ザ・ブルース』、その内容にとても感激しました。
https://www.barks.jp/news/?id=1000154997


▲映画『アイ・アム・ザ・ブルース』プログラム

その前からアメリカ南部をゆっくり回りたいと思っていたんですが『アイ・アム・ザ・ブルース』を観てその想いがより募り、2018&2019年、2年続けてミシシッピ・デルタを旅しました。B.B.キング博物館、ロバート・ジョンソン墓参り、そしてクラークスデールのいろいろなクラブを訪問。





『アイ・アム・ブルース』にも登場したジューク・ジョイントBlue Front Cafeにも行きました。そこではオーナーのジミー“ダック”ホームズとのジャム・セッション!クラークスデールのモーガン・フリーマン経営Ground Zero Blues Clubでは演奏もしました。「Old Road Mississippi」と次の「Delta Lighting」はそんなデルタのことを歌い演奏しています。


▲映画『アイ・アム・ザ・ブルース』に登場するBlue Front Cafeでオーナーのジミー“ダック”ホームズとジャム・セッション


▲クラークスデールのモーガン・フリーマン経営のGround Zero Blues Clubで演奏

M:まず「Old Road Mississippi」、ここにはクラークスデール、マディ・ウォーターズ、ジョン・リー・フッカー、アイク・ターナー、ロバー・ジョンソン、ジミー“ダック”ホームズが登場してまさにデルタ・フィーリング。

S:サウスのデルタの雰囲気を醸し出しています。オープンDスライド、デルタの空気を吸うとこのようなサウンドが生まれてくるのです。



M:そして「Delta lighting」……。

S:デルタの雷、すごいんですよ。からっと晴れているある日の午後、空を見上げると遠方に真っ黒が雲が見えてきました、段々と近づいてくる、オッ雲が真上に来たなと思った瞬間凄い雷&大雨、それも風呂桶をひっくり返した様な大量豪雨。2018年にはグリーンウッド・フェスティバルにも出演することになっていて、その当日にデルタ・ライトニングに遭遇。フェスは勿論一時中断。30分位車の中やビルに避難。雨が止んだところで皆んなで雑巾を使っての水払い。フェスは再開したけど夜に入って再びデルタ・ライトニング。結局僕は出番なし、フェスが中止になってしまったので会場近くのジューク・ジョイントにお願いして他のミュージシャンとジャムリました。その時のことを曲にしたのです。

M:そしてアルバム・タイトル「In a room」………。

S:コロナ禍で部屋に閉じ込められ外に出るとウィルスに殺されてしまう。仕事も金もない、彼女もいない。不安で涙が……。オフクロや子供達は元気にしているんだろうか、でも俺は何もしてあげられない。何故なら部屋に閉じ込められているから、という悲しい曲。そしてソロのあとは誰かがどうでもいいことに腹を立てている。皆んな仲よくしよう、確かなことは何もない、でも人生はこの先も続いていく、生きていくしかない。この曲はつまり現況を歌っています。ギターはロバート・ロックウッド・ジュニアあたりの古いシカゴのスタイルへのアプローチとなっています。



M:「One day is hot, one day is cold」はオリジナル、ミディアム・アップなブギー・ナンバー!



S:デルタな雰囲気の作品、ノース・ミシシッピのヒル・カントリーのフィーリングに自分流にスリーコードを入れてのブルースにしたんです。前曲とは雰囲気を変えて、人生アップ&ダウンいろいろあるけどとにかく楽しくブギーしようぜ、というのがこのナンバーです。

M:そしてもう一曲「You are the one」。オリジナル、スローなラヴ・ソング

S:全くの新曲で最後の最後に録音。アルバムにはブルース、R&Bを収録してきたけど最後は全く違ったスタイルのバラードを作ってみたんです。聴いてくれた方がホロッとするような、食後のデザートのようなラヴ・ソング。
M:Shunのソングライターとしての敏腕ぶりに改めて拍手を送りたい。



S:ありがとうございます。この時期だからこそ制作出来たアルバム、それが『In a room』です。ミュージシャンとしてポジティヴに活動、後年とても大変な時期だったけど内容濃いアルバムが残せて良かったと思えればと考えます。自分なりにも今までとはまた違った新しい音楽性を生み出せたのです。アコースティック!そんなところもファンの皆さんに楽しんで貰えれば嬉しいです。
まだまだ厳しい状況が続きます、そんな中で3月は九州、4月以降は東北、中部、横浜、北部……をまわります。徐々にライヴを増やせていけることを祈ってます。

https://shunkikuta.com/
https://www.risingshun.com/
https://www.facebook.com/shunkikuta.music/

