
写真左から
Kent Ross (Dr)、Mark John (B)、Josh Todd(Vo)、
Jesse Logan(G)、Mike Hewitt(G)。
――BUCHCHERRY(以下BC)解散にいたる経緯を改めて説明してもらえますか?
JOSH:BCの最期は"ゆっくりとした崩壊"だったんだ。俺たちは『TIME BOMB』に対してかなりの情熱を注ぎ込み、その情熱のままロードに出た。ところがレコード会社からのサポートはほとんど皆無に近かった。俺たちとしては、彼らに売る価値のある作品を提供したつもりだったのに、それに伴うサポートは得られなかった。そしてそんな状況がバンド内部にもネガティヴな影響を与え始めたんだ。簡単に言ってしまえば、お互いに対するリスペクトが失われたというか。そしてついに、ツアーの真っ最中になんの前触れもなくベースのJBがやめてしまった。おかげで、日本ツアーの時は違うベーシストに頼むしかなかった。で、結局BCとしての最後のツアーは日本だったんだけど、家に帰ってきたら、最初にヨギーが、次にデヴォンがやめていった。そして俺とキースが残された。その時半分冗談で言ったのは、「もともとBCは俺らふたりが組んだバンドだ、要するに振り出しに戻っただけだね」って(笑)。
――他のメンバーを入れてバンドを続けようと思わなかったのですか?
JOSH:ラッキーなことにドラムスだけは友達が手伝ってくれて、そいつは今はモリッシーのバンドにいるヤツなんだけど、彼がデモ作りを手伝ってくれた。そして20曲ぐらいいったところで、今度はスラッシュから連絡が来て、キースと俺に、LAのキー・クラブでランディ・カスティーヨのベネフィットがあるんだけど一緒にやらないかと誘いを受けたんだ。もちろんってことですぐに話は決まり、結局俺とキースとスラッシュとダフ(・マッケイガン)とマット(・ソーラム)の5人で"Paradise City"、"It's So Easy"、"Lit Up"、"Nice Boys"、"God Save The Queen"の5曲を演奏した。その時の雰囲気は文字通り爆発的で、マジに、もう一度バンドやりてーなって気持ちにさせられたんだ。だからギグの後、キースと二人で「凄く良かったから、連中に電話して、もっと何かやりたいか訊いてみよう」って話をしたんだ。そして連絡を入れると、実は彼らも同じ気持ちだったことが判明して、すぐに集合して、1ヶ月ぐらいの間に9曲書くことができた。その間は本当に楽しくて、ものすごくエキサイティングで、凄く盛り上がっていた。ところが、ある日突然、スラッシュの独断でプロジェクトはストップしてしまった。「もうおしまい」ってね。
――これまた青天の霹靂?
JOSH:ほんとそう。それを言われた時はものすごくびっくりしたよ。俺だけでなく全員がね。しかも、ちゃんとした理由もなく。デモがちょっとねえ、みたいな感じだった。でも俺としては、そんなことなら中止する必要はないじゃんってことで、実は、その後一日だけみんなで集まって続けようとしたんだよ。でも気持ち的に全然乗らなくて、不安定なスラッシュとはやっぱり一緒にやっていけないと思った。で、そんなこんなで気持ちが揺らいでるなかで、やっぱりBCもやめようって思ったんだ。正直、このスラッシュの一件は、言うなれば、棺桶に釘を打つようなものだったんだ。俺の気持ちは完全に死んでいた。
――キースとは最後、どんな話をしたんですか?
