Rushの活動停止から3年、Geddy Leeが初のソロアルバムを発表

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Rushの活動停止から3年、Geddy Leeが初のソロアルバムを発表

 

 

長いこと待たされはしたものの、超絶技巧派バンドRushのヴォーカリスト兼ベーシストとして31年もの間プレイし、22枚ものアルバムを出してきたGeddy Leeが、ついに自身の初ソロ作品を発表した。ソロアルバム『My Favorite Headache』は、このカナダのトリオバンド最後の作品『Test For Echo』から4年、また、ドラマーのNeil Peartが妻と娘を失うという不幸な出来事(この悲劇からRushの全活動が停止した)から3年を経てのリリースとなる。

ああした状況では(Rushなど)些細なものだった」とLeeは事情を説明する。「乗り越えるのに何年かかるか分からないってことを、我々も承知していたしね。しばらくバンド活動は停止するだろうってことが、どう見ても明らかになってきた時点で僕は曲作りに取り掛かった。でも、アルバムを作ろうと決心するまでには、さらに2年くらいかかったんだ

これをひとつにまとめようと、もの凄い使命感を感じた時期が何度かあった」とLeeは続ける。「生まれて初めて、自分1人でありとあらゆることをやってのけなければならない、という心持ちになってね。もうそれだけで、人生これ勉強って感じだった。マスタリング作業中にはついに頭が爆発したよ(笑)。でも、僕はいつもそんなふうというか……、まるで苦い結末を迎える出来損ないの完全主義者って感じ

『My Favorite Headache』――楽曲はGeddy LeeとFMの前ギタリスト、Ben Mink、ゲストドラマーのMatt Cameron(SoundgardenPearl Jam)、Jeremy Taggert(Our Lady Peace)との共作――が、Rushのアルバムに似ているのは自明のことではあるが、それにしても長年の癖は簡単には抜けないという典型である。もちろん、これはRushの純粋なファンには喜ばしいことだろうが……。


――初のソロアルバムをリリースするにあたって、'74年のRushのデビュー時と同じような興奮を覚えましたか?

GEDDY:いや、残念ながら、もうこれまでに、ありとあらゆることを経験してしまったからね(笑)。でも、そういうナイーヴな面を失った分、より多くの場面で感謝の心を感じるようになった。自分の思いどおりにレコードを制作できる機会がいかに稀であるかとか、自分がいかに参加メンバーに恵まれているかということを考えてみて、特にね。だから、そうした単純な興奮の代わりに、自分が選んだフィールドでずっとクリエイティヴでいられるという満足感が得られるのならば、僕はいいと思うよ。


――当時のナイーヴな感覚を懐かしいと思うことはありませんか? あるいは、さらに遡って、レコードがどんなふうに作られたかも知らずに、ただ聴いて、音楽そのものの素晴らしさを堪能することができた頃に戻りたいという気持ちは?

GEDDY:もの凄くあるよ。音楽はいつだって僕を感動させずにはおかない魔法のようなものだった。けれど、音楽を職業にするとそんな魔法も少しずつ失われてしまう。そうした感覚を取り戻すのは不可能なことではないけれど、この頃はそんな気分に戻るのがどんどん難しくなっている。今では音楽を聴くと、その世界に浸る前に分析しはじめてしまうんだ。


――音楽をやることになった最初のきっかけは何ですか?

GEDDY:僕は小さい頃、ちょっと変わっていてね。ただ、音楽だけは自分でも上手くやれると思っていた。ある意味で、それが自負心にも繋がっていったんだ。


――当時、仕事としての音楽はどんなものだと想像していました?

GEDDY:いや、まったく想像もつかなかった。僕はただレコードを作って、ギグをやって、人々の前でプレイしたいだけだったんだ。「僕にそんなことができるだろうか? アルバムなんて作れるだろうか?」って自問したことを思い出すよ。それ以上のことは、まるで火星での生活を夢見るようなものだったからね。あまりに遠く、現実からかけ離れていて、想像することすらできなかった。


――“セックス・ドラッグ&ロックンロール”というロックスターの夢物語についいては?