※インタビュー・ショット:Pic. by K. Sato
※協力:所沢MOJO



【アルバム紹介】
☆『ワン・モア・タイム:ロイ・ヘッド・コレクション』(BSMF RECORDS/BSMF-7622)


▲提供:BSMF RECORDS

1960年代中期、ライチャス・ブラザーズが大きく注目されていく中で誰が命名したのか分からないけど“Blue-eyed Soul”という音楽用語が誕生した。白人ソウル・ミュージック。当時FENでこのBESというフレーズをライチャスやヤング・ラスカルズの曲前後で聞いた記憶がある。当時の音楽ノートにもブルー・アイド・ソウル云々なんて殴り書きしてる(中学&高校時代の学習ノートは全く残ってないけど、音楽ノート、手書きUSチャートon大学ノート、そしてやはり手書きだけどR&B中心に切り抜き写真も貼り付けての100以上のアーティストが登場する私版音楽人辞典なるものまでしっかり残っている。早く断捨離せねば、笑)。そんなブルー・アイド・ソウル・シンガーとして僕が注目したのがロイ・ヘッドだった。1965年秋、彼のシャウトする「Treat Her Right」はFENでガンガンとプレーされた。僕はこのナンバーをとっても気に入っていたのだが日本では全く話題にはならなかった。僕がライナーを担当させて貰ったこの二枚組CDは、ロイの1950年代末期から1970年代までにレコーディングした46曲を収録したまさに“ロイ・ヘッド・コレクション”。白人ジェームス・ブラウンとも称されたこともあるだけにそのシャウトぶりは凄い。また一方でロカビリーも得意としていた。


▲提供:BSMF RECORDS

彼は1970~80年代にかけてカントリー・フィールドでヒットを放ち、Billboard誌Country Singlesに「Baby’s Not Home」「Come To Me」「Now You See ‘Em Now You Do’t」など24の楽曲をチャート・インさせた(ABC/ドット、ABC、エレクトラetc)。スマイリー・ルイスの「One Night 」、ロッド・スチュワートの「Tonight ‘s The Night (It’s Gonna Be alright)」、ロッギンス&メッシーナの「Your Mama Don’t Dance」といったカバーはそんなCSチャート・イン・ナンバー。2年前の映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』にはローリング・ストーンズの「Out Of Time」が挿入歌として使用されたが、ロイの「Treat Her Right」も登場している。この作品集は昨年9月21日に79年の生涯に幕を閉じたロイ・ヘッドの追悼盤である。

☆ 『ハッピー・タイムズ/ソングズ・オブ・ダン・ペン&スプーナー・オールダムVOL2』(P-VINE/PCD-17824)



2019年3月Billboard Live TOKYOで素晴らしいステージを披露してくれたダン・ペン&スプーナー・オールダム、その模様はこのコラムVol 68で“1960年代に数多くのソウル・ミュージック名作を誕生させたダン・ペン&スプーナー・オールダム。20年ぶりの来日公演に感動!“というタイトルで記した。ここにはライヴ評だけでなく二人にじっくりといろんな話を聞いたインタビューも掲載した。
https://www.barks.jp/news/?id=1000166517
このアルバムはそんな彼らの楽曲を20以上網羅したゴキゲンな内容となっている。


▲提供:P-VINE

ウィルソン・ピケット、アーサー・コンレー、ジ・オヴェーションズ、ボビー・ウォーマック(いろんな話をしたことを思い出す、大仲良しだった)、ジェームス&ボビー・ピューリファイ、ディー・ディー・シャープ(チャビー・チェッカーとのデュオLPは僕の宝物!)、パーシー・スレッジらまさに1960年代にガンガン聴きまくっていたR&B楽曲が登場。そしてDP&SAはカントリーやロック、ポップのアーティストからも一目おかれたのだった。このCDではそんな二人の敏腕ぶりをサンディ・ポージー、ボビー・ベア、ボックス・トップス、ザ・グッディーズ(このガールズ・グループも好きだった)らで味わえるのだ。

そして昨年リリースのダンのアルバム『Living On Mercy』もぜひチェックして欲しい。これも素晴らしい内容、僕の愛聴盤だ。

写真27

▲from Mike’s Collection

☆「ザ・コンプリート・アトランティック・シングルス1968-1971/ダスティ・スプリングフィールド」(BSMF RECORDS/BSMF-7620)


