【インタビュー】田中知之(FPM)「今作っているものは“まったく自分”なんです」

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FPMこと田中知之が、3月12日にSNSに書き込んだ一言が一部ファンの間で話題となった。

「ずっと書けないでいた新曲の歌詞が、まるで自動筆記のように出来上がってしまった。(中略)なる早で皆さんに披露したいと考えています。」

3.11という忘れられない日、そして新型コロナウィルス感染症による社会的混乱・混沌、そんな最中に田中に“降りてきた”歌詞……ここのところ「コロナ以前からなぜか自分の中に享楽的なものを作ろうとする気持ちが一切なかった」という田中に、なぜ“降りて”きて、リリースに向け動き出したのか? 日々変わりゆく社会情勢に伴い、二回に渡り田中に話を聞くこととなった。それは何故か? FPMを知る僕らは、本当の音楽家・田中知之を知らなかったのかもしれない。

◆田中知之(FPM) 動画&画像

■そろそろ自分が
■片手に入る1枚を作るべき

──新型コロナウィルス感染症拡大防止の影響はいかがでしょうか(取材日:2020年3月20日)?

田中知之(FPM/以下、田中) もちろん僕だけじゃないですが、ほぼすべてのイベント/仕事は中止。いつ明けるかが分からない。距離がどれだけあるか分からないトンネルに入ってる感じです。

──いつ抜けるか分からない。

田中 それは僕だけじゃなくて世の中全体が入ってて……そういう状況に入ったことがあるようでなかったのかなと今思っています。

──東日本大震災のときはどうでしたか?

田中 Facebookにも書いたけど、震災があった翌日に神戸でイベントをやったんです。すごく叩かれたりしたけど、当時はイベントをやることで、その勇気が認められた気はしたんです。今ってその“やる勇気”も何もない……すべてにおいて“道を断たれた感”があるんですよね。そこが全然違う。不思議な気持ち。

──震災のときは“みんなで頑張ろう!”というチャリティイベントができた。それができないのは不安……。

田中 そう、まさに八方塞がり。僕らは当時叩かれつつも結果、そこで募金を募って……言い方は悪いけど“ヒロイック”なことができた。でも今はそれすら認められないから自粛するしかない、大人しくしてるしかない。そういう鬱憤のやり場として、僕には音楽制作があってよかった、ラッキーだなと思います。 音楽がマネタイズできなくなった、そんな中で、それでも何かいい作品を作ろうとか、みんなが聞いたこともないようなDJをやろうとか、そういう気持ちは当然あります。アートの常なんですけど、マネタイズみたいなものが難しくなっていくと、どんどん芸術性が上がっていく。どんどん純粋な音楽に近づいていく。

──より自分の作りたいものが作れる、と?

田中 僕らがデビューした90年代終わりは空前の音楽バブル。ものすごいお金が動いたし、僕レベルのアーティストですらメジャーのレコード会社でCDが出せて、それなりの制作費や宣伝費を潤沢にかけてもらい海外でもリリースがあったり、いろんな経験をすることができた。今それができないから不幸かというと、そうでもない。あのときがよかったな、なんてことも僕は思わなくて。今は音楽制作における純粋性……今の時代は自分だけですべてを賄えるし、バイアスがかからない。

例えばレコード会社と契約していた時は一年間で2枚のオリジナルアルバムをリリースしてくださいとか、売れるように分かりやすいコラボをしてくださいとか言われていたけど、今はそういうことを誰も何も言ってこない(笑)。自分の好き放題できるわけで、今、一周回って音楽を始めた瞬間と気持ちが一緒なんです。そんな状況で、僕は自分の城=プライベートスタジオがあって、i-depのナカムラヒロシ君をパートナーに、何も決め事のない中からレコーディングを始めて。ここ2年くらいは一切ゲストを迎えず、ただ自分が作りたい音楽を作ってた。

──では今作っているものは田中さんにとって、ある種とても純粋な音楽なわけですね。

田中 僕は今53歳。あと何枚アルバムのリリースができるんだろう、あと何曲作れるんだろう、あと何回DJできるだろう……そういうことを純粋に思う。レコードもまだ1万枚以上所有しているけど、フェイバリットなんて片手で抱えるくらいしかない(笑)。もうそろそろ自分自身としてもその片手に入るレコードを1枚作るべきだし、人にもそういうチョイスしてもらえるレコードを作るべきなんじゃないかと思ったわけ。

──その片手に入る作品、言わば集大成的なものになると?