GEDDY:僕はリムジンとかを夢見るタイプじゃなかったからね。僕が夢見たのは、いつの日か自分の家を手に入れて、たくさんのレコードを作るということだった。もちろん、金とか名声とかを考えないわけじゃなかったけど、その年頃にはそれが実際に何を意味するのかは理解していなかったと思う。まず最初に考えるのは、「音楽で食っていけたらなぁ、それで女の子にモテたらいいな」くらいのことだよ。それから30年後、昼間はRushで働いていて、今度は副業でソロ活動を始めるといったところかな。


――あなたが音楽を職業として選んだ時のご両親の反応は?

GEDDY:(苦笑い)良くはなかったよ。両親にとっては、僕がやっていた音楽と僕がミュージシャンになることが結び付かなかったんだ。両親に言わせれば、僕が作っていたのは狂気であって、音楽ではなかった。ひどい結果に終わるだろうと2人とも確信していたね。説得するのはすごく大変だったよ。


――ご両親が、これなら大丈夫そうだと納得したのはいつ頃ですか?

GEDDY:母が、僕がテレビに出ているのを見た時だね。その時、母は一瞬にしてすべてを納得した。まだ僕らの初期の頃で、カナダのCBCの音楽番組で演奏していた時のことさ。母はその番組を見ていてこう言ったんだ。(母親の声色を真似て)「まあ、あの子も一端の芸能人ね。誰がそうなるって分かっていたかしら。私なんか、あの子がイカレてるとしか思わなかったもの!」って。


――仕事に関する忠告で、無視してよかったと思うことは?

GEDDY:他人が言うことにはまったく耳を貸さなかったし、それが最善の結果となったよ。僕らのキャリアで一番重要なアルバムをひとつ挙げるとすれば、それは『2112』で、前作の失敗と「もっとBad Companyみたいにしろ」というレコード会社からのプレッシャーに対するリアクション作品だった。僕らはそういうものとは可能な限り対極に位置するようなアルバムを作ろうと決心したんだ。そのおかげで僕らが今日ここまで来られるなんて、誰が想像できただろう。


――頑固なRushファンは『2112』や『Hemispheres』路線への回帰を声高に求めてきましたが、またコンセプトアルバムを作ってみたいとは思いませんか?

GEDDY:そのうちね。あの手の曲を書くのがとても容易になってきて、それで僕らはやめることにしたんだ。ああいう変わった感じのリフをいくつも数珠繋ぎにしたり、果てしなく長い曲をやり続けたりすることに飽きてしまったのさ。しばらくやってみると、もうチャレンジでも何でもなくなってしまったし、むしろ惰性でやっているような気がしてきたんだ。当初の情熱は失われて、技術的なエクササイズ集でしかなくなってきた――。それで僕らは手を変えることにした。もっと短いフォームで感動的な作品を完成させるほうが難しそうだと思ったわけだ。


――マスコミの批評に胸を痛めたことは?

GEDDY:まあ、確かに時々ね。批評は公正だと思えることもあれば、まったくの悪意によるものと思えることもある。ある種の雑誌やロック純粋主義者たちは、僕らが何をやっているのかをまったく理解せず、認めもしないといった状態が何年も続いていて、それは気分がいいものじゃない。誰もが、自分たちの音楽を客観的な見地において判断してほしいと思うものだよ。


――現在Rushの活動はどんな状況にありますか?

GEDDY:Neilはどんどん良くなってきているし、もうそろそろ働けるよ。'01年には3人でまた挑戦して、上手くいくかどうかやってみるさ。


――初のソロアルバムを制作したことで、自分自身、何か新しい発見はありましたか?

GEDDY:そう、思っていた以上に自分が自主的だってこと、それから、いざという時にも何とか自分で上手くやれるもんだってことが分かったよ。

 

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