【インタビュー】小松亮太「いろいろな活動がタンゴのための何かになったらいいなと思っています。本当にそれだけなんです」
小松亮太といえば、圧倒的なスキルと表現力を持つNo.1バンドネオン奏者として、他ジャンルとの積極的な交流をはじめ、映画やドラマの作曲も手掛ける日本のタンゴ界のトップランナー。そんな彼が、ヴィヴァルディの「四季」で知られるイ・ムジチ合奏団とステージで共演するというのは、ジャンルを超えたビッグ・ニュースだ。小松が演奏するのは、タンゴ界の伝説、アストル・ピアソラの作曲による通称「ブエノスアイレスの四季」。二つの「四季」が並び立つ夢の共演について、そしてタンゴという音楽の歴史について、自らの進むべき道について、小松亮太の情熱的な語り口にぜひ耳を傾けてほしい。
◆小松亮太~画像~
■ピアソラに限らずタンゴはだいたいそうなんですけど
■楽譜そのものがわざとあいまいに書いてあるんです
――イ・ムジチ合奏団とは、今回が初顔合わせになりますか。
小松亮太(以下、小松):一緒に演奏させていただくのは、初めてですね。
――どういった経緯で、今回の共演が実現したんでしょう?
小松:すごく正直な話をすると、ある日グーグル・カレンダーを見たら、“イ・ムジチ”と書いてあった(笑)。これ何ですか?って、そういう感じで知ったんですよ。
――気づいたら、決まっていたと(笑)。
小松:“イ・ムジチは最近タンゴもやるんだ”と思って、調べてみたら、ウルグアイのバンドネオンの人とイ・ムジチが共演して、韓国には少なくとも2回来ているんですよ。だから時々、やっていたことのようですね。
――小松さん自身、ピアソラの「ブエノスアイレスの四季」を、こういう形でクラシックの楽団と共演するのは、今までにあったことですか。
小松:そもそも「ブエノスアイレスの四季」を並べてやったのは、だいぶ前ですね。デビューする直前に、僕の5人組のバンドで、「夏」「秋」「春」「冬」の順番で、小さな会場で自主公演でやっていて。そこにソニー・ミュージックの人が見に来ていて、その場で“デビューしませんか”と言われたという思い出はあります。
――それ以降、「ブエノスアイレスの四季」を通してやったことは、あまりない?
小松:というか、ピアソラ自身もほとんどやっていないんですよ。「冬」と「夏」はよくやっていましたけど、特に「春」は、一回ライブ・レコーディングとスタジオ・レコーディングをして、それっきり全然やっていない。そもそも「ブエノスアイレスの四季」という名前でこの4曲をくくることは、最近誰かが始めたことなんですよ。少なくともピアソラ自身は、そういう名前の組曲ですと言って出したことはなくて、まず「夏」という曲を、ある舞台作品のために急いで作ったんですね。それがけっこううまくいって、時々演奏していて、そのあとに「冬」も作ろう、「秋」も作ろう、せっかくだから「春」も入れようって、順番に作っていった。それで、1970年だったかな、4曲揃えて一回こっきりのレコーディングをしたんですが、その時のレコードにも「四季」とは書いてないんですよ。実はバラバラに作られたものだったんです。
――小松さんご自身は、「夏」と「冬」をレコーディングしていますね。
小松:やりました。だいたいみんな「春」はやらないんですよ(笑)。
――あ、そうなんですね。
小松:「春」はおそらく、ピアソラの曲の中で、似ている曲がいくらでもあるので。ピアソラがフーガ(遁走曲)みたいな曲を書くとだいたいこうなるよね、という曲の一環なので、わざわざ取り上げる人があんまりいない。「春」は全然有名じゃない。やっぱり「夏」と「冬」が有名です。キャッチーですね。
――まだリハーサル前の段階ですが、今回の共演は小松さんにとって、どんな体験になりそうですか。
