ラッキーなスタートを切った実力派のその後 '80年代に登場したシンガーソングライターで最も興味深い存在のひとりで、特定のジャンルに当てはめることが最も難しいアーティストのひとりが、ヴァージニア州ウィリアムズバーグ('54年11月23日)生まれのピアニストBruce Hornsbyであろう。'86年度のGrammyでBest New Artistを受賞したHornsbyは、幅広く受け入れられた同年のNo. 1シングル「The Way It Is」で瞬く間に注目されたのだった。この曲がアピールした要因としては、まずピアノ中心のアレンジがWhitney Houston、Madonna、Janet Jacksonが席巻していた当時の音楽シーンにおいて極めてユニークなサウンドであったこと、そしてもちろんフックのあるコーラス(サビ)がこの上なくキャッチーであったことが挙げられよう。 だが、それだけではなかった。Hornsbyは彼に大きな影響を与えたThe Bandが20年前に実践したのと同じ方法で、充分に自身の音楽性を確立してからデビューしたのである。彼のピアノソロ(雇われセッションマンではなく本人によるもの)は、冒険的なくらいジャジーで、そのタッチはジャズ界のスターKeith Jarrettにも通じるものである。また、彼の書く詞はThe BandのRobbie Robertsonと同じように、古き良きアメリカのタイムレスなムードを湛えたものであった。Hornsbyは生まれついてのアーティストでポップスターではなかったが、ほとんど事故のような偶然によって大衆の支持を集めたのである。マイアミ州立大学とバークリー音楽院で専門教育を受けたHornsbyは、RCAに認められる前にはニューエイジのインストルメンタルで知られるレーベルWindham Hillともう少しのところで契約する予定だったという事実が後に明らかにされたことは、そうした彼の本質を端的に物語るものであろう。 Hornsbyの最初の3枚のアルバムは一貫して“Bruce Hornsby & the Range”とクレジットされていたが、バンドのメンバーであるDavid Mansfield (後にPeter Harrisに交代)、George Marinelli、Joe Puerta、John Moloがソングライティングに加わることはまったくなかった。Hornsbyの共作者は彼自身のアルバムに関するかぎり、兄弟で弁護士のJohn Hornsbyだけである。二人のコンビネーションは絶妙で、Johnの詞がよりイメージ重視で文学をかなり意識しているのに対して、Bruce自身の作風はもっとシンプルでエモーショナルなものとなっている。レコード会社は彼のことを“バックビートに乗った若きWilliam Faulkner”と表現したことがあるが、その形容はあながち的外れなものでもないだろう。 初期のHornsbyは大活躍を成し遂げた。上記のGarmmy獲得以外にも、デビューアルバムの『The Way It Is』が3枚のシングル(「The Way It Is」「Mandolin Rain」「Every Little Kiss」)をトップ20に送り込んだうえ、アルバムのうち3曲をプロデュースした旧友のHuey LewisがHornsbyの「Jacob's Ladder」をレコーディング、'87年の初めにはチャートのトップに昇り詰める大ヒットになったのである。Hornsbyの絶好調は'88年まで続く。セカンドアルバムの『Scenes From TheSouthside』は、「The Valley Road」と「Look Out Any Window」のヒットでトップ5入りを果たしたほか、Hornsby自身は音楽業界のあらゆるアーティストとコラボレーションを行なっていった。例えばDon HenlyとはHenlyのトップ10ヒット「The End OfThe Innocence」を共作、Nitty Gritty Dirt Bandと共演した『Will The Circle BeUnbroken, Vol.2』の収録曲がGrammyでBest Bluegrass Recordingを受賞、LeonRussellのカムバック作『Anything Can Happen』をプロデュースといった具合である。 Hornsbyのthe Rangeとの最後のアルバムとなった'90年の『A Night On The Town』は、わずか枚のシングル(「Across The River」)がトップ20入りしただけで、アルバムチャートでもトップ40入りを逃すなど、セールス面で期待外れに終わった。Hornsbyはどこで何をしていたのか? Grateful Deadのゲストキーボーディストとして100ヶ所以上のツアーに参加する一方で、他のアーティストの40枚以上のアルバムに協力し、ソロでツアーを行ない、(ありそうなことだが)双子の父親になっていたのである。彼は幅を広げようとしすぎて厚みを失ってしまったのだろうか? その可能性は大きい。'93年のthe Range抜きでの初のアルバム『Harbor Lights』は、今や親友となったJerry Garcia、Pat Metheny、Bonnie Raitt、Phil Collins、Branford Marsalisなどキラ星のごときゲストが参加したものの、ヒットを生むこともなくチャートから素早く消え去ってしまった。続く'95年の『HotHouse』も同様の失敗作に終わっている。 公平な見方をすれば誰もHornsbyの才能を否定することはできないし、そのことはすでに充分に実証されており、彼が音楽仲間から非常にリスペクトされていることも確かである。だが、もうひとつの「The Way It Is」が彼の中に残されているのか? そしてそれを聞きたいと思うオーディエンスが存在し続けているのか? このふたつが現在のHornsbyが直面している最大の問題点であろう。 by Dave Dimartino |