ロビン・ギブ永眠…ビージーズとはどんなバンドだったのか
ビージーズのメンバーだったロビン・ギブが大腸癌のため他界した。享年62歳。ビージーズはディスコブームのシンボルとして最も良く知られる。ギブの死は偶然にもディスコの女王ドナ・サマーに続く訃報となった。
ビージーズの歴史は1950年代にまでさかのぼる。長男のバリー、二卵性双生児のロビンとモーリスは英領マン島の首都ダグラスに生まれた。父ヒュー・ギブはダンスホールのドラマー、母バーバラ・ギブは歌手だった。マンチェスターで生まれた末っ子のアンディはティーンアイドルとしてソロ活動をしていたが、兄弟とは頻繁にコラボレーションを行なう関係だった。ギブ兄弟はマンチェスター在住時代にバンドとしての活動を開始。しかし、レコーディングを行なったのは1958年にオースラリアに移住してからだった。
1960年に入ってレコード契約やテレビ出演が実現し、1963年にビージーズというグループ名で活動するようになった。オーストラリアである程度のヒットに恵まれたバンドは1967年にイギリスに帰国。後に音楽業界のスーパーパワーとなるロバート・スティッグウッドをマネージャー兼プロデューサーに迎え入れ、ファースト・シングル「ニューヨーク炭坑の悲劇」とセカンド・シングル「ラヴ・サムバディ」をヒットさせた。元々オーティス・レディングのために書かれた「ラヴ・サムバディ」はビージーズの作品の中で最もカバーされてきた曲だ。バンドは続いて世界的ヒット曲「ワーズ」、全英1位に輝いた「獄中の手紙」、そして全米6位を獲得した「ジョーク」を世に送り出した。いずれの曲もスローからミッドテンポで、兄弟のボーカルハーモニーが特徴となっている。1997年にロックの殿堂入りを果たしたビージーズのプレゼンターをつとめたのは、同じくボーカルハーモニーを主体とした兄弟グループ、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンだった。
1969年にリードボーカルの座をめぐる衝突でロビンが一時的にグループを脱退。その一方で彼が麻薬中毒だという噂もあった。この時点でビージーズはすでにグレイテスト・ヒッツ・アルバムをリリースしていたが、彼らの代表作となる作品を発表するのは先のことだった。
ビージーズはその後も数曲のヒット作を輩出し続けたが、バンドにとって70代初期は倦怠期と失速期だったといえる。しかし、再び結束を固めたギブ兄弟はブルー・アイド・ソウル・グループのラスカルズを手がけたトルコ系アメリカ人の敏腕プロデューサー、アリフ・マーディンと共にR&Bへ方向性の転換を図った。そこから生まれたシングル「ジャイヴ・トーキン」は1位を記録するスマッシュ・ヒットに。マイアミに活動拠点を移したバンドの音楽性には地元のディスコ・サウンドが反映されるようになり、その影響を受けたシングル「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」が続いて大ヒットとなった。
スティッグウッドが立役者となり、ビージーズは1977年公開のメガ・ヒット映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサントラを手がけてスーパースターへの座を一気に駆け上った。映画サントラは4000万枚以上を売上げ(この当時では最高セールス記録を樹立したアルバムに)、ビージーズの3曲がナンバーワンヒットとなった。
また、ギブ兄弟は他アーティストへの楽曲提供も精力的に行なっていた。ジョン・トラボルタが『サタデー・ナイト・フィーバー』の有名なダンスシーンに、当初はスティーヴィー・ワンダーやボズ・スキャッグス(マネージャーが映画への楽曲提供を断ったために、何百万ドルという大金を逃した)の楽曲を使おうとしていたため、ビージーズにオファーが舞い込んだのは後になってからのことだったという。『サタデー・ナイト・フィーバー』で大成功を収めたビージーズだったが、それを維持していくは不可能なことだった。翌年の1978年には映画『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』への主演とサントラに参加。予算をかけて大々的な宣伝が行なわれた作品だったが評論家から酷評を受け、商業的な失敗作となった。また、この時期には“ディスコは古い”という風潮がピークを迎えていたため、ビージーズは中傷に最適な標的となってしまう。
AORでヒット曲を輩出しつつも停滞期に陥ったバンドのキャリアは、特にアメリカでは玉砕状態となった。1980年代と1990年代にヒット曲は出したものの過去の栄光にはおよばず、その大半はイギリスに限られていた。1988年に弟アンディ・ギブがコカイン中毒のために30歳で死亡。アルコール中毒に長年苦しんだ双子兄モーリスは2003年に腸ねん転で他界。ロビンとバリーはそれぞれヨーロッパでそこそこの成功を収めており、この時点でビージーズは正式に解散となったが、2009年には再結成ライブを行なう意向を発表した。
2010年、ある新聞のインタビューでロビンは映画監督スティーヴン・スピルバーグがビージーズの映画を製作する計画であることを明かした。ビージーズは1972年の初来日ツアーでは渋谷公会堂と日本武道館に出演している。
キース・カフーン(Hotwire)
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