ニュース・最新情報
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【ライブレポート】レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、キッズから年配の方まで全世代歓喜
レッド・ホット・チリ・ペッパーズの<The Unlimited Love Tour>公演が東京ドームにて5月18日、20日に開催された。
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レッド・ホット・チリ・ペッパーズのジョン・フルシアンテ「僕は握手はしない」
Photo Credit: Clara Balzaryザ・ブラック・キーズのパトリック・カーニーは、レストランでレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーとジョン・フルシアンテに遭遇したとき、フルシアンテから握手するのを拒否されたそうだ。
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レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、アンソニー・キーディスの自伝が映画化
Photo Credit: Clara Balzaryレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフロントマン、アンソニー・キーディスが2004年に出版した自伝『Scar Tissue』が映画化されるそうだ。
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レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、オーディションでのチャド・スミスの第一印象は最悪
Photo Credit: Clara Balzaryレッド・ホット・チリ・ペッパーズの『Mother‘s Milk』(1989年)をプロデュースしたマイケル・バインホーンによると、1988年にD.H.ペリグロが解雇された後行われた新ドラマーのオーディションは難航し、最後に姿を見せたチャド・スミスの第一印象は最悪だったという。
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レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、イベント出演中止を歌で謝罪
Photo Credit: Clara Balzary週末(12月9日)、米ロサンゼルスで開かれたラジオ局KROQ主催のクリスマス・イベント<Almost Acoustic Christmas>への出演をキャンセルしたレッド・ホット・チリ・ペッパーズが、フロントマンのアンソニー・キーディスによる歌で、謝罪すると共にその理由を説明した。
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グレン・ヒューズ、チャド・スミス&ジョー・ボナマッサとディープ・パープルの楽曲をプレイ
グレン・ヒューズが先週金曜日(9月8日)、米ロサンゼルスのビバリーヒルズで開いた公演に、ブラック・カントリー・コミュニオンで活動を共にするギタリストのジョー・ボナマッサとレッド・ホット・チリ・ペッパーズのドラマー、チャド・スミスがゲスト出演した。
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【ライブレポート】レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、約16年ぶり単独公演“東京ドームに還ってきた”
Photo Credit : David MushegainRed Hot Chili Peppersが2月19日、東京ドームにて約16年ぶりの来日単独公演<レッド・ホット・チリ・ペッパーズ ワールドツアー 2023 ライブ・イン・ジャパン>を開催した。
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レッド・ホット・チリ・ペッパーズ来日公演、追加席の発売決定
レッド・ホット・チリ・ペッパーズが2月19日から開催する<レッド・ホット・チリ・ペッパーズ ワールドツアー2023 ライブ・イン・ジャパン>のチケットの追加販売が決定した。
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レッド・ホット・チリ・ペッパーズのチャド・スミス、パブで17人を前にパフォーマンス
Photo Credit: Clara Balzaryオーストラリア・ツアー中のレッド・ホット・チリ・ペッパーズのドラマー、チャド・スミスが、メルボルン滞在時に訪れたパブで、わずか17人を前にパフォーマンスしたという。
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テイラー・ホーキンスの息子、ドラマー・アワードを受賞
昨年、父テイラー・ホーキンスの追悼公演でフー・ファイターズと共にドラムをパフォーマンスしたホーキンスの息子シェーン君(17歳)が、ドラマーの功績を称える<Drumeo Awards>でパフォーマンス・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
プロフィール・バイオグラフィ・リンク
1984年にEMIアメリカ傘下のエニグマと契約。アルバム『The Red Hot Chili Peppers』を発表する(ただし、ハイレルとアイアンズは他に契約のあるバンドを掛け持ちしていたため、RHCPの契約には参加できず)。
1987年9月発表の『The Uplift Mofo Party Plan』では、インナースリーヴに全裸1歩手前の自分たちの写真を掲載し“脱ぎっぷり”のよさをアピール(!?)、ますますもってオバカ・キャラが際立つことになるが、音楽的にはテクニックもアイディアも豊富なところを見せつけていた。ところが、アルバム発売3ヵ月後に、ハイレルがドラッグの過剰摂取で他界。ハイレルとは幼馴染みであるアイアンズも、そのショックの大きさから脱退を表明。RHCPには解散説まで流れる。
しかしアンソニーとフリーは、17歳のギタリスト=ジョン・フルシアンテ/John Fruscianteとチャド・スミス/Chad Smith(Dr)を得て、新生RHCPをスタートさせ、1989年8月、アルバム『Mother’s Milk』を発表する。アメリカではこのアルバム・ジャケットがわいせつ問題にまで発展、物議をかもした。
1991年9月、鬼才リック・ルービン/Rick Rubinをプロデューサーに迎えた『Blood Sugar Sex Magic』発表。このアルバムからは「Under The Bridge」、「Give It Away」、「Breaking The Girl」などのシングル・ヒットが続出、アルバムも全米トップ3入りを果たし、一躍人気バンドの仲間入りをすることになる。ところが、1992年5月、来日公演中のバンドから突如ジョンが脱退。
1994年、新メンバーにデヴィッド・ナヴァロ/David Navarro(g:元ジェーンズ・アディクション)を迎えた彼らは『ウッドストック・フェスティバル』に出演。翌1995年にはアルバム『One Hot Minute』を発表し、「Warped」などのシングルがヒット、アルバムも好セールスを記録した。
1998年6月にはワシントンD.C.で行なわれた<チベタン・フリーダム・コンサート>に出演。ここでかねてから噂されたジョン・フルシャンテの復帰が実現。1999年6月にはフルシアンテ復帰第1弾作となる『Californication』を発表した。
2002年7月には新作『By The Way』をリリース。タイトル曲はシングルとしても大ヒットを記録し、アルバムは結果的に世界で800万枚を超えるセールスを記録した。
2006年5月、「Stadium Arcadium」をリリース。世界各国のチャートで1位を獲得。オリコンでも1位に輝いた。先行シングルとなった「Dani California」が、同年に日本で公開された『デスノート』の主題歌として採用。同アルバム収録の「Snow ((Hey Oh))」も『デスノート the Last name』の主題歌に採用された。また、このアルバムで3度目のグラミー賞を受賞している。
2009年12月、ジョンが再び脱退。2011年に、後任としてジョシュ・クリングホッファーが加入。8月に5年ぶりのアルバム「I’m With You」をリリースした。このアルバムは18ヶ国で1位を獲得。
2012年4月にはバンドはロックの殿堂(Rock and Roll Hall of Fame)入りを果たした。
2016年6月、またも5年ぶりとなる通算11枚目のアルバム「The Getaway」をリリースした。
1984年のデビュー以降、壮絶なライヴ・パフォーマンスと名曲の数々で多くのファンを獲得し、6000万枚超のセールスを誇る。
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- 受付終了
フジロックフェスティバル’16
公演日
2016年7月23日(土)会場
新潟県: 苗場スキー場
- 受付終了
フジロックフェスティバル’16
公演日
2016年7月23日(土)会場
新潟県: 苗場スキー場
- 受付終了
フジロックフェスティバル’16
公演日
2016年7月22日(金)会場
新潟県: 苗場スキー場
- 受付終了
フジロックフェスティバル’16
公演日
2016年7月22日(金)会場
新潟県: 苗場スキー場
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フジロックフェスティバル’16
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2016年7月22日(金)会場
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