| Steely Danが20年ぶりにスタジオアルバム『Two Against Nature』をリリースしたと聞いても、商業的に大した成果はあるまいと思うのが普通かもしれない。確かにWalter BeckerとDonald Fagenのデュオは、'70年代に何枚もプラチナアルバムを達成し、今でもその辛辣な物語風の歌詞を創ることにかけては天才的だ。しかし、西暦2000年ともなれば音楽業界も様変わりし、冷笑を誘う歌詞を書く2人の吟遊詩人(バードカレッジ出身)のことなど忘れ去っているかのようだ。Steely Danの緻密に計算されたスタジオポップは、ポストパンクの時代には破門されたも同然。スムースジャズのラジオはKenny Gに取って代わり、FMアングララジオなどすでに消え失せ、BritneyやBackstreetといった美形全盛の今、はっきり言って、2人のような変わり者は疎まれる存在なのである。 こういう状況の下、OasisやSmashing Pumpkinsと同じ日にリリースされた、その名も『Two Against Nature』という2人のアルバムが、2ヵ月以上たった今も全米トップ200入りしているのは、いささかショッキングなことなのだ。ブリットポップやオルタナティヴの連中の売上がすでにポシャっているところを見ると、Steely Danはやはり筋金入り(Steely)といえそうだ。 「Oasisというのは、メンバーがいつもやり合ってばかりいるバンドだろ? Smashing Pumpkinsはスマッシング・パンプキンヘッド(うすのろ)じゃないのかい?」とWalter Becker。この2つのバンドより売れ行きがいいと言われて、高笑いだ。「実のところ、ああいうバンドはよく知らないんだ。Oasisは“Where were you while we were getting high”とかいう歌が確かあったよね?」とまた大笑い。 「Smashing PumpkinsやOasisが、ポップ市場ですでに賞味期限切れになったかどうかは分からない。僕たちは'80年にSteely Danのレコード作りをやめた時、2年ほどはまだレコードが売れるだろうから、それから何か他のことをすればいいやと思っていた。だからこれはまったく予想外の展開なんだ」 BeckerとFagenにとっては予想外かもしれないが、彼らのファンにとっては『Two Against Nature』は、まるで昔の友達に何年ぶりかでばったり出会った感じである。辛辣なウィットに富んだ皮肉屋で、読書と音楽の趣味が最高で、それともう1つ……。かわい子ちゃんにも目がない。2人はどうやら、ドラッグの愛用(との噂だった。『Gaucho』の“Time Out Of Mind”を参照)をやめ、いろんな女性と付き合うことにしたらしい。しかも、ありとあらゆる小悪魔たち! “Cousin Dupree”ではヤリたがりの従妹をコミカルに歌い、“Negative Girl”は(“ミルク色の肌”の)難しいティーン、そして“What A Shame About Me”はいかがわしい娘の話。Steely Danのキャリアの中でも、歯に衣着せぬことでは群を抜いて辛辣な歌詞に加え、『Two Against Nature』では彼ら独特の強力なリズムと洗練されたジャジーなメロディが聴かれ、出来合いのポップや単調なヒップホップとは明らかに一線を画している。 「思うに、ポップミュージックの特に野心的な連中は、メロディを大事にしていないんじゃないかな。ヒップホップの多くはメロディがまったくないのもあるし、あってもおざなりだ。それに今の時代のエレクトリックギター・ロックンロールは、どれもほとんど差がない」とBecker。 これまでもSteely Danが他のバンドより優れていたのは、セッション・ミュージシャンから素晴らしいパフォーマンスを引き出す力である。『Katy Lied』や『The Royal Scam』、『Aja』のギターソロや繊細なドラムは、ドラムのSteve GaddとJeff Porcaroに、ギターのLarry Carlton、Dean Parks、Elliot Randallらによるもの。Steely Danのアルバムの錚々たるゲストはみな、そのユニークなスタイルでBeckerとFagenのスタジオアプローチに究極の味付けをしている。ただ、今回のアルバムのプレーヤーたちは高い技術を持っているものの、これまでよりいくぶん控えめである。 マンハッタンにいるDonald Fagenが電話で説明する。 「ミュージシャンはそれぞれプレイの仕方が違う。だからR&Bプレーヤーにも様々なミュージシャンがいるだけでなく、彼らが一緒にプレイした時のグルーヴも違うし、やり方も違うんだ。'70年代のプレーヤーは訓練も違っていたから、もっとジャズやR&Bがミックスされていた。それ以前は本物のジャズ、あるいはR&Bプレーヤーだった。それにセッションプレーヤーはジャズのテクニックが上手くなると、グルーヴがなくなってくる場合が多かった。でも最近では釣り合いが取れてきて、すべての面で上手いプレーヤーが出てきている。いろんな音楽を聴いてる連中が多いからね」 Steely Danの特徴はそれほど変化していない。