米成功に向かって羽ばたき始めた、細野晴臣のミュージシャンシップ

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約半世紀の間、細野晴臣は非常に人気のある、評価の高いミュージシャンであり続けたにもかかわらず、彼が国際的に知られるようになったのは最近のことだ。彼は日本において、1969年から始めたエイプリルフール、ハッピーエンド、イエロー・マジック・オーケストラと革新的なバンドで活動を続けた。しかしアメリカでハッピーエンドを知っていたのは、長い間、ヴァン・ダイク・パークスやリトル・フィートとの活動から彼らに興味を持った音楽マニアか、音楽史学者に限られていた。ハッピーエンドが日本語で歌うロックにこだわっていたのも理由のひとつだろう。遅まきながら、2003年のソフィア・コッポラの映画『Lost In Translation』でハッピーエンドを知った人々も多い。

イエロー・マジック・オーケストラのデビューアルバムは1979年にA&Mレコードからリリースされた。日本ではすぐにスーパースターとなった彼らも、アメリカではカルト的な地位しか獲得できなかった。デビューアルバム自体は、A&Mがアルファとの関係から彼らのアルバムを強力に推したため、ビルボードで81位につけている。彼らのLAデビューはかのグリーク・シアターでだが、サンフランシスコのシアトリカル・バンド、ザ・チューブスの前座だった。彼らは観客に確かなインパクトを与えたものの、2枚目のアルバムはアメリカではリリースされず仕舞いだった。イギリスの音楽ファンには、ビ・バップ・デラックスのギタリスト、ビル・ネルソンとの関係から知られるようになった。

YMOのメイン・メンバーでは、映画のサウンドトラックで良く知られる坂本龍一が抜きん出て国際的な知名度が高い。彼の『戦場のメリークリスマス』(1983年)、『ラスト・エンペラー』(1987年)、『リトル・ブッダ』(1993年)や『レヴェナント:蘇えりし者』(2016年)などでの仕事は、批評家にも人気が高く、賞も受賞している作品に携わっている。クリストファー・ウィリッツやテイラー・デュープリー、アルヴァ・ノトとのコラボから、アンビエントファンの間でも知られている。高橋幸宏はスティーヴ・ジェンセン、ハー・スペース・ホリディのマーク・ビアンキや、アイスハウスのアイラ・デイヴィスとのコラボで海外でも知られている。


彼らに比べ、外国人ウケしやすい「ハリー」というステージネームを持つ細野晴臣は、最近まで海外ではあまり知られていなかった。YMOの他のメンバーに比べ、細野は海外のアーティストとのコラボレーションが少なく、また海外アーティストとの大きなプロジェクトとしては失敗としか言えない、老いたジェームス・ブラウンを日本に招待した細野のバンド、フレンド・オブ・アースの試みがあるが、忘れられている方がよかったような(また、そのような事が起こった事を今探すことも難しい)ものくらいだ。また、それよりも興味深いビル・ラスウェルとのコラボレーション、1996年の「Interpieces Organization」は、ほぼ入手不可能だ。

細野の音楽は、特に海外からはアクセスするのが難しい。1980年代の間は彼のアルバムもレコードとしてアメリカやヨーロッパにも輸出されている。しかしCDの時代になって、日本製のCDは高価で製作枚数も少なかったため、少数しか輸出されなくなった。ハッピーエンドの作品は、現在でも海外では手に入りにくい。アップル・ミュージックやスポティファイで海外から手に入れられるのは細野のソロアルバムがごくわずかだけだからだ。

それでも、どういうわけか細野の音楽は国際的なファンをゆっくりと増やしている。YMOから彼にたどり着いたファンが多いが、1984年、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』のテーマ、2007年の『アップルシード:エクスマキナ』のテーマ作曲や、2018年、国際的に高く評価された是枝監督の『万引き家族』での仕事で評価が上がっている。彼の音楽が2018年、急激に評価され、メインストリームに押し上げられたように見えるのも、こういったことの積み重ねかもしれない。

ヴァンパイア・ウィークエンドがリリースした「2021」にサンプリングされているのは細野の「Talking」だ。インディーズのスター、マック・デマルコは細野の「Honey Moon」をカバー、日本語のみで歌っている。そして、これが1番大きなインパクトを与えただろうが、再販レーベルのライト・イン・ザ・アティックが細野のアルバム5枚を再販し(日本以外での最初のリリースになる)、ピッチフォークや、ブルックリン・ヴィーガンを含む音楽メディアなどで報道され、ジム・オルークやデヴァンドラ・バンハートなどのミュージシャンから絶賛された。


▲細野晴臣『HOCHONO HOUSE』3月6日発売

今年5月29日に細野晴臣がニューヨークのグラマシー・シアター、6月3日にロサンゼルスのザ・マヤンでライブを行う事を知り、アメリカのファンは歓喜に湧いた。これらは、細野がアメリカで、自分の名前を冠して行う初めてのライブになる。71歳にして、細野晴臣のアメリカでのキャリアは成功に向かって羽ばたき始めたようだ。

文:キース・カフーン

◆【連載】キース・カフーンの「Cahoon's Comment」チャンネル
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