田中 もちろん僕はDJが大好きだし、ダンスミュージックも大好きだし、そこから逃れることは絶対にない。FPMは誕生から、享楽的ではあるけどもダンスミュージックとしてチャラい存在であってはいけない気持ちはあったんです。もちろん見る人によっては十分チャラいのかもしれないけど(笑)。ただ今回制作してるものに関しては、自分がこの歳まで聴き込んできた音楽や影響を受けてきた音楽をもう一回総決算して、それをどうにか自分的な音楽にして出したいとイチから考えたんです。

■自分の中の音楽遍歴を全部振り返り
■さらに前に進める作業をやりたい

──今回はすでに10曲デモがあるそうですが、どういう作品なんでしょうか?

田中 言ってみれば作り方からいつもと違うのかな……今日は現代音楽的なアプローチでトラックを作ろうかとか決めて、現代音楽とは?から研究、勉強を始めたんです。もちろん私が現代音楽家になるとかおこがましいことは考えていないのですが、サンプリングという行為が間違いなく自分を生み出したので、現代音楽的アプローチをするにしてもサンプリングという手法を使うといいだろうと思ったり……。もちろんヤン富田さんやクリスチャン・マークレーみたいな先駆者はいらっしゃるわけですが。

今年FPMは25周年を迎えました。今回、FPM最後のアルバムのつもりで始まったけど、作っていくうちにこれはもはやFPMで出さなくてもいいんじゃないか、となってきた。FPMは自分じゃない何かをそれを俯瞰で見て、「FPMってこうだよね?」というプロジェクト。参加するゲストもFPMのイメージをそれぞれが形にしていく。FPMは自分であって自分じゃない。今作っているものは“まったく自分”なんです。自分の音楽遍歴の中のFPMがあったとしたらそれ以外のものまで作ってしまっている。

──それはかなり“エッジー”なものになってしまっているということでしょうか?

田中 そうかもしれないし、その逆かもしれない。例えば最新のダンスミュージックを作りたいとかと、ポップミュージックとダンスミュージックの橋渡しをしたいとか、そういう欲望を今まで描いてました……でも今作っているものは心の中にある一番純粋なものを形にしたもの。言ってみればFPMは自分の中のフィクションの世界だけど、ここ数ヶ月、自分の作るものはどんどんノンフィクションになっていってる。

──例えば、どんなふうに制作しているのでしょうか?

田中 自分の音楽遍歴を振り返りたい、そんな中でナカムラヒロシ君とやりだしたのが「いたこ作曲法」。例えば今日はテーマに、僕が高校生のころからズーッと聴いているエリック・サティにする。サティが今生きていたら、どんな曲を作るんだろうと考えてレコーディングするんです。そのためにサティをふたりで聴きまくって“降霊”する。そういうふうに今日はビル・エヴァンス、今日はマーチン・デニー……、ある時はダブをずーっと聴いてきたけど、今の僕だったらどんなダブを作りたいかな、とじっくり考えてから作り上げていく。つまり自分の中の音楽遍歴を全部振り返り、さらに前に進めるって作業をやりたいと思ったんです。

■世の中の気持ちを感じ取って
■それが僕が言葉として書き留めた

──今日(3月20日)レコーディングされた曲はどういった経緯で?

田中 どうやってリリースしようかというときに今回のコロナショックが起きて、3月に差し掛かるころからイベントやパーティが全くできなくなって……仕方がないからレコーディングでもしようと。そして3月11日を迎えたわけ。その日は休みだったので、朝からダラダラとテレビを観てた。株価が暴落してます、今日で震災から9年経ちました、コロナが大変なことに……とかいろいろな言葉が耳に入ってきた。それで2時46分になって震災の慰霊式典も控えめにというニュースがあって「ああ、そうですか」と聞いてたんです。そのあとのニュースで式典が始まる瞬間に虹が出ましたと。続けて高校野球も無観客から中止になったと聞いて……なんかもう訳分からないなぁ、と。いろんな意味でフィクションよりノンフィクションの方がすごいなと。