JOSH:俺はその決断にいたるまで悩みに悩み抜き、さまざまな自己分析をした上での結論だった。だから電話で彼に伝えたんだ。特に何も話し合う必要はなかったよ。俺には独自の道を行く必要があったんだ。ただ一つ分かって欲しいのは、キースとは決して喧嘩別れしたとか、そんなんじゃないんだ。俺自身に変化が必要だったと言うことなんだ。がっかりさせられることがあまりに多すぎて、とにかく一度すべてをバラして、改めて自分が一番楽しめる音楽を、一緒にいたい人たちとやりたいと思っただけだよ。
――分かりました。で、SHOTSFIREというバンドのことなんですが。
JOSH:ああ、SHOTSFIREというのは今のバンドの名称だよ。最初はバンド名を使おうかと思って考えたんだけど、結局いろいろあってJOSH TODDのままいこうってことになったんだ。
――そのバンドの出逢いはなかなか運命的だったと聞いていますが。
JOSH:そうなんだ。本当に運命を感じたよ。BC解散から間もなくして、俺は自分の未来について真剣に考え始めたんだ。そして至った結論は、まず、無名のプレイヤーを捜したいということ。若くて、新鮮な音の感性を持つ人々をね。俺はそれまで、どのバンドでも最年少だった。だから今度は自分より下の連中とやってみたくなったんだ。モダンなサウンドを追求するためにもね。で、その足がかりとして、地元の音楽雑誌に載っていた募集広告を見ていきなり電話を入れたんだ。いっぱいある広告の中で、一つだけ、目に飛び込んできたものがあったんだよ。
――何て書いてあったんですか?
JOSH:「求む、シンガー。傾向、AT THE DRIVE IN&DEFTONES」みたいな文章だったよ。クールだろ? で、蓋を開けてみたら、その広告の主はユタ州ソルトレイク出身の4人組で、LAに移住してきたということだった。するとすぐに電話がかかってきて、リハーサル・ルームに行った。驚くべきことに、彼らの演奏はとっても良かった。で、部屋に入っていったら、ギターのジェッシーが俺だってことに気づいて、これまた驚いてた。でもまあとにかく楽しもうよってことで、軽い気持ちでジャム・セッションを始めたらこれが楽しくてさ。しかも、彼らにはちゃんとオリジナル曲もあるんだってことに気づいて、すぐその場で、いろんなメロディをアドリブで歌い始めたんだ。その時"Circles"と"Burn"のメロディが生まれた。とにかくすごくいい雰囲気で、最初は半分冷やかしが入っていた自分も最後には真剣になっていて、ぜひこいつらとやってみたいと思ったんだ。そこでさっそくスタジオを借り、週5日体制で曲作りを始めた。
――アルバム制作に入ったのは?
JOSH:曲作りに約3ヶ月じっくりかけ、レコーディングは2003年に入って、1月~3月にかけて行なった。確か1月6日にスタジオに入ったはず。
――楽曲は書き下ろしですか? それとも持ち寄りですか?
JOSH:全曲が俺たち5人の書き下ろし。昔のものは一つもないよ。新鮮そのものさ。"Lovely Bones"は俺一人で書いたけど、あとは全員の合作。
――先ほど、モダンなサウンドを追求するために若者を選んだと言ってましたけど、そのモダンというところが今回のキーワードですか?
JOSH:そうだね。実際はBCの3枚目を書いていた頃からモダンなサウンドを目指していた。でもあっちはうまくいかなかったからさ。
――作る前から「こういうアルバムにしたい」という明確なヴィジョンはあったのですね?
JOSH:ああ、俺はいつもちゃんとしたヴィジョンを持ってアルバム作りにのぞんできたし、今回も例外ではない。全員でその目標に向かって一生懸命努力した結果、今回は30曲用意することができた。実はこの30というのが俺にとってのマジック・ワードでね。30曲に達すると、そこで一度振り返り、すべて順調かを判断するんだ。そしてよしと思ったら、いよいよスタジオに入りレコーディングに突入する。今回もまさにそうだったよ。
――ツアーの予定は?
JOSH:今現在全米ツアーの真っ最中で、その後は今のところ未定だけど、4月以降には日本に行きたいって話もしてるんだ。俺としては明日にでも行きたいけどね! このバンドを早く観てほしいっていうのがあるからさ。
――最後にファンにメッセージを。
JOSH:日本のみんな、早く会いたいよ! みんながアルバムを気に入ってくれることを願ってる。BUCKCHERRYが終わってしまって申し訳ないとは思ってるけど、新しいバンドも最高にかっこいいから、絶対に観に来てくれよ!