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このアルファベット4文字からなるアーティストほど、長く変化に富んだ(それにしてはタブロイド紙を賑わすことの少ない)キャリアを誇るスターもめったにいないだろう。彼女はNo.1ヒットを持つソロアーティストで、デュオやバンドのメンバーでもあり、オスカー女優でワークアウトビデオではインストラクター、その上、起業家としての顔も持っているのだ。そして、すでにプロとして30年以上を経た今でも、絶大な人気と成功を手にし続けている。

Cherは'46年5月20日に、Cherilyn Sarkasian LaPierとして生まれた。後に彼女は、生まれ故郷のカリフォルニア州El Centroを離れ、女優を目指してハリウッドに移り住む。'63年、Phil Spectorのもとでセッションヴォーカリストとして働きはじめた彼女は、そこでSonny Bonoと出会う。こうして結成されたSonny & Cherは、60年代で最も成功し認められたデュオの1つに数えられ、'72年には、チャートのトップ10に入るシングルを10曲も発表することになった。また一方でソロ活動も続け、初めはBonnie Jo Mason(“Ringo I Love You”という曲を出している)名義で、そしてその後はCherとして、ソロのシングルもチャート上位に送り込むようになった。Bob Dylanの“All I Really Want To Do”('65)を皮切りに、続く“Bang Bang”('66)、No.1ヒットとなった“Gypsies, Tramps & Thieves”('71)、“Half-Breed”('73)、“Dark Lady”('74)など数々のヒット曲が生まれた。女優業は後回しにされたが、それでも'60年代のマイナーなポップ映画『Good Times』と『Chasity』(Bonoとの間にできた娘の名前はここからとられている)に出演。また、'71年から'77年の間には、Sonnyと共同で司会を務めた2つのTVバラエティ番組が人気を博したほか、彼女単独による番組も2シーズン続いた。

'75年、Bonoとの離婚が成立した5日後に、CherはGregg Allmanと結婚し、アルバム『Allman And Woman』を発表した。2人の間には息子が生まれ、Elijah Blueと名づけられたが、'79年に再び離婚。同じ年の後半にディスコヒット“Take Me Home”を出し、その後、当時ボーイフレンドだったLes Dudekが在籍するBlack Roseのシンガーとなり、ハードロックへ移行する。'82年にはブロードウェイに乗り込み、『Come Back To The Five And Dime, Jimmy Dean, Jimmy Dean』に主演。そして映画版『Jimmy Dean』への主演によって、彼女は長年の夢であった女優としてのキャリアをスタートさせたのである。『シルクウッド(Silkwood)』『マスク(Mask)』『月の輝く夜に(Moonstruck)』(この作品でアカデミー賞主演女優賞を獲得)、『容疑者(Suspect)』『イーストウィックの魔女たち(The Witches Of Eastwick)』『恋する人魚たち(Mermaids)』、そして『Faithful』と続く作品の中で、Cherはすばらしい演技力を披露して見せた。

押しも押されぬスターとなったCherは'87年、レコーディングに戻り、Geffenから3枚のアルバムをリリース、これも成功を収めた。さらに、他のアーチストとの共演でも力を発揮する彼女のヴォーカリストとしてのキャリアは、'95年のBeavis & Butthead(MTVで放送された過激なアニメ番組の主人公)とのパフォーマンス、“I Got You Babe”で再び大きく花開いた。

'90年代の大半を通じて、Cher自身の活動は控えめだったが、彼女の名前と好みを冠したさまざまな製品は生まれている。ワークアウトビデオ、香水、スキンケア製品、そして中世風の家具や骨董品のカタログ販売まで。'98年初めには、スキー事故によって命を落とした前夫、Sonny Bonoの葬儀で涙ながらに弔辞を贈り、人々の心を動かした。しかし、同年後半、彼女がリリースしたアルバム『Believe』は、じわじわと全米チャートでランクを上げ、全英チャートではタイトル曲が輝かしい1位を獲得した。Cherはさらに幸せな時期を迎えながら、ショウビズ界で彼女こそが“信じる”ことのできるサヴァイヴァーであることを自ら証明しているのである。