▲提供:BSMF RECORDS

1963~1965年頃に僕が夢中になって聴いていたUK女性歌手はヘレン・シャピロ、ルルそしてダスティー・スプリングフィールド(1960年代から彼女のレコードを購入していたファンはどうしてもダスティーと、“ー”表記にしてしまうのだ)の三人。いずれも白人ながらとっても黒っぽいフィーリングの唱法で僕らを魅了した。USのティミー・ユーロ やブレンダ・リーのように……。1964年夏、FENから毎日のようにダスティーの「Wishin’ And Hopin’」が流れて来た。元々はバート・バカラック(当時はバート・バカラッチャなんて呼ばれていたよ、ケイス・リチャードの様に……笑)とハル・デイヴィッドがディオンヌ・ワーウィックの為に共作した作品。当時はUKアーティストがUSソングライターの楽曲をいろいろ探し求めていた。ストーンズもそうだったんだ。ダスティーのこの「ウィッシン・アンド・ポーピン」はBillboard誌HOT100の6月20日付79位★初登場、その後61位★→44位★→27位★→12位★→9位★とランク・アップ。最高位6位を8月1日付★、8日付、15日付の3週で記録している参考文献:JOEL WHITBURN PRESENTS THE Billboard HOT100 Charts The Sixties)。東京オリンピック開催前後だと記憶しているが、ダスティーの「ウィッシン~」日本盤シングルをゲット、今でも大事な一枚なのだ。


▲from Mike’s Collection

その後彼女は「この胸のときめきを」で我が国でもぐっとポピュラーな存在となり、1960年代末にはR&Bの老舗アトランティック・レコードに移籍。1968~70年にかけて「Son-Of-A Preacher Man 」他10曲近い楽曲をチャート・インさせた。


▲提供:BSMF RECORDS

このCDはそんなアトランティック時代の12枚のシングルAB面を収めたファン注目の一作。ジェリー・ウェクスラー、トム・ダウト、ギャンブル&ハフらR&Bシーンのレジェンドともいえるサウンド・クリエイターが手がけた名作が24曲網羅されているのだ。

久しぶりにダスティーの書籍を何冊か引っ張り出して再読したくなった。


▲from Mike’s Libaray

【Mike's Treasure Box VOL.5】
☆ビッグ・アーティストの名刺 B.B.キング ファッツ・ドミノ イアン・マクレガン


▲ファッツ・ドミノと筆者

ミュージシャンにインタビューしたりディナーを共にした際、僕は自分の名刺を手渡すけどその殆どの方々からは名刺、ビジネス・カードを頂けない。海外、日本を含めて大方のミュージシャンは名刺を作成していない。よりフレンドリーになると僕の名刺裏面に連絡先を記してくれる。
僕が日本武道館で初めてMCしたのは1976年のヴァン・マッコイ公演。ファンキー・マイクって呼んでくれ、僕が名刺を渡すとロード・マネージャーの名刺の裏面に直筆で住所を書いてくれた。お父さんも同行していた。その3年後、ヴァン・マッコイは39歳の若さで急逝。彼はソングライター/プロデューサーとしても活躍、僕の大好きなバーバラ・ルイス1965年大ヒット「Baby, I’m Yours」は彼の作品、武道館楽屋でその話しでも盛り上がった。



日本人ミュージシャンで初めて名刺交換したのは1970年代初頭のこと、故・ムッシュかまやつ氏だった。日本在住のブルースマン/ハイ・タイド・ハリスとは一緒に映画を観に行ったりの仲だったけど彼からも名刺を貰った。アメリカでもブルースマンは割と持っているようで手元にボブ・マーゴリン、ビリー・ブランチ、ジョニー・イグアナetc何枚かある。プロデューサー的な仕事をしているベンチャーズ 創設者/ドン・ウィルソン、ポール・シェーファー、ボビー・ハートetcはビジネス・カードで積極的に挨拶する。ビル・ワイマンからも名刺を渡されたが、彼がオープンしたロンドン“Sticky Fingers ”のものだった。ローリング・ストーンズ及びRSメンバー・ソロ活動関係ではチャック・リヴェール、ティム・リース、ピーター・・キング、ジェラルド・プレゼンサー、ジョニー・リー・シェル。そして大の仲良し、ミックの弟のクリス・ジャガーにはロンドンの本屋で待ち合わせディナーを共にした時に名刺を手渡された。

