【インタビュー】J、ソロ始動前夜を語る「とんでもない存在になりたいと思っていた」
LUNA SEAのJが3月22日、ソロデビュー20周年記念にして究極のベストアルバム『J 20th Anniversary BEST ALBUM <1997-2017> W.U.M.F.』をリリースした。BARKSは激動の20年間を振り返り、Jのヒストリー決定版を作るべく、半年間にわたってインタビュー連載を実施中だ。彼が何を思い、何を目指して、ここまで歩んできたのか。6人の著名ライターがJに斬り込む大型特集の第2弾は、エクスタシー時代からLUNA SEAをよく知るライターの長谷川幸信氏がJを深く掘り下げた。
◆J 画像
テーマは“ソロ始動前夜”。J少年がバンドに覚醒した中学時代から、ソロ始動となる1997年6月まで遡ったインタビューは、変わらぬ本質を持ち続ける一方で、際限なく広がるサウンドスケイプを体現するJというアーティストの大河の一滴を露わにするものとなった。音楽履歴を紐解く1万字ロングインタビューが、Jの真髄を物語る。
◆ ◆ ◆
■血が流れてるようなジャケットばっかり(笑)
■その中で一番すごいヤツを探し当てる競争だよ
──LUNACYは、もともとJがINORANと結成したバンドでしたね。それは高校1年ぐらい?
J:高校のときに結成したバンドですね。
──ということは、バンド熱は中学ぐらいから相当なものだったんですか?
J:実は進学する高校を選んだのも、そこに軽音楽部があったから。それが一番重要だったかな(笑)。
──15〜16歳だと機材もすぐに使えるような環境が得られないし、街の練習スタジオを借りるにしても高校生では金額面でそんなに多くの回数は入れない。学校に機材や演奏できる部室があったら、これほどいいことはないですよね。高校に進学したというより、軽音楽部に進学した感じ?
J:ノリ的にはそう(笑)。
──そこまで自分を突き動かすきっかけになったミュージシャンやバンドは?
J:U2。3rdアルバム『WAR(闘)』を……中1だったかな……。そのアルバムを聴いたとき、絶対的に音楽をやりたいと思ったんだよね。それまでもいろんな音楽は聴いてたよ。貸レコード屋さんがたくさんあるような街でさ、近所に大学があったから。アーティストの名前もよく知らなかったので、まず何を借りたらいいのかすら分らなかったけど、それでも“A”とか“あ”から始まるレコード棚を根こそぎ漁って、おもしろそうなアルバムは片っ端から聴いていってさ。
──興味を引かれるジャケットのアルバムを? ジャケ買いならぬ、ジャケレンタル。
J:そう。ヤバそうなヤツをね(笑)。そんな中でU2の『WAR』のジャケットに目が止まって。唇の切れている男の子が全面のジャケでさ、それまで俺がみんなと聴いてきたパンクやハードロック、メタルではなかったけど、1曲目の「Sunday Bloody Sunday」から引き込まれた。空気感やバンドサウンドとか、何か分からないけど。今でもあのアルバムを聴くと、当時のことがリアルに思い浮かんでくるぐらいグーッと掴まれる感じがして。
──なるほど。
J:初めて聴いたとき、不思議なことに途中から涙が出てきたんだよ。英詞なんてサッパリ分らなかったよ。でも演奏と歌とメロディに圧倒されて。それが決定的だったよね。“バンドって、音楽って、ロックって、スゲーな”って。“俺もいつかはバンドをやりたい”って。それ以前から楽器にも触れてたけど、上辺をなぞっているだけだったよね。“ミュージシャンはカッコいいな”ぐらいの感じで。でも音楽やロックの深さとか広さとか、それまでと全く違うものを『WAR』で感じたんだ。音楽を聴く姿勢も変わったよ。全ての音の意味とか、ヴォーカルのブレスまで感じながら聴くようになって。
──まるで分析するように?
J:それと同時に、楽曲にある世界ってものに浸るというか。それ以前は、音楽が自分の中に入ってくる感じだったんだけど、自分が音楽の中に入っていって、その世界の中に存在しているような感じ。U2の『WAR』は、空気感がものすごくピリピリしてる、そして冷たい。すごく透き通っている。でも熱いっていう。
──かなり早熟ですよね。周りの同年代の友達は、流行している歌謡曲を聴くぐらいでしょ。
J:『ザ・ベストテン』とかの音楽番組がテレビで流行ってた時代だったからね。だから俺は別の世界にいる感じがすごくした。学校の友達とはそういう音楽番組の会話とかしていても、いざ家に帰ってきたり一人になったり、俺がU2とか聴いていることを知っている人間以外の前では、別の世界にいるって感じで。
──理解してくれる仲間も何人かいたんですか?
J:同じように洋楽とかバンドとか聴いている仲間もいてね。その中の一人がINORANだった。彼と初めて話したのは、聴いてみたいと思っていたハワード・ジョーンズのアルバムをINORANが持っていたことからだったんだよ。
──中学ぐらいでハワード・ジョーンズを聴いていたというのも、けっこうレアケースじゃないですか?
J:1980年代のMTVの流れですよ。UKものもアメリカものもヒットチャートに入っていて。今から考えてみると音楽的に豊かな時代だよね。いろいろ言われるけど、考えてみたら1980年代はエポックメイキングな作品がいっぱい出ているんだよ。
──世界中で音楽のいろんなムーヴメントが起こりましたもんね。1970年代後半にパンクがイギリスで起こって、1980年代にヘヴィメタルにつながって。その同時期にニューウェーブもイギリスで起こって、それがポップミュージックに発展したり、あるいはゴシックに結びついて。そう思えばアメリカではLAメタルが起こったし。
J:そうそう。そういうのが全部、手に取るように分かる時代で、またいろんなものを貪欲に聴いてきた世代でもあって。音楽が生まれた国の文化や土地柄も曲からは感じられたし、もう知れば知るほど、いろんな扉が開いていってね。当時、激しい音楽をどんどん求めて、仲間達と新宿までよく行ったんだよね、「輸入盤というのがあるらしいぜ」って(笑)。「うちの街のレコード屋さんには売ってないレコードが存在しているらしい。そういうのを専門的に