“Kid Charlemagne”や“Josie”での勇敢な敗北者や、“Third World Man”“Don't Take Me Alive”“The Caves Of Altamira”の背教者といったストーリーを好んで取り上げる。『Two Against Nature』も同じだ。Fagenは言う。 「作詞者は誰でも、ある形式を作り上げるから自然と似た作品ができやすい。たいてい自分の経験や観察したことがベースとなっている。僕たちは短い中にストーリーを作り上げることが、だんだん上手くなっている。例えば“Jack Of Speed”(同名の曲の主人公)の具体的なモデルはいないけど、極めて危険な人物だと考えている」 今回のSteely Danの歌の主人公には、恐ろしいものもいるが、Cousin Dupreeのように夢も希望もないのは単純に可笑しい。また“What A Shame About Me”のヘボ作詞家のように、少なくとも表面的には同情を買うものもある。Fagenの、惨めさにユーモアを加える腕は最高で、この歌の背景であるマンハッタンのStrand書店のことを語ってくれている。 「'70年代初期、ニューヨークに住んでいて、僕はよくあそこへ教科書を売りに行っては家賃の足しにしていたんだ。当時はロウアー・ブロードウェイのあたりはかなり悲惨だった。今でもまた別の意味で悲惨だけどね。車のナンバープレートによくこう書いてあったもんだ。“SoHo sucks, bring back the trucks(ソーホーはひどい、トラックをどけろ)”って。ソーホーは倉庫ばかりだったんで、通りには大型トラックが所狭しと駐車しては荷物の積み下ろしをやっていた。その後、アートっぽくなってきて、そういうナンバープレートをよく見かけるようになったんだ」 “What A Shame About Me”は純真さの喪失を歌っているが、Steely Danのほとんどの歌がそうであるように、奥が深い。Fagenは言う。 「昔の友人の中には、人生が期待していたほど素晴らしくいかなかった人たちがいる。50歳を越えても、それを納得して受け入れることができないんだ。でも僕たちの世代というのは、誰もが大きな期待を持っていた。まあ、どんな世代もある程度期待を持つものだがね。ただ、生きていくにつれ、思い通りにならないことも出てくるし、思い通りのことを達成したとしても、意外な結果を招くこともある。だから“What A Shame About Us”と言い換えてもいい」 この歌に出てくる40歳くらいの主人公は、Strand書店で本を並べる仕事をしている。そこへハリウッドで大成功した昔の恋人が現れ、彼女と昔の友人たちのきらびやかな暮らしぶりを語ってくれる。昔のよしみで今夜どう? といわれるが、主人公は誘いに乗らない。「ここはロウアー・ブロードウェイだよ。きみが話しかけているのは幻さ」 「たいていの人は、この歌の主人公のことをうだつの上がらない男と思うだろう」とFagen。「でも彼には高潔さがある。おそらくこの女にはない高潔さがね。それは今でも反抗心をなくしていないからかもしれない。何か良心的な部分があって、それは成功と呼べるものかもしれない。Kid Charlemagne(Steely Danの名曲の主人公で、ウェストコーストの麻薬ディーラーから足を洗った男)と同じような人物なんだ。Kidは'60年代によくいた狂信的な男だが、'60年代が終わると突然我に返り、それまでの償いをする羽目になるんだ」 またこの歌は、'60年代のイデオロギーや政治、社会問題を取り上げ、それが現在の企業/消費者文化の中でどのように変化してきたか、巧みに検証している。BeckerとFagenはこういう問題を語る才能に非常に恵まれ、その時代を実際に生き、しかもインテリだったのである。 「僕たちは歌の内容よりも、洗練されたスタイルかどうかを見る」とFagen。 「歌を書いたりバンドをやっていくうえで、僕たち自身が問題の一部となっていないという確信はない。だから最善を尽くすだけだよ」と彼は笑う。 「'60年代には感嘆に値することがいろいろあった。何かが始まったものの、完結しないままとなってしまったこともある。多くの前向きなことが横道にそれてしまった一方で、多くの悪いことが今も廃れず生き残っている。今では'60年代のことをまったく反対の目から振り返ったものがあるが、それは完全に間違っている。単なるスタイルだったと見る向きもあるが、'60年代には極めて知的な部分もあったのに、それが分からない連中がいるんだよ。当時は常にすべてのことを疑い、自分の利益については、いわば無関心だった。これが知性派にはよかったんだ。というのも、金で買われたり降参してしまう前に、思考する時間がたっぷりあったからだ」 では、私たちは今の時代のことをどう考えたらよいのだろうか? Nick DrakeやJohn Martyn、Iggy Popのような、かつては一般受けしなかったアーティストによる音楽が、テレビコマーシャルのサウンドトラックになっている現象を、どうとらえたらいいのか? みんな、死んでしまった人たちでさえも、金に買われてしまったのか? Fagenの答えはこうだ。「僕たちの世代は今、開いた口がふさがらない心境かもしれない。今回のアルバム『Two Against Nature』も、そういう心境を込めているんだ。世の中いったいどうなっているんだ、という心境だけれども、それでもなんとか気分良くしていたいと努力しているわけさ」 |