今回僕のお宝名刺三枚をご紹介させていただく。B.B.キング、ファッツ・ドミノ、イアン・マクレガン。名刺はプライベートなもので、このコラムに掲載は通常であれは不可であるが、御三方とも逝去されクレジットされている住所、電話番号は既に使用されていないということで敢えて取り上げさせていただいた。

◆B.B.キング
彼の来日公演は毎回2~3度は楽しんだ。ニューヨークでのステージも圧巻だった。



1972年秋の二度目のLive in Japan時に僕は故・桜井ユタカ氏と御大にインタビューした。その模様は「Soul On 」No.11 に掲載。最後に掲載誌を郵送したいので住所を教えてくださいと言ったらこの名刺を手渡されたのだった。


▲B.B.キングにインタビューする故・桜井ユタカさん(右)と筆者

チャック・ベリー、リトル・リチャード、ボ・ディドリーそしてファッツ・ドミノ。この四人は1955年前後のロックンロール黎明期に多くの若者の心を捉えた黒人アーティストである。その一人、ファッツ・ドミノは1974年2月に来日。招聘元からの依頼で、ファッツ日本公演前に幾つかの都内公会堂でプロモ・イベント/フィルム・コンサートのナビゲーターを務めた。ゲストは湯川れい子さんだった。無料でプレゼントありということで各回なかなかの盛況ぶり。ファッツ来日公演に期待が寄せられたが、いざ蓋を開けてみるとコンサートの方の集客は30%ほど。でもファッツはそんな状況を苦ともせず素晴らしいステージを務めあげ観客を大感動させた。そんな一人が故・大瀧詠一ということを最近WEBで知った。プロモーション協力の褒美としてファッツに会わせて頂きミニ・インタビューしたのだった。


▲ちょっぴりポートレート風な名刺で連絡先は裏面に記されている。

◆イアン・マクレガン
マックことイアン・マクレガンといえばスモール・フェイセズ、フェイセズのキーボード奏者として知られた。ローリング・ストーンズのツアー・メンバーとしても活躍したことがある。初来日は1974年のフェイセズ公演、日本武道館Liveは感動した。そしてマックは1991年ロニー・レインと川崎のCLUB CITTAでドラマティックなステージを披露。終演後二人とゆっくり話した。


▲左からマック、ロニーそして筆者

1993年1月ロニー・ウッドSlide On This Japan Tour 、キーボード奏者はマックだった。僕はロニー命令で急遽、大阪厚生年金会館、福岡サンパレス、愛知県民会館そして武道館で(カゲだったけど)MC担当した。関空に着いたその夜からロニーとマックそしてMikeを中心に毎晩大酒大会で盛り上がった。福岡ではkaraokeにも行ったんだ。その時に改めて名刺交換。マァよく呑んだ。呑んだといえば、マックがロッド・スチュワートの1996年ツアーのバック・ミュージシャンとして日本の土を踏んだ時にも毎晩のように品川の焼肉屋や僕の高校・大学の同期生が営む“ぎっちょん”etcで酒盛り。そんなある晩、マックのが六本木のアイリッシュ・バーPADDY FOLEY'S TOKYOに行きたいと連絡があった。アマンド前で待ち合わせた徒歩数分のアイリッシュ・バーへ。しばらく呑んで河岸を変えようとマックに言うと友人がもうすぐ来るからもうちょっとここで呑み続けるようということになった。そしてその友人がやって来た、ロッドだ!


▲右からマック、ロッドそして筆者

店内は大パーティー!!酔っ払いMikeはロッド&マックが揃ったところでダブリン郊外のロニー・ウッドへ携帯電話しようなんて言い出す。リーンリーン、ロニーが出た。それから数十分、ロッド&マックは何度も交替しながらロニーとペチャクチャ………。まだ通話料がお高い時代、翌月のdocomoからのインボイスに悲鳴したよ。
マックとはその後も連絡を密にしていた。CDライナーノーツ用にマジ・インタビューもした。オースティン郊外のマック邸へ遊びに行くことにもなっていた。2011年フジロック出演の為にフェイセズとして来日した際に会ったのが最後になってしまった。3年後イアン・マクレガン逝去、享年69。



