Parliament~FunkadelicのBootsy Collinsにニック・ネームをつけてもらうというのは、絶対に縁起が良いことに違いない。
Kenneth“Babyface” Edmondsは、最近のミュージック・シーンでは最も成功した1人である。ソロ・アルバムを何百万枚も売っただけでなく、嫌みなくらい数多くのマルチ・プラチナム・メガヒット作品をプロデュースし、事実上、現在のポピュラー・ミュージックの形をほとんど1人で作ってきた。
'59年4月10日、インディアナポリスで生まれたEdmondsは、地元や中西部のクラブやバーを回る下積みから素早く抜け出した。'80年代初めに、Antonio“L.A.”Reidとthe Deeleを結成し、そこそこの成功をおさめたが、むしろ人々にインパクトを与えたのは、Sheena EastonやPaula Abdulといったアーティストのプロデュースを通しての活動であった。
'88年にソロになってからは、ミリオン・ヒット作を連発。彼独特のフックのある楽曲と、時に頼りなげで、時に深みを感じさせるヴォーカルが、広く知られるようになる。 | . | しかし、ソング・ライティングやプロデュース業における目覚ましい業績を考えると、それまでの彼自身の作品はまるでほとんどオマケのように霞んでしまう。…というのも彼は、Madonna、Toni Braxton、Whitney Houston、Boyz II Men、TLC、Mariah Careyといった大スターをはじめ、'90年代にラジオを席巻したすべてのアーティストを手掛けているからだ。
その業績ゆえに、彼自身はかえってきまりが悪いだろう。LaFaceレコードを共同で発足させ、映画『ボディガード』のサントラをリリースすると、これがまた売れる限りの数を売りつくしてしまう。Edmondsはシルクのようになめらかな声を誇るが、自身をプロデュースする際は、超大物スターのゲストを大勢味方につけ、多少豪華に仕立て上げすぎる傾向もある。面白いことに、彼のプロデュース作品の方が、アーティストとしての彼自身の作品よりも、彼の人となりをよく表現しているのだ。
Babyfaceは音楽産業の力そのものであり、バーチャル・ヒットメーカーがこの世に存在するとすれば、まさに彼がそうだろう。これより上にはもう行きようもないが、かといって自ら手にしたトップの座から転げ落ちる気配は全くない。まったく驚愕である。 written by Scott Wilson |