【最新インタビュー第二弾】常に時代の…次代のパイオニア!
【最新インタビュー第二弾】常に時代の…次代のパイオニア! |
Jeff Beck JAPAN TOUR 12月1日、2日、4日、5日 東京国際フォーラムホールA 【問】03-3402-5999 ウドー音楽事務所 12月7日 Zepp Sendai 【問】022-215-4455 仙台放送エンタープライズ 12月9日 パシフィコ横浜 【問】045-664-6969 ウドー横浜 12月10日、11日 大阪厚生年金会館大ホール 【問】06-6341-4506 大阪ウドー音楽事務所 12月13日 福岡サンパレス 【問】092-771-8121 ブレインズ 12月14日 広島郵便貯金ホール 【問】082-249-3571 夢番地広島 12月15日 名古屋市公会堂 【問】052-241-8118 CBC事業部 (※全公演 S席:8,500 A席:7,500税込) | 新作や近況をお伝えした前回のジェフ・ベック・インタヴュー。それに続く第2弾として、彼の栄光の伝説と過去に迫ってみたい。 ジェフ・ベックは、1944年生まれの56歳(実物は、信じられないほど若い!)。ずっと色んなバンドで演奏していたが、最初のチャンスが訪れたのは、リッチモンドのクラブで演奏していた時のことだったという。 Jeff Beck: そこのライヴ・クラブには、ローリング・ストーンズや、ヤードバーズもよく来てたんだけど、エリック・クラプトンがヤードバーズを脱退することになって、ボクに声がかかったんだ。 時は、1965年。 ビートルズを筆頭に、ストーンズ、DC5など多くのブリティッシュ・バンドがアメリカに上陸、ロックの歴史を改革するほどの大ブームを巻き起こしていた。 Jeff Beck: ヤードバーズは、ハイパワーのブルース・バンドで、新しいブルース・ロックをやってる凄いバンドだと思ってったから、即OKしたよ。当時は貧乏で、お金もなかったしね(笑)。ヤードバーズという人気のあるバンドに入れたのは、現在でもラッキーだったと思ってる。 ジェフは、ヤードバーズにおいて、フィードバック奏法や、ファズ・ギター・プレイといった新しい奏法を持ち込み、エレキ・ギターの未来に大きな影響を与えることになる。 Jeff Beck: でも、問題は、マネージャーだった。ボクは、ポップ・バンドはやりたくない、アイドルにはなりたくないと強く思ってたからね。ところが皮肉にもヒット・ソングが出て、急にTVに出たり、女の子のファンが激増したりして、とうとうイギリスを飛び出して、アメリカ・ツアーまで始まってしまい、身体の調子は悪くなるし、フラストレーションは貯まる一方だし、とうとうボクはバンドを抜けることにした。 後期には、ジミー・ペイジも加入、ジェフがギター、ペイジがベースというラインナップで、その頃ジェフが、考え出したのが、レッド・ツェッペリンという新しいバンドだった(そのアイディアは、ペイジに受け継がれ、ロック史を改革することになる)。 バンドを脱退したジェフは、ロッド・ステュワート、ロン・ウッドなどと組んで、'68年にジェフ・ベック・グループをスタートさせる。 Jeff Beck: 初めての“自分のバンド”だったし、楽しい思い出が一杯だね。基本的には、ヤードバーズをさらに進化させたブルース・ロックを目指して『トゥルース』というアルバムを作った。全力投球でね、ほとんどライヴのスタイルでたった4日間で作ったアルバムなんだけど、現在聴いてもエネルギーに満ち溢れている。問題は、ミッキー・モストというプロデューサーだった。彼は、ボクをスターにしたかったんだ。だからヴォーカルもやらせたがった。ボクは、ロッドをフィーチャーしたかったのにね。それでロッドにも気の毒でハッピーじゃいない部分があって、長く続かなかった。 続いて、コージー・パウウェルなどと組んで、第2期ジェフ・ベック・グループを結成したが、これも短命に終わる。 Jeff Beck: 丁度その頃、ハードでパワフルなドラマーを探してんだ。偶然、ヴァニラ・ファッジを観に行ったら、凄いドラミングでビックリした。その後、偶然NYでヴァニラ・ファッジが、コカ・コーラのCMソングを作る時、ギタリストの都合が悪くて、連絡してきた。ボクも偶然NYにいたんでね。面白いキッカケだったけど、それからベック・ボガード&アピスが誕生したんだ。 しかし、BB&Aも長続きしなかった。ジェフは常にヴォーカルとギターのコンビネーションで悩み続けた。バンドよりソロで実力を発揮するタイプであることの証明が、'75年の初のソロ・アルバム『ブロウ・バイ・ブロウ』だった。 Jeff Beck: (ビートルズをプロヅースしたので有名なプロデューサー)ジョージ・マーティンと初めて組んだアルバムだった。昔からアヴァンギャルドとロックとの融合、それを極端に、でもシンプルにやりたかったんだ。 このアルバムでジェフは、日本では大きな注目を浴びたが、逆に本国では期待ほどの反応を得られなかった。続いてヤン・ハマーと組み『ワイアード』を制作。 Jeff Beck: ヤン・ハマーには、素晴らしい、凄い影響を受けた。言葉にならないほどのインパクトだったな。フュージョンとロックとの融合という方向性は、音楽としても大きな将来性を持っていると思ってたからね。 この2枚のアルバムは、ジェフの将来を決定づけた。 さらに'85年にはアルバム『フラッシュ』で、再びロッド・ステュワートと再共演、'89年の『ギター・ショップ』へと彼の活動は続いて行く。 Jeff Beck: ギター・ショップのテリー・ボリジオと、トニー・ハイマンとの3ピースのギターという発想は、凄いクリエティヴで生き生きして、レコーディングからツアーも楽しかった。 この作品で、ジェフは、グラミー賞最優秀ロック・インストルメンタル賞を獲得した。 こうしてジェフの歴史を振り返ると、常に彼はパイオニアだったことが浮き彫りにされる。 ブルース・ロック、フュージョン、さらにメタルの原型さえ彼が創り出したものだ。今や死語となった“ギター・ヒーロー”という言葉こそ彼には、もっともふさわしい。 さあ、最新アルバム『ユー・ハド・イット・カミング』を聴いて、追加公演も決定したジェフの来日コンサートへ走れ! 伊丹由宇(YU ITAMI) |
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