【インタビュー】GLAY・TAKURO「GLAYという4人の人生の結晶体、それが美しいかどうかがすべての基準」

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約2年半ぶりとなるGLAYのニューアルバム『SUMMERDELICS』を聴けば、新鮮な驚きと斬新な刺激を大いに受けることだろう。まるで学生ノリが抜け切らないデビューしたての新人バンドのような、「無邪気さ」と「無鉄砲さ」に満ち溢れているからだ。

◆GLAY~画像&映像~

2017年、シーンのトップを走り続ける経験豊かな重鎮が生み出した作品は、20数年に及び今もなお他を寄せ付けぬ圧倒的なクオリティーを携えながらも、ノー・ルールの自由な作風でGLAYメンバー自らがのびのびと音楽を楽しんでしまう姿をパッケージしたものとなった。まるで自分たちが一番おもしろいと思った14のアトラクションを並べ、「さあ、お好きに楽しんで」と笑顔を向けられているようでもある。

エンターテイメントの追求の先にあったものは、“ホスピタリティたっぷりのアルバム”という、誰も作れなかった肌触りの音楽作品集だったようだ。『SUMMERDELICS』はどのように生まれ、味付けされ、世に生を受けたのか。

■「この才能をきっちり世の中に伝えられなかったら、俺の仕事は何なんだ」

──気付けばデビュー23年だそうで。

TAKURO:こないだの5月25日で23年。GLAYを作ったのは1988年だから、知らない間に結成30年です。まあ、HISASHIもJIROもいなかったんで、そんな雰囲気でもないんですけど。

──GLAYと名乗って30年ですか。

TAKURO:はい、GLAYという名を語って30年。

──それだけのキャリアを積んでなお、レイドバックせずやんちゃな感じを発するのは何なんでしょう。

▲『SUMMERDELICS』

TAKURO:このアルバムに初々しさや瑞々しさ、ある種の熱量を感じるのであれば、HISASHIがキーパーソンとしてものすごく貢献をしていると思います。どの時代のどんな場面においても彼は、いつでも第三者としての立場を崩さず、決して当事者にはならずGLAYの仕事をこなしてきた。それこそ「カウントが鳴ったら粛々とギターを弾く」という。16歳ぐらいで知り合ってから、ずっと彼は好きなことを突き詰めているんです。「何故自分はこれが好きなんだろう」「なぜこれは世の中に認められないんだろう」っていうニッチな部分にすごく情熱をかけていてね。まだ“オタク”という言葉もなかった時代ですよ。

──ミュージシャンによくある姿のひとつですね。

TAKURO:物事ひとつひとつを突き詰めている姿を見ながら10年くらい経ったときかな…「TERUの声を世の中に知らしめよう」と思ったのと同じように、「この才能をきっちり世の中に伝えられなかったら、俺の仕事は何なんだ」という思いになった。1990年代、GLAYが巨大化していく中でも、彼はずっと冷静だったんです。時代に対しては敏感だったけれど、それをバンドには持ち込まなかった。私情をはさむことなく、まるで…なんていうの? 歴史ある書道家、ないしは陶芸家のような。

──職人気質。

TAKURO:そう、職人気質で江戸時代の大工のようなこだわりと、いい作品は出すけど口は出さないみたいな立ち位置で。

──なるほど。

TAKURO:だから逆に、時代が彼を引き上げると思った。そのときにちゃんと彼をサポートできる体制を作っておかなきゃいけないっていうのは、ここ10年くらいの僕の課題でした。「今から準備しておけばいずれ来る」と感じていて、それは、ニコニコ超会議とか俺の住んでいる場所と違うところから頭角を現してきた。当然彼は好きなことをやるわけですけど、それをどう世の中に伝えていくかが僕たちの仕事になるので、これはもう次のGLAYの舵を彼に任せてみようって思ったわけです。

──なるほど、それが『SUMMERDELICS』の隠されたポイントですね。

TAKURO:今の時代にこのキャリアをもって、彼は“ここまで自由にできる象徴”のようなものですよ。もしかしたら誰かに遠慮したり、かつてのGLAY像にすがったり…そういったもろもろを、彼は軽々と飛び越えますから。「これでいいんだ」「こんな近くに見本がいるじゃないか」って教えられるというかね。

──彼は飄々としてこういった楽曲をバンドに提出するんですね。

TAKURO:ええ。「適当に書いた」くらいのことを言うんだけれども、後々聞くと彼なりに考えていたらしい。それがちゃんと実を結んでいるから、俺が高校時代に作ったバンド:GLAYの、まさにGLAYという名前に相応しい広がり方をしているなあと。4人が4人、ミュージシャン/アーティストならば、そこを突き詰めていかないと…と思うんです。僕は、“ひとりの圧倒的な才能を掲示される凄さと脆さ”っていうのを色んなシーンでたくさん見てきたから、キャリアを積んだミュージシャンが再ブレイクを強いられるのであれば、「こういう逃げ方もあるよ」という、ひとつの指針になるとも思う。

──複数のアーティストが集結した“バンド”ですもんね。

TAKURO:周りには才能が本当にたくさんあるんだけれど、それを世の中にどう育てるか/どう花を開かせるかって、作詞作曲と同じくらい大切なことなんじゃないかな。

──20年かけてはぐくまれたHISASHIという新たな花が、『SUMMERDELICS』として見事に開花したわけですね。

TAKURO:“地位が人を作る”じゃないけど、2014年のEXPOの時にTERUにお願いして「BLEEZE」を書いてきた時の、彼の目の変わりようですよ。それは、GLAYという自分が愛するバンドの歴史を考えたときに出てくる責任感っていうのかな。それこそが名曲を作るわけで、才能だけが曲を作っているわけじゃないんです。「ここで命かけなきゃいけないんだ」「人生かけなきゃいけない」っていう思いが、才能を開かせる鍵になる。その人自身も知らないような能力が引き出される瞬間をたくさん見てきたしね。でもね、それは急にやっても無理なことで、徐々に徐々にやるべきことかな。

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