──SNSでは歌詞が“降りてきた”と表現されてましたね。

田中 そう、そのときに急に歌詞が“降りてきた”。事前に、アル・クーパーがプロデュースしたマイケル・ゲートリーの『ゲートリーズ・カフェ』というマイナーなアルバムに影響された70年代フォーク的な曲は作ってあったんですけど。で、まずサビの「We Want to Change the World Again」という言葉が思いついて、そこからは更に日本語の歌詞がスラスラと15分くらいで自動筆記みたいに書けたんです。Facebookでも書いたけど、記念式典で虹が出たというニュースを聞いて「そりゃ、そういうことだよね」と思ったのと同じように、降りてきた歌詞を見返して、「そりゃ、そういうことだよね」と思ったんですよ。世の中のモヤモヤな気分が、僕にこの曲を授けたんだなと。僕はイタコとして、世の中の気持ちを感じ取って、それを言葉として書き留めたに過ぎないんだなという。

──しかも日本語なんですね。

田中 でしょ? そもそもFPMで日本語なんかやったことないし、その瞬間まで日本語歌詞でやる気もなかった。僕は小学6年生くらいにビートルズとYMOを一緒に聴いて以来、完全に洋楽志向で、自分でやるのも当然英語だと思ってたし、何の疑いもなくここまで来たんです。特にFPMでは、自分とは肌の色が違う人の音楽に憧れを持って、そういうものに対してアプローチをしたいという思いがあるから、英語はもちろんポルトガル語の曲、フランス語の曲もあるけど、日本語だけはオリジナルではやってこなかった。今回に関しては、これも何かの縁だなと。ぜひ形にすべきだなと思ったわけなんです。

──ゲストのチョイスに関しては?

田中 SNSにも書いたけど、これは一刻も早くレコーディングして仕上げなければと。そんなときに僕のSNS投稿にクラムボンのミト君が手伝いますよみたいなこと書いてくれてて。ミトくんと言えば、(原田)郁子ちゃんに頼むのもいいかなと思いついて。それで連絡したところ、ぜひと。で、最近郁子ちゃんはどんな感じなのかとYouTubeを開いたら、郁子ちゃんと高野寛さんのライブ映像が出てきた。偶然なんですけど、3月11日の僕の投稿に高野さんが「いいね!」してくれていて……今回は男と人と女の人がけだるくデュエットしてるイメージだったので、高野さんに連絡したところ、即OKを頂き、それで今日を迎えました。

■ダンスミュージックというエッセンスは
■いつまでも僕の中にあり続ける

──リリースはいつになるのでしょうか?

田中 なる早で届けますと告知はしたので、すぐに配信できる。それがいいのかどうか分からないけど、なる早でやりたい。しかもこの曲に限って言えば、これは僕が作った曲じゃなくて、みんなが僕に作らせてくれた、僕はあくまでも形にしただけなんだ、っていう気持ちなんです。FPMは全てフィクション前提だけど、今回はすべてストーリーがある。事の起こり、曲の出来上がり、歌詞、参加者の選定……そこに携わる人たちもすべて自然とつながりがあって、それで今、曲が出来上がろうとしている。コロナショック=喜ばしくない世界が僕の作品を生み出すことになったのかな……皮肉にもとしか言えないんですけど。

──コロナショックがなかったら出てないかもしれない?

田中 かもしれないですね……ただその前から自分の中に享楽的な気持ちはあまりなかった。今手掛けている全てのデモに享楽的な感じはほぼないんです。もしかしたら享楽的に聴こえる曲も、歌詞はめちゃくちゃ暗かったり。実はその全く逆なことがFPMのデビューのときに起こってて……世の中がトリップホップ──暗くて陰鬱な音楽がイギリスから出てきて、すごく人気があった。もちろん嫌いじゃないけど、自分が作るとなるとリアリティがなかったんです。だからすごく暴力的なまでに楽天的で享楽的なものを作ろう、それこそパンクだって思って始めたのが、FPM。でも今の自分は完全に曇り空で陰鬱で……昔はクラブで馬鹿騒ぎしていたかもしれないけど、そういうものに全くリアリティを感じなくなって、それはFPM=享楽的である、ポップである、を自分に課してきたんだなということに気付いた。結果、一番最初に今回の作品はFPMであるかどうか分からないといったのは、ここに話が繋がるんです。

