沢田太陽アメリカ・ライヴツアー体験記 Vol.03

ポスト
~

沢田太陽アメリカ・ライヴツアー体験記 Vol.03

去る5月19日から27日にかけて、僕はアメリカ西海岸へ飛んだ。
その目的はただ一つ、今のアメリカの本当のところでの音楽シーンをこの目で確認したかったからだ。

ここ最近、デスチャ(註:デスティニーズ・チャイルド)やエミネムなど、欧米と日本との温度差を如実に感じさせるアーティストがやけに目につく。最近はようやくフォローされつつあるが、まだまだいまひとつ伝わっていない音楽シーンでの事実はないのだろうか。それをアメリカで実際にライヴを観て確かめてみたかったのである。

この8日間で計5本のライヴを僕は体験したが、いずれも本国との評価と日本での評価の差が著しいものばかり。

今回はその中から3本をピックアップして、今本場アメリカで本当に熱い音楽とその実情についてお届けしたいと思う。

Vol.01
ネリー・ファータド&デヴィッド・グレイ(5/20 ラス・ヴェガス ハードロック・ホテル)
Vol.02
デイヴ・マシューズ・バンド(5/22 ロサンゼルス ドジャー・スタジアム)
■Vol.03
トレイン(5/26 サンフランシスコ ウォーフィールド・シアター)

取材・文●沢田太陽(音楽ジャーナリスト)

Vol.03 トレイン(5/26 サンフランシスコ ウォーフィールド・シアター)

NELLY FURTADO

『DROPS OF JUPITER』

Train
2001年06月20日発売
SRCS-2469 2,520 (tax in)

1 She's On Fire
2 I Wish You Would
3 Drops Of Jupiter(Tell Me)
4 It's About You
5 Hopeless
6 Respect
7 Let It All
8 Something More
9 Whipping Boy
10 Get Away
11 Mississippi

今回の訪米中の間、街でもっとも流れていたロック・チューンは二つ。

ライフハウスの「ハンギング・バイ・ザ・モーメント」、そしてもう一つがこのレビューの主役、トレインの「ドロップス・オブ・ジュピター」なのだが、この2曲が今のアメリカのロック・シーンの流れを端的に象徴していて実に興味深かった。

この2曲、“ジャンル分け”の区分でいくとアメリカでは“モダン・ロック”とか“オルタナ”ということにはなっている。実際トレインの現在大ヒット中(最高位6位)の2ndアルバム『ドロップス・オブ・ジュピター』プロデューサーはパール・ジャムレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンでお馴染みのブレンダン・オブライエンだったりする。

しかし、「オルタナ臭い」のはあくまでもそのギターの音の処理ぐらいのもので、楽曲そのものは'80年代初頭のラジオ・フレンドリーなロックでジャーニーあたりを彷佛とさせる大人っぽいものだったりする。

そして彼らもデイヴ・マシューズ・バンド同様、「ジャム・バンド」の範疇で本国では語られているようであるが、ジャム・バンドっぽいのはちょっと土臭い昔気質のアメリカン・ロックっぽいところがあるところぐらい。しかし、僕はこれが悪いと言っているのではない。必然的に出て来るべくして出て来たな、そういう音なのだ。

ここ10年ほど、オルタナティヴ・ロックは「メインストリームに対しての反抗音楽」として機能してきた。そしてそれは、'80年代後半にバブル状に膨れ上がった手ぬるいロックを一掃するのに大いに貢献した。

しかし、いつしかそんなオルタナティヴ自体が主流となってしまった今、払拭すべき敵となるべき存在はなくなってしまい、オルタナ自体が自然と「保守王道」となるしかなくなってしまった。

そんな状態であるならば、オルタナがポップに洗練されて行くのはごく自然の成りゆきなのではないだろうか。それに、いつまでも眉間に皺を寄せたシリアスな歌ばかりを聴衆も聴いていたくはないはずだ。

そろそろ理屈抜きによくできた「ポップス」というものをちゃんと聴きたい。トレインとは、そういう時代のニーズに見事に応えた存在なのだ。

そんな、現在のアメリカのロックシーンの象徴とも言えるトレインのライヴを彼らの地元サンフランシスコの名物ライヴハウス、ウォーフィールドで目撃してきた。

会場に詰め掛けた観客で目立つのは30代前後の比較的高い年齢層の人たち。これはやはり『ドロップス・オブ・ジュピター』がアメリカのアダルト・ラジオ局でウケていることを反映してのことだろう。

そしてそんな観客を迎え撃つトレインの5人のメンバーも、そんな観客とほぼ近い世代と思しき実にシンプルな風貌。

2ndアルバムの中の「リスペクト」で幕を開けた今回のライヴだが、やはり'90年代のバンドとは違い、コードやコーラスに凝った職人気質のポップスを聴かせてくれる。

.

ヴォーカルのパットも実に伸びやかなハイトーン・ヴォイスを披露。この辺は予想通りに'80年代バンドっぽいニュアンスだが、パットがトランペット、サックス、パーカッションをプレイし、ギタリストが頻繁にマンドリンに持ち換えるなど、ジャジーかつ土臭い演奏ができる器用さを見せるところが現在のジャム・バンドっぽくもある。

いずれにしても、演奏のうまさ、ミュージシャンシップの高さに関しては保証つきであると言ってよい。勢いと若さにまかせたライヴも良いが、こういう安定した実力をもった連中によるライヴというのも決して見逃せない。

また、極めてシンギングしやすいアンセム的な楽曲が目白押しのため、会場はどの曲でも合唱につぐ合唱。そして、オリジナル曲のみならず、レッド・ツェッペリンチープ・トリックのカヴァーまで披露。この辺のハードロックを元曲に忠実な高いキーで歌えるところにこのバンドの音楽的ルーツ(おそらくメタルだろう)が垣間見えもした。

MCも女性をステージにあげて口説いてみたりなど、エンターテインメント性も高い。やはり地元でのライヴということで終始大盛り上がりではあったが、こうしたライヴのノリに対してときに「手ぬるいぞ!」「売れ線に走りやがって」とばかりにブーイングを飛ばす向きもあったが、これに対してもヴォーカルのパットが「
僕達のことをジャム・バンドって思ってる人たちには軟弱に聴こえるかもしれないけど、僕達はチープ・トリックの曲だってやるんだぜ!」とやり返すなど、肝っ玉の座り具合もまた見事だった。
 
派手なルックスもカリスマ性もない。しかし、“若者の代弁者”的キャラクター性が必要以上に求められ過ぎた'90年代の反動として、こうした地味ながらもちゃんとした実力を持ったバンドがそろそろ評価されるべきではないか。

僕はそう思いながら、ライヴ会場を後にした。

この記事をポスト

この記事の関連情報