進化し続けるBabyface、『face 2 face』遂にリリース

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『face 2 face』遂にリリース

進化し続けるベイビーフェイス

最新アルバム

『face 2 face』
BVCA-21085
2001年8月22日発売 2,548(tax in)

1 Baby's Mama Featuring Snoop Dogg
2 There She Goes
3 U Should Know
4 Lover And Friend
5 How Can U Be Down
6 Still In Love With U
7 Don't Take It Too Personal
8 Stressed Out
9 Work It Out
10 Wish U Was My Girl
11 I Keep Callin'
12 With Him
13 Just My Imagination(Running Away With Me)(Babyface & Gwyneth Paltrow)




JOMO PRESENTS
BABYFACE FACE 2 FACE
JAPAN TOUR

2001年10月22日 大阪国際会議場
2001年10月23日 大阪国際会議場
2001年10月26日 日本武道館
2001年10月29日 国際フォーラム・ホールA
2001年10月30日 名古屋センチュリーホール
2001年10月31日 ZEPP FUKUOKA
2001年11月02日 ZEPP FUKUOKA

【問】スリーベース 03-5367-1129


'60年代にモータウン・サウンドがあったように、'70年代にフィリー・ソウルがあったように、'90年代のR&Bにはベイビーフェイスのメロディがあった。まだ、時代の経過が少ないからそこまで言う人はまだ少ないけれど、人々の記憶に残る大ヒット曲の多さを単純にカウントすれば間違いなくそういうことになる。

ボーイズIIメンTLCホイットニー・ヒューストントニ・ブラクストン、そしてR&Bを超えて遂にはエリック・クラプトンまで…、一体何組のアーティストがあのコシのネットリ利いたエモーショナルな生命力に満ちた美しい印象的なメロディを耳にしてきたことだろう。R&Bの歴史は当然のこと、長いポップ・ミュージックの歴史においてでさえベイビーフェイスの名前と曲は、バート・バカラックレノンマッカートニーのそれと並んで歌い継がれていくことは間違いない。

そんなベイビーフェイスも既に40代に突入。地位も名誉も手に入れ、もはや“大先生”的な立場となったことで、今後はこれまでのあくせくした日々を取りかえすべく、悠々自適のペースでの活動を展開するものと予想されていた。実際、ここ数年はこれまでの怒濤のヒット攻勢がやや一段落した観もあったし、ロドニー・ジャーキンスなどの若手プロデューサーなどがベイビーフェイスを脅かす勢いで一気に台頭。“世代交替”の声は実際のところ、そろそろ囁かれはじめてもいた。

しかし、ベイビーフェイスはそんなにヤワな男ではなかった。落ち着くどころか、これまで以上に攻撃的かつ刺激的になって、シーンに新たな挑戦状を叩き付けて来たのだ。しかも“ソロ・アーティスト”としてのベイビーフェイスとして。

まあ、ソロとしての活動自体は、他のアーティストへ提供した楽曲ほどではないにせよ、実際にヒットの実績も充分にあるのでさして珍しいことではないが、今回のソロに関しては勝手が少し違うようだ。

それは本作がベイビーフェイス自身が新たにスタートさせるレーベルNU AMERICAの門出を祝う作品であり、'80年代から常にベイビーフェイスのパートナーであったLAリードが新レーベルの親会社であるアリスタの社長に就任したことへのはなむけ的な作品であるからだ。こうしたベイビーフェイスを取り巻く好待遇な環境は、これまでの彼の音楽界への貢献が正当に評価された結果であることは言うまでもないが、この地点に到達したことが、どうやらベイビーフェイスの創作意欲に火をつけてしまったようだ。

「業界のトップに立ったからこそより時代を引っ張っていかなくては」

この新作、『face 2 face』はそんなベイビーフェイスの責任感とプライドが露になった意欲作だ。まず驚きなのは、歌もソングライティングもプロデュースも何でもできるはずの彼が、今回はじめて外部の人間にプロデュースされているのだ! 彼ほどの大物になればそのプライドゆえに他人にプロデュースされることなど許さないはずなのであるが、そこをあえて他人にゆだねるというのは、ベイビーフェイスがいかに謙虚な姿勢で真摯に音楽に取り込んでいるかを改めて思い知らされる。

しかも、そこでチョイスされたプロデューサーというのが、ここ最近の台頭が著しいザ・ネプチューンズであるという点が衝撃だ。特に'90年代半ば以降、アナログ的な肌触りのスロー・ナンバーが半ばトレードマークと化していたベイビーフェイス・サウンドが、ファンキーこのうえないチキチキ電子ビートを得意とするザ・ネプチューンズと組むというの第一印象としてはどう聞いても異色なのだが、そこはさすがのベイビーフェイス。そういう新しい要素を巧みに吸収することで自らの音楽性を10歳若がえらせることに成功している。

このザ・ネプチューンズとの共演を中心に若々しいファンキーなテイストが全体的に強いが、一方では最近のディアンジェロジル・スコットあたりに通じるニュー・クラシックR&Bに対してのベイビーフェイスなりの回答を本来得意なアナログなソウル感覚で出しているところも見事である。

来るべき新世代からの刺激を逆に自らの新たな創造性に還元出来る才能はもう“お見事”の一言。この感性が健在な限り、“ベイビーフェイスの時代”はまだ安泰だろう。

文●沢田太陽


about Babyface

Parliament~FunkadelicのBootsy Collinsにニック・ネームをつけてもらうというのは、絶対に縁起が良いことに違いない。

Kenneth“Babyface” Edmondsは、最近のミュージック・シーンでは最も成功した1人である。ソロ・アルバムを何百万枚も売っただけでなく、嫌みなくらい数多くのマルチ・プラチナム・メガヒット作品をプロデュースし、事実上、現在のポピュラー・ミュージックの形をほとんど1人で作ってきた。

'59年4月10日、インディアナポリスで生まれたEdmondsは、地元や中西部のクラブやバーを回る下積みから素早く抜け出した。'80年代初めに、Antonio“L.A.”Reidとthe Deeleを結成し、そこそこの成功をおさめたが、むしろ人々にインパクトを与えたのは、Sheena EastonやPaula Abdulといったアーティストのプロデュースを通しての活動であった。

'88年にソロになってからは、ミリオン・ヒット作を連発。彼独特のフックのある楽曲と、時に頼りなげで、時に深みを感じさせるヴォーカルが、広く知られるようになる。

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しかし、ソング・ライティングやプロデュース業における目覚ましい業績を考えると、それまでの彼自身の作品はまるでほとんどオマケのように霞んでしまう。…というのも彼は、MadonnaToni BraxtonWhitney HoustonBoyz II MenTLCMariah Careyといった大スターをはじめ、'90年代にラジオを席巻したすべてのアーティストを手掛けているからだ。

その業績ゆえに、彼自身はかえってきまりが悪いだろう。LaFaceレコードを共同で発足させ、映画『ボディガード』のサントラをリリースすると、これがまた売れる限りの数を売りつくしてしまう。Edmondsはシルクのようになめらかな声を誇るが、自身をプロデュースする際は、超大物スターのゲストを大勢味方につけ、多少豪華に仕立て上げすぎる傾向もある。面白いことに、彼のプロデュース作品の方が、アーティストとしての彼自身の作品よりも、彼の人となりをよく表現しているのだ。

Babyfaceは音楽産業の力そのものであり、バーチャル・ヒットメーカーがこの世に存在するとすれば、まさに彼がそうだろう。これより上にはもう行きようもないが、かといって自ら手にしたトップの座から転げ落ちる気配は全くない。まったく驚愕である。

written by Scott Wilson
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