【Mike‘s Work VOL.5】
☆B.B.キング「小さなお願い」


▲from Mike’s Collection

1970年代に入りブルースがぐっとモダン化しロック・ファンからも注目を集めるようになった。我が国ではその一方で、マニアックなブルース愛好者からB.B.タイプのサウンドや白人ロッカーと交流するブルースマンは批判対象となった。小学生の頃からヒット・チャートで育ちジャンルなんてどうでもいい、グッド・ミュージックはグッド・ミュージックというポリシーで音を楽しんでいた僕は(まさに音楽!評論家は音楽を音学にしてしまう、俺は音楽紹介屋だと粋がっていた、モチその基本姿勢は今も同じ、初志貫徹だ)。この1972年夏にリリースされたシングル盤ライナーノーツで僕は御大のUSジャズ誌のインタビューを引用しながら彼の音楽姿勢を記した。それはマニアに向けてのメッセージでもあったのだ。このナンバーではB.B.がジェシー・デイヴィスと共演している。尚、ジェシーのデビュー・アルバムのライナーは僕が担当した。このコーナーでもそのうちピックアップしたいと思っている。


▲from Mike’s Collection

☆テリー・リード「バン・バン」


▲from Mike’s Collection

2019年5月Billboard Live TOKYOで素晴らしいステージを披露してくれたテリー・リード、その模様はこのコラムVol.75で“レッド・ツェッペリンを蹴ったテリー・リードが久々の来日公演。素晴らしいLIVEを我々に披露!半世紀以上に亘ってロックし続けるテリーにインタビュー敢行。ストーンズやツェッペリン、パープル、ジミヘン、ECとの交友も聞いたぞ!!“というタイトルでインタビュー&ライヴ・レビューを記した。
https://www.barks.jp/news/?id=1000169982
ライヴ9曲目前のMCでテリーは“さっき友達のMikeがインタビューしてくれて…”なんて一言、僕を喜ばせた。



このシングル盤は1971年春にリリースされた。ミック・ジャガーお気に入りのロッカーだったテリーはここでシェールのヒット曲をカバーしているのだ。


▲from Mike’s Collection

因みにこのシングルのライナー依頼は故・石坂敬一さん。そして歌詞対訳はフジテレビ“リブヤング”で数年僕と共演した故・今野雄二さん。


▲故・石坂敬一さんと筆者

【湯川れい子 洋楽裏話 千夜十夜 with マイク越谷】
“第二夜 マイケル・ジャクソン~冬の午後のマイケル秘話”



日本のポピュラー・ミュージック・シーンをリードして60年。数多くの洋楽アーティストと交流を重ねてきた湯川れい子さん。所属していた日本のレコード会社の社長も会ったことのないアーティストも何人か…。そんな湯川さんの長い歴史の中でも、これだけは話しておきたいという秘話を、今だから仲の良い友人やゲストを交えて、あんな話、こんな話、涙が止まらない思い出の数々などを貴重な音源や映像を交えながのトーク・セッションです。
第二夜は前回に続いてマイケル・ジャクソン!そう、昨年11月の第一夜ではご紹介しきれなかった秘話がまだまだあります。その日ご来場いただいた皆さんから“アンコール”のお声を頂き急遽マイケル再登場。今回のゲストもすごいのです、1991~96年マイケルのバック・ダンサーとして活躍したユーコ・スミダ・ジャクソンさん。



彼女はジェームス・ブラウン、ミック・ジャガー、プリンスほか多くのビッグ・アーティストとも“共演”しています。マイケルの素顔をじっくり語ってくれるでしょう。
そしてマイケル・ファンにはお馴染みソウル・ミュージック界の重鎮・吉岡正晴さんも第二夜に登場なのです。湯川さん&Mikeはミスター・アーリーバードと半世紀の付き合い、彼はマイケルの家にも行ったことあるんだってWOW、どんなマニアックなトークが飛び出すか、乞うご期待。



今回もteeプレゼント・コーナーで盛り上がりましょう!アルコールのいける人はお好きなお酒を手に。飲めない人はソフトドリンクで。お食事もありますヨ。そうそう「今のうちに聞いておかないと、損するよ!!」とれい子さんが言っていま~す。
◆ナビゲーター:湯川れい子 @yukawareiko
        Mike Koshitani https://www.barks.jp/keywords/mikes_boogie_station.html
◆お客様:ユーコ・スミダ・ジャクソン https://cellulam.co/yuko-sumida-jackson/
     吉岡正晴 https://note.com/ebs
◆日時:2021年3月28日 日曜日
OPEN 13:30 / START 14:00
◆入場料:予約¥3000 (+お飲み物¥600 アルコールもご用意してあります)
▲お食事もございます
◆予約サイト
https://www.loft-prj.co.jp/schedule/reserve?event_id=167820
◆お問い合わせ:LOFT9 Shibuya
TEL: 03-5784-1239(12:00-22:00)
http://www.loft-prj.co.jp/loft9/  



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