【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.110「イギリスの宝、QUEEN(1)~映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観て思うこと」

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ゴールデン・グローブ賞の作品賞及び主演男優賞に輝いたことで、日本だけの異常な盛り上がりではなく世界的にも認められた優秀作品であることが証明された映画『ボヘミアン・ラプソディ』。この映画観たさで久しぶりに映画館へ行ったという人も多いようですが、私もその大勢の中のひとりです。

出産後は幼子を置いて映画へ出かけようと思う余裕すらなく早4年、最後に映画館へ行ったのはいつだったのかさえ思い出せないほど。だからこそ“QUEEN”というキーワードは遠のいていた映画館への復帰作として、文句なしの免罪符となりました。


外ならぬQUEENを題材にした映画ですし、こうなったらとことん楽しんでやるぞと意気込んではいたものの、ここ日本に吹き荒れた-QUEEN旋風2018-にはまったく乗れずに賑わいがだいぶ落ち着いてきた年の瀬になってからようやく観ることができました。IMAXにするかDOLBY-ATMOSか、ちょっと遠いけれど気になる噂の立川シネマシティまで行ってみるか、それよりは近いチネチッタの「LIVE ZOUND」にしようかと散々迷いましたが、3Dが得意ではないという己の体質に立ち返って最寄りの映画館の、いたってノーマルな2Dシアターを選択し、落ち着いた雰囲気の中で塩キャラメル味とキャラメル味のハーフ&ハーフなポップコーンを抱えて鑑賞。

こうした箱選びから始めて実際に映画館へ足を運び、作品を楽しむという一連の行為そのものが今の自分にとっては非常で贅沢な時間となりましたが、好きなアーティストが題材でありメンバー自身が携わった作品でもあるため、娯楽映画として割り切って観ることは難しく、また、知らない話もなかったことからストーリーに新鮮味や驚きを感じられなかったので、これまでQUEENに興味がなかった周囲の人たちのSNS発信やテレビなどでよく目にする「映画を観て泣けた!」「切なくて号泣した!」といったようなことはありませんでした。

無論、映画を通して偉大なるバンドとその名曲の数々を知ることができる良い映画ですし、QUEENというバンドがこの世に存在し、素晴らしい音楽を残してくれたことに改めて感じ入ることができる良い機会になりましたが、この映画を観終えて想ったのは、やはり映画は映画であって、本物に勝るものはないということでした。

特にライブシーンでは映画では表現しきれないQUEENの偉大さを再認識しましたし、泣いたのは映画を観たからではなく、最後の本人画像と“あの曲”とが流れたことで、映画の世界から、フレディのいるQUEENのステージを観ることはできないという現実へと一気に引き戻されたことによる喪失感からでした。好きになった時からもう分かっていることではありますが、音楽の醍醐味であるライブを体感できないのはとても悲しいことです。

QUEENを好きになったのは高校生の頃で、好きなったバンドのルーツを辿って知ったアーティストのひとつでした。当時すでにフレディは他界。ですからQUEENのライブを観たことがありません。しかし、クイーン+アダム・ランバートの武道館公演や、イギリスにいた頃にロンドンのハイドパークで開催されたFoo Fighters公演に、ブライアン・メイとロジャー・テイラーが飛び入りしたのを観たことがあります。初めて間近で本物のQUEENメンバーを観て、その音を聴いて興奮のあまり倒れそうでした。

イギリスでの暮らしの中では、ブライアンやその他著名なバンドマンやアーティストがテレビで普通にコメント出演をしていたりするので一瞬たりとも気を緩めることができず、「ああ、ここはイギリスなんだ! 日本じゃこれは観られない!」といたく感動し、心を震わせられながら過ごしていました。次回はそんな私の昔話から、QUEENにまつわる話を綴ります。

文◎早乙女‘dorami’ゆうこ

◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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