──なるほど。

田中 自分も今、鬱になりそうな日もありますよ(笑)。例えばDJの文化がどうあるべきなのか悩む日もある。そこに無理に入っていくことに時々違和感も感じるし、でもやっていくべきだとも思うし……。もちろんダンスミュージックというエッセンスはいつまでも僕の中心にあり続けるけど、ダンスミュージックであることから自分を解放して、中から出てきた音楽がとても内向的な音楽だった。そういう音の断片が日々の鬱憤のようにハードディスクの上に溜まっていって、溢れ出るきっかけが今回のこの世界の情勢だったのかな……ただ、今は僕はこの作品を出すべきだって強く思ってるんです。昔、芸術家がお金になる確証もなしに、ひたすらキャンバスに絵を描いて、発表する機会もないままに死んじゃってということがあったりするでしょ? 僕はせめて死ぬ前に出したいなっていう気持ちがあり……(笑)。

──逆に今、FPM名義の作品は出したくないですか?

田中 実はそうでもないです。いまだにいろんな仕事をしてるし、自分というものを投影するという義務から離れたら、いくらでもできるし、FPMというものに対してやれと言われたらまだまだできると思う。もしかしたら並行してやってもいい。でも、例えば今回作ったこれらは、FPMか?と言ったら……。

──うーんとなりますね(笑)。

田中 なるよね(笑)。みんな、FPM像があるんですよ。もはや自分の手に負えない怪物で、FPMはフィクション、おとぎ話だから主人公に、好きに武器を持たせたり、火を吹かせたりできる。でもFPMではなく田中知之という人間にフォーカスして、ナカムラヒロシ君だけに自分の心境を吐露してゲストを迎えずにもここまでデモを10曲作った。純粋に何か他のエッセンスや他人の気持ちを入れずに、ナカムラ君は僕の心の中で何が鳴ってるか一生懸命想像してくれて、一緒に作ってくれた。だからものすごく純粋な田中知之の抽出液が出来てる。今日初めて、新たなるエッセンス──高野さんと郁子ちゃん──が入りました。

──今後に関してはいかがですか?

田中 サンプリングを使った現代音楽的なアプローチもシリーズとしてやっていきたいなと思うし、イタコ作曲シリーズ、ジャンル別恩返しシリーズみたいなものとか色々あって……それらがもしかしたらFPM名義で出してもよかったんですが、今回の作品に関しては「田中知之」で出そうと決心しました。

で。更に言えば必ずしも「音楽」としてリリースすることを前提としないでもよいのかなと……例えばバンクシーだったら壁にステンシルで書かれた絵がオリジナルで、それを複製したものがポスターで売っている。今回の僕の作品はもしかしたら映画におけるサウンドトラックに過ぎないのかとか……作品としての完成形は映像と一緒になったもの、パフォーマーと一緒にパフォーマンスするもの、それをたった一回だけ上映、上演したものがオリジナル作品ですよ、それ以外は全部複製品ですよとか……現代美術的な考え方ですよね。

今日3月20日、米Amazonでコロナが収束するまでレコードとCDの取り扱いをやめるというニュースも出てましたが、これって音楽家にとっては息の根を止められた行為だと思います。そんな日にできた新しい楽曲……もうありえないくらいの“バッドグルーヴ”ですよね。音楽でマネタイズするのはいよいよ困難になってきたけど、その反面、絵を認められないまま亡くなったゴッホのように死にたくもないしなぁ(笑)。今回のコロナショックでそんなウジウジと溜まっていたウミが出ちゃった感じで……。

──その“ウミ”が集大成的なもの?

田中 もうウミの集大成でいいんじゃないかな(笑)。田中知之デビューかもしれないし、人生最後のアルバムかもしれない。それくらいの気持ちで今やってるんです。

◆ ◆ ◆

■音楽家としてメッセージを伝えたい
■それが僕らがやるべきことなんじゃないか

──リリースする曲が変更になったそうですが、前回からどんな心境の変化がありましたか(取材日:2020年4月15日)?