小松:今回は、おそらくウルグアイのバンドネオンの人が書いたアレンジなんですよね。ピアソラが5人で演奏するために書いたアレンジを、楽器編成を増やした形なので、大筋は変わらないんですけど、どうなるんですかね? ピアソラに限らず、タンゴはだいたいそうなんですけど、“こういうふうに書いておきますから、あとはあなたたちが自分で考えてやってください”みたいな、楽譜そのものが、わざとあいまいに書いてあるものがたくさんあるんですよ。そこの判断はどうしたらいいかというと、やっぱりタンゴに知識のある人が判断するよりしょうがないんです。タンゴだと普通は、こういうふうに書いてあったらこう弾くんじゃないか?とか、基本的なセオリーがわかっている人が判断して、たぶんこれでいいんじゃないかな?という落としどころを作っていくしかない。
――ファンとしては、そこが面白いところでもあります。
小松:そうそう、そこが面白いんです。でもそこがめんどくさい(笑)。僕がイ・ムジチの人に“楽譜にはこう書いてありますけど、こう変えてください”と言って、どれぐらい受け入れてもらえるのか。もしかしたら、“そういうことをされても、僕らにはわからないから、小松さんがこうしてほしい”と言われるかもしれない。そこが面白いところでもあるし、どうなるかな?というところでもありますね。
――そういうお話も、今日はぜひ聞きたかったんです。小松さんはタンゴはもちろん、ポップス、ロック、ジャズ、クラシック、本当に幅広いジャンルを越境して活躍されていて。2年前の大貫妙子さんとの、日本レコード大賞の優秀アルバム賞に選ばれたアルバム『Tint』も、素晴らしかったですし。
小松:ありがとうございます。あれはうまく行きましたね。
――でもその一つ一つに、今おっしゃられたような、そのジャンル特有のセオリーとタンゴのセオリーとをすり合わせていく、難しい作業があるんですね。
小松:本当にそうなんですよ。でもね、だいたい相手のジャンルの人たちの出方というか、クラシックの人たちとコラボする時は、こういうふうにするとうまくいくみたいだとか、ここはこっちが絶対に合わせないといけないとか、そういうところがある。ジャズの人とやる時は、本当に気軽に言ってくるんですよ。“小松さん、そこ32小節、ソロでいいですよ”とか、“よかったらその倍でもいいですよ”とか(笑)。アドリブができないわけじゃないけど、ジャズ屋さんじゃないから、そこまではできないですよって。そしてロックの人たちとやる時には、とにかく自分が走るわけにはいかない。やっぱりロックはリズムがはっきりしているから、とにかくドラムが正しいと思わなきゃいけない。
――ジャンルによって気にするところが全然違うんですね。
小松:ジャズやクラシックの人が相手だと、こっちがソロを取ってワーッと走ってる時には、ついてきてくれるんですよ。でもロックの人は、ついてきてくれないですから、こっちがドラムなりギターのカッティングなりについていかなきゃいけない。ということをいつも、相手の人のジャンルを見て、頭を切り替えなきゃいけない。これは本当に大変で。
――スイッチが何個あるんでしょう。
小松:だけど一番大変なのは、ほかのジャンルの人とタンゴをやりましょうとなった時なんですよ。というのは、こちらの言い分は、ジャズの人ともクラシックの人ともポップスの人とも違うわけですよ、タンゴだから。当たり前ですけど。だけど、たとえばジャズの人は、少しぐらいはポップスに触れたことがある。クラシックの人たちも、なんだかんだ、ポップスの人と共演したことがあったりする。でもタンゴだけは、ほとんどの人が共演した経験がないんですよ。なにしろ少数派だから、“バンドネオンと共演したことがあります”というジャズ・ミュージシャンやクラシック・ミュージシャンはほとんどいない。そこで、限られた時間の中で、“ここはこう弾いてください”と言っていくことはなかなか大変なんです。
◆インタビュー(2)へ
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