エモーションの安息の地を感じさせる『ヴェスパタイン』誕生

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エモーションの安息の地を感じさせる『ヴェスパタイン』誕生

エレクトロニックなのにオーガニックで、ぬくもりに満ち、血が脈動し、細胞が呼吸している。
『ヴェスパタイン』には静かなる“生命”が宿っている。

エモーションの安息の地とでも言うべき至福のアルバム

1st ALBUM

『ヴェスパタイン』

ユニバーサルインターナショナル UICP-9001
2001年8月18日発売 2,548(tax in)

1 ヒドゥン・プレイス
2 コクーン
3 イッツ・ノット・アップ・トゥー・ユー
4 アンドゥ
5 ペイガン・ポエトリー
6 フロスティ
7 オーロラ
8 アン・エコー・ア・ステイン
9 サン・イン・マイ・マウス
10 エアルーム
11 ハーム・オブ・ウィル
12 ユニゾン
13 ジェネラス・パームストローク

それにしても、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は、心臓を鋭く抉る凄まじい映画だった。

救いの欠片すらどこにも見当たらない絶望的なストーリー。そして、悲劇の主人公セルマを演じるビョークの、人間業を遥かに超えた魂の演技。そのあまりの衝撃に言葉を失ってしまい、涙すら浮かばなかった。人間の感情の極限レヴェルをも振り切る、恐ろしくも奇跡的な映画である。とりわけラスト・シーンは、思い出しただけでも全身が凍りつく感覚に陥ってしまう。

同映画、そしてサウンドトラック『セルマソングス』(個人的には、しばらく聴くことができなかった)の後だっただけに、ビョークのニュー・アルバムにぼくは、温かさや優しさ、愛に溢れた世界観を求めていたのだけど、この『ヴェスパタイン』は、そんなこちら側の期待と希望を満たして余りある、エモーションの安息の地とでも言うべき至福のアルバムだ。

ビョークの心は今作の制作過程において、楽園にたどり着いたのかもしれない。

ビョークがこれまで鳴らしてきたエレクトロニック・サウンドは、とてもアグレッシヴで、そしてどこか無機的で、冷徹に聴こえる部分もあったように思う。しかし、教会音楽やクラシック要素まで取り入れられた今作は、まるで違う。と言うより、それとは正反対の音だ。

穏やかで静謐で、エレクトロニックなのにオーガニックで、ぬくもりに満ち、血が脈動し、細胞が呼吸している。静かなる“生命”が宿っているのである。

あるインタヴューでビョークは、「
自分にとってはテクノロジーも自然も同じ。確かにコンピュータには魂はないけど、それをオーガニックな音として響かせようとすれば、オーガニックな音になる」みたいなことを言っていた。その言葉の意味はわかるつもりだけど、そんなことって本当に可能なの?――果たして。ビョークはそれを、いとも簡単にやってしまった。

前作『ホモジェニック』を、ぼくはなぜか、都会の雑踏に似合うアルバムだと感じている。実際ヘッドフォン・ステレオに入れて街に出て、無表情で足早に歩く人々を眺めながら聴いてみたら、やっぱり合っていた。でもこの『ヴェスパタイン』は違う。夜の静寂の中、ひとり家の中で聴き浸りたい作品だ。抱きしめて、いや、抱きしめられて、包み込まれたまま朝を迎えたい。

ジャケットに写ったビョーク自身の表情が象徴するような、恍惚をもたらす1枚。傑作です。

文●鈴木宏和


『ヴェスパタイン』全曲解説

M-1 「ヒドゥン・プレイス」
エレクトロニカ・アーティスト、マトモスがプログラミング参加した、アルバムからのリード・シングル。作曲、プロデュースともビョーク本人。オーケストレーションとコーラスが壮大で美しい。

M-2 「コクーン」
タイトルは「繭」の意味。曲及びプロデュースは、ビョークと、彼女が『ダンサー・イン・ザ・ダーク』撮影中に出会ったというトーマス・クナックによる。アナログ盤のようなノイズが随所で聴き取れる。

M-3 「イッツ・ノット・アップ・トゥー・ユー」
流麗で美しいストリングスが一際映える、シングル候補となっているナンバー。ハープも効果的にフィーチャーされている。曲、プロデュースともビョークが手がけた。サビ部分のメロディ・ラインが耳に残る。

M-4 「アンドゥ」
作曲、プロデュースはビョーク&トーマス・クナック。ここでもハープがフィーチャーされている。奏者はジーナ・パーキンス。ビョークのウィスパリング・ヴォイスが静かに胸に染み入ってくる。

M-5 「ペイガン・ポエトリー」
琴の音色とそっくりなハープが印象的な、オリエンタルな雰囲気に満たされた、今作のハイライトと言える1曲。作曲、プロデュースともビョーク自身。オルゴールの音も取り入れられている。

M-6 「フロスティ」
ビョーク本人の作曲、プロデュースによる、オルゴール演奏のインストゥルメンタル。何ともファンタジックで美しい曲だ。オルゴールは、ガラス製のケースに2枚のピンクの円形版が入った特注モノ。

M-7 「オーロラ」
この曲でもマトモスがプログラミング参加。タイトル通り、大空に幻想的に広がって揺れているオーロラを連想させる、スケール感のあるナンバーだ。作曲&プロデュースはビョーク本人が手がけている。

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M-8 「アン・エコー・ア・ステイン」
作曲は、マドンナのアルバム『ミュージック』にもソング・ライティング参加しているガイ・シグスワース。ここまでのナンバーと比べて、少しシリアスでダークな世界観が提示されている。プロデュースはビョーク。

M-9 「サン・イン・マイ・マウス」
前曲と同様、ビョークとガイ・シグスワースによる共作曲。プロデュースはビョーク本人。詞はビョークが敬愛し、あのレディオヘッドのトム・ヨークも好きだというE.E.カミングス『インプレッション』からの引用。

M-10 「エアルーム」
陽気な雰囲気を持ったファンシーな1曲で、本アルバムのアクセント的な役割を果たしている。作曲とプロデュースは、ビョークとマーティン・コンソール。「ポコポコ」というパーカッシヴなビートがユニーク。

M-11 「ハーム・オブ・ウィル」
映画監督/脚本家のハーモニー・コリンの詩をフィーチャーした、壮大で荘厳なナンバー。曲はビョークとハーモニー・コリン、そしてガイ・シグスワースが手がけている。プロデュースはビョーク本人。

M-12 「ユニゾン」
エレクトロ・アーティスト、マーカス・ポップのソロ・プロジェクト、オヴァルからのサンプリングが施されたラスト・ソング。作曲、プロデュースはビョーク。マトモスも参加。メロディックでドラマティックな1曲だ。


M-13 「ジェネラス・パームストローク」
ビョークとジーナ・パーキンスの共作による、日本盤のみ収録のボーナス・トラック。マトモスがプログラミング参加。ハープの調べが感動的なこの曲は、「ヒドゥン・プレイス」のカップリング曲でもある。

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