ニュース・最新情報
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スティーリー・ダン、ドナルド・フェイゲンが入院したためイーグルスのツアーから離脱
先月、アメリカで開幕したイーグルスの最後のツアー<The Long Goodbye Final Tour>にオープニング・アクトとして参加していたスティーリー・ダンが、フロントマンのドナルド・フェイゲンの体調不良により、ツアーから離脱した。
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イーグルス、ラスト・ツアーの開催を告知
イーグルスが、ファイナル・ツアーを開催することを告知した。
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スティーリー・ダン&ドナルド・フェイゲン、ライヴ盤9月24日同時発売決定
スティーリー・ダンの『ノースイースト・コリドー:スティーリー・ダン・ライヴ!』と、ドナルド・フェイゲンのファースト・ソロアルバムにして名盤中の名盤のライヴ・バージョン『ナイトフライ:ライヴ』 の発売が決定。
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ドナルド・フェイゲン、ウォルター・ベッカーと過ごした最後の時間を語る
ドナルド・フェイゲンが、スティーリー・ダンのバンド・メイト、ウォルター・ベッカーが今年9月に亡くなって以来初めて本格的なインタビューに応え、ウォルターと過ごした最後の時間について語った。
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スティーリー・ダン、ウォルター・ベッカー死後初のツアー開催を発表
今月初めウォルター・ベッカーを喪ったスティーリー・ダンが、10月に北米ツアーを行なうことを発表した。
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S・ルカサー、スラッシュ、R・アダムスら、ウォルター・ベッカーを追悼
日曜日(9月3日)、スティーリー・ダンのウォルター・ベッカーが亡くなり、ミュージシャンや音楽ファンから多くの追悼の言葉が寄せられている。
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スティーリー・ダンのウォルター・ベッカー、死去
60年代終わり、大学でドナルド・フェイゲンと出会い、スティーリー・ダンを結成したウォルター・ベッカー(G/B)が、日曜日(9月3日)亡くなった。
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エンパイア・ステート・ビル、スティーリー・ダンの曲でライトアップ
先週木曜日(10月29日)、NYのエンパイア・ステート・ビルディングにマスターFMアンテナが設置され50年が経つのを記念し、スティーリー・ダンの1978年の曲「FM (No Static At All)」に合わせビルがライトアップされた。
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スティーリー・ダン、ロバート・ダウニー・Jrの誕生会で演奏
▲デュラン・デュラン4月4日、50歳の誕生日を迎えた俳優のロバート・ダウニー・Jrは、パーティーを開き、デュラン・デュランとスティーリー・ダンに演奏してもらったそうだ。
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ドナルド・フェイゲン/マイケル・マクドナルド/ボズ・スキャッグスから成るTHE DUKES OF SEPTEMBER RHYTHM REVIEWの日本公演が決定
ドナルド・フェイゲン、マイケル・マクドナルド、ボズ・スキャッグスが一堂に会して行なうスペシャル・ライヴ、“ザ・デュークス・オブ・セプテンバー・リズム・レヴュー”の日本公演が決定した。
プロフィール・バイオグラフィ・リンク
オリジナルメンバーのWalter Becker(シンプルなベースと熱く燃えるようなギターで知られる)とDonald Fagen (厳粛なキーボードとうなるようなヴォーカルで知られる)を中心に、絶えずメンバー交代を繰り返していたSteely Danの楽曲には、ジャズ色を帯びたメロディや、才気溢れる…しかし、しばしば理解不可能な歌詞、そして素晴らしく創造性の高い演奏が随所にちりばめられていた。痛烈だがユーモア溢れる人間社会の観察記を盛り込んだその嘲笑的な楽曲はまさに、誰にも真似できない独特の芸術であった。
''67年にニューヨークのBard Collegeで出会ったBeckerとFagenは、間もなくしてBrill Buildingというクラブで(その頃2人が在籍していたJay & the Americansの救いようのないギグの合間に)彼ら自身の曲を売り込もうとするようになった。この頃、彼らはBarbra Streisandに曲を提供している。
''72年、当時ABC-DunhillのプロデューサーであったGary Katzが、この大胆不敵なデュオに目を付け、彼らをカリフォルニアに呼び寄せた。そこで2人はデビューアルバム『Can''t Buy A Thrill』をレコーディングするのである。
このアルバムからは“Reelin'' In The Years”(Denny DiasとJeff "Skunk" Baxterによる非常に刺激的なギターソロを聴くことができる)や、シタールの音色を用いた“Do It Again”などのクラシックヒットのほか、“Dirty Work” “Fire In The Hole”といった名曲が生まれた。
その後、『Countdown Ecstasy』でより実験的なロックを披露し、さらに『Pretzel Logic』でアコースティックカントリーとトラッドジャズの融合を試みたのち、BeckerとFagenは、曲作りと完璧なレコーディングに集中するため、以前から不満と嫌悪感を抱いていたツアー活動を一切ストップしてしまう。
プロデューサーにKatzを、エンジニアにRoger Nicholsを迎えた、BeckersとFagenの典型的なレコーディングスタイルは、幾つものセッションを重ねて1つの楽曲を作り上げていく、というものであった(この頃、オリジナルバンドのDiasとBaxter、そして名ドラマーとして人気の高かった故Jeff Porcaroは、演奏だけを残して既に解散していた)。
こうした異常なまでのオーヴァーダビングへの固執が実を結んだのが、一風変わった傑作『Katy Lied』『The Royal Scam』である。この2つのアルバムによってSteely Danは、洗練されたアレンジと一点の狂いもない完璧な演奏、独特の捻じ曲がったキャラクター描写という彼ら特有のサウンドの青写真を確立した。
そして、Steely Danの人気は『Aja』の見事なレコーディングによって不動のものとなる。このアルバムからは、従来通り物質的快楽への皮肉を随所にちりばめつつ、娼婦 (“Josie”)や麻薬(“Black Cow”)を描いた、耳なじみの良いポップファンク系のヒット曲が生まれた。ところが、メガプラチナ級の大成功を収めた『Aja』に続いて発表された『Gaucho』は、依然として普通の騒々しいロックとは比べ物にならないほど高尚な出来ではあったものの、あまりに計算され過ぎて面白味も熱意も感じられず、彼らならではの素晴らしいポップソングを披露することができなかった。
その後、ドラッグやマンネリ化、ソングライターとしての壁といった問題に嫌気がさし、''81年に一旦コンビを解消したBeckerとFagenであったが、''95年に『Alive In America』でSteely Danとしての活動を再スタート。だが、かつてのDanの強烈なスピリットをより忠実に反映し、Steely Danの代表作として数えられるに値するのはむしろ、Beckerのソロアルバム『11 Tracks Of Whack』とFagenのソロアルバム『The Nighty』の方だろう。
''90年代に数回に渡る再結成ツアーを成功させたSteely Danは、続いてニューアルバムの制作に取りかかると発表。彼らの昔ながらの伝統にのっとって作られたその作品は、完成までに数年の歳月を要した。しかし、遂に2000年2月29日、Steely Danのほぼ20年ぶりの新曲を収録したアルバム『Two Against Nature』は発売されたのである。