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 Police は、''80年代終盤に登場したバンドの中でも有数の重要なバンドといえるだろう。レゲエを基調としたソウルフルな楽曲は独創的で忘れがたく、数々のアルバムも時の試練に見事に耐えている。初期のレコードなど、今日でもなおリリース当時と変わらず画期的に響く。

 Police――ヴォーカル兼ベーシストのSting(本名Gordon Sumner)、ドラマーのStewart Copeland、ギタリストのAndy Summers――の結成は''77年。A&Mとの契約以前からチューインガムの広告に採用され、そのために揃って明るいブロンドに染めた髪は、グループの存命中ずっとそのままだった。
 Policeが最初のアルバム『Outlandos D''Amour』を発表したのは''78年だが、1stシングルの“Roxanne”も当初は失敗に終わり、アルバムの売上もせいぜい平均並みといったところだった。
 しかし''79年、“Message In A Bottle”や“Walking On The Moon”といったシングルを擁する『Regatta De Blanc』のリリースで、Policeは遂に大ブレイクを果たす。その間も、Copelandの兄弟であるMilesをマネージメントに、もうひとりの兄弟のIanをツアー担当に迎えたPoliceは、コンスタントにツアーを続けていった。
 ''80年には『Zenyatta Mondatta』をリリース。そして''81年には、BeatlesのプロデューサーであるGeorge Martinの、モンセラットにあるスタジオで『Ghost In The Machine』を録音。
 このアルバムには“Invisible Sun”“One World (Not Three)”等、政治意識の高い楽曲も収録されていた。これがアメリカでは第2位、英国では第1位になって、Policeはようやく、音楽界の有力選手としての地位を確かなものとしたのである。

 ''83年に発表した『Synchronicity』からは、“Every Breath You Take”が全米チャートの1位にまで上昇。しかしながら、早くもバンド内には問題が持ち上がっていた。乗り出したツアーは過去最高の成功を収め、ソールドアウトを連続しながら、ニューヨークではシェアスタジアムでの一大パフォーマンスも敢行したものの、メンバー同士の折り合いは良くなかった。
 ''84年、ツアーの終了と共に彼らはさっさと姿をくらまし、それぞれソロプロジェクトに没頭する。中でも最も成功したのはStingで、『The Dream Of The Blue Tutles』はプラチナム・アルバムとなった。
 ''86年の半ば、バンドは最後のショウ(Amnesty Internationalのチャリティ)と、ベスト盤『Every Breath You Take: The Singles』用の新曲の録音のために顔を揃える。誰も新曲の用意がなかったので、''80年のヒット曲“Don''t Stand So Close To Me”の、あまり気合の入らないリメイクに落ち着いたが、それ自体がまた対立関係を助長してしまう。以来、今日に至るまで、あの面々が揃って仕事をしたことはない。

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