田中 世の中の情勢がどんどん変わっていってますよね? この前は3月11日の気分で歌詞ができて、なる早でリリースしようと思って、高野寛さん、クラムボン(原田)郁子ちゃんに歌をお願いして、ほぼ出来上がってはいるのですが……DJの心境と一緒で、空気が変わったら選曲が変わるというか……

──なるほど。

田中 以前も言ったかもですが、FPM =Fantastic Plastic Machineはある意味ファンタジーなものだけど、今回の曲に関してはリアルなストーリーがあって、リアルな世の中のノンフィクションがあって、その状況の中で生まれてしまった楽曲。僕は前回、希望的観測で世の中がもう少し良い方向に進むんじゃないかと期待した。歌詞が出来てから一ヶ月経ってるけど、そのとき思ったのをはるかに超えて良くない状況になっている。そんな中でリリースするのがいいのか、歌い手である高野さん、郁子ちゃんにも相談したんです。僕はシンガー・ソングライターみたいな気持ちで曲を作ったことがないので(笑)、こんな曲ができたこと自体、驚きでもある。今回の曲は、FPMで存在したフィクション/ファンタジーの世界とは全く違う気持ちで出来上がっているので今まで経験したことのない逡巡があった。

アーティストや作品の変遷はいろいろあったと思うけど、リリースと言われる体系としてはそれほど変わりない……メジャーで出すか、インディーで出すか、はたまたアナログがCDになったとか、配信になったとか、それくらいでしょ? でもそういうリリースの仕方自体、考え直さないといけない。僕が作ったものは純粋な作品だけど、そこにレコード会社とか、権利保有者とかいろいろな思惑が絡んでて、いろんなところで“大人の事情”が蠢いているのが音楽業界の常だったんですけど、今はその価値観自体が根底から覆されるように思います。この音楽が時代を反映したものだから早く出したいと単に思ったけど、そこに乖離が見られたのかな……世の中の気分的なものと作品と。さてどうしたものかなと。

──それがリリースを躊躇った理由……?

田中 ここ数年作っている作品は、FPM最後のアルバムかもしれないし、田中知之のデビューアルバムかもしれないというのはこの前お話した通り。そうやって音楽ができてしまって……今のカオスな世の中を予言したかのような楽曲がたくさん出来上がっていて、人類末というか、人間はこのまま破滅に向かってしまうのではないか……それに加えて僕も50歳を越えて、死ぬ準備すら考える歳になって、音楽をいつまで作れるのか、いつまでDJできるのか、いろいろ考えながら、レコーディングを始めたんです。自分が死ぬ瞬間に聴きたい音楽を自分で生み出しておきたい、そういう気持ちになってるのかも。楽天的、ポップなフィーリングを無意識に排除している楽曲ばかりが出来上がっているんです。しかも今現在の世相を予見してしまった曲がいくつかあって、リリースする順番を考えると、この前高野さんと郁子ちゃんに唄ってもらった曲よりも先に出すべき曲があるなぁと。

──その答えが導いたのが「Alone」になるわけですね?

田中 「Alone」はその高野さん達との曲とカップリングで一緒に出す予定だったんです。日本語のポップスと最も距離が遠い楽曲だけど、逆にそれを出すのもありなのかなと。「Alone」のコンセプトは「全員が孤独で、Aloneなんだけど、みんな孤独だからつまりはだれも孤独じゃないんだよ」というメッセージで、Jポップのおきまりのお題への自分なりの回答なんです。奇しくも今、非常事態宣言が出て、世界中で都市がロックアウトしていて、ひとりでいることを強制されている状況で……最初「Alone」を作り始めたときは世の中がどんどん不景気になっていくのを感じてたし、そんな中で孤独に苛まれてどうしようもなくなっている人がもっと増えるんじゃないかと思ったし、ともすれば自分もそうなるんじゃないかと思ったし、おこがましいけど、そういう人たちを救済する曲を作りたい、音楽でそういうことができないか、そう漠然と思ってました。

今は目先のことを解決するのに必死だけど、収束に向かって冷静になったとき、にっちもさっちも行かなくなる人がたくさんいるだろうと残念ながら想像できる。ここ三ヶ月のDJの仕事がストップしつつも、クラブを守れないか、いろいろな情報を伝えられないか、そういう活動に時間を費やしてきたつもり……だけど音楽家としてメッセージを伝えたい、そんな臭いセリフはいいたくないけど(笑)、それが僕らがやるべきことなんじゃないか、そう素直に思ったわけなんです。


■遠隔操作で曲作りをしていくスタイル
■それすら今は違うと感じてる

──先日ストリーミング配信で「Alone」をプレイされたそうですね?

田中 それなりに反響はあって。なんの説明もしなかったけど、深読みしてくれた人たちがいたり、ダイレクトメッセージをくれた人もいたし……僕としては音楽の力を信じてはいるけど、実際に感受性がある人が分かってくれるんだなと。それは純粋に嬉しかったですね。すごく享楽的な、「パリピ」に象徴されるようなシーンを否定するつもりはもちろんないし、今でも僕にもそういう側面はあります。でも作品に関して単に享楽的なトラックを作ることが、どんどんリアリティがなくなってしまった。今のダンスミュージックシーンが幼稚化したのか、自分が歳を取って成熟したのか衰えたのか、それさえも分からない。そんな中で自分が取るべき音楽の制作の形、作品に求めるものが、たまたまそういうものだったのか、運命だったのか、分からないですけど。

──それらの作品群を今後順次リリースしていく?

田中 今、次々とリリースしたい。これまでリリースってCDやアナログ盤などいわゆるフィジカルと言われるものを出すことで初めて世の中で作品として認められるというものだったでしょ? もちろん今回の作品も、今後メジャーから出すかもしれない。ただこの状況でレコード会社が機能するのか、だったら配信でもいいし、もしかしたらダイレクトメッセージでもいいかもしれない。「FPMこと田中知之がアルバムをリリースします」ということが空虚な気がしてしまって……。なのにこうして取材してもらうのも辻褄が合わない感じがするけど(笑)。作った作品はこの際一刻も早く皆さんに聴いてほしい。それを、このご時世にどうやって届けるべきなのか、導きがほしい気持ちなんです。

──今やリリースの形態はさまざまですし、アーティストにとって難しい問題ですね。

田中 コロナショックが起こる前からリリースの形態に関しては懐疑的だった。いろいろな識者と話す中で、アルバムという形態のリリースがスタートやゴールになるものではないという答えは出ていたんだけど……一般的にメジャーなレコード会社と契約=アルバムリリースというのが前提だけど、今やそれが自分にふさわしいかもわからない。今自分が作っているものは単純なものではないし、違う形でも育っていくのではという期待もあります。

前回も言ったけど、これらの作品は私の“エゴ”であって、ケガをこじらせた結果溜まってしまった“ウミ”であってグロテスクなものなんです。僕はこれまでFPMとして、そういうものを人に見せずに、第三者の立場で作品作りをしてきました。ある意味捏造です。そういう捏造が楽しかった。ただ今回の作品に関しては楽曲のリアルな物語が進んでいる、それに並走するように楽曲が出来上がっていく。会ったこともない人と遠隔操作で曲作りをしていくスタイルは便利だし簡単だし当然やっていたけど、それすら今は違うと感じてるんです。ただ偶然出会ってしまったサンプリングネタはこれは運命なのでウェルカムなんですけど(笑)。

──今回制作している作品は、田中さんのDJプレイにも影響を与えますか?

田中 うん、完全に与えるでしょうね。しばらくはプレイの一曲目、もしくはラストは必ず「Alone」をかけると思います。DJブースってどれだけフロアに人がいようと、結局ひとりぼっちでしょ(笑)?


「Alone」

■2020年4月22日(水)配信リリース
produced by Tomoyuki Tanaka
lyrics: Tomoyuki Tanaka
music: Tomoyuki Tanaka, Hiroshi Nakamura
arrangement: Tomoyuki Tanaka, Hiroshi Nakamura


「Change the World Again」

■2020年5月13日(水)配信リリース
produced by Tomoyuki Tanaka
vocals:Hiroshi Takano, Ikuko Harada(clammbon)
lyrics: Tomoyuki Tanaka
music: Tomoyuki Tanaka, Hiroshi Nakamura
arrangement: Tomoyuki Tanaka, Hiroshi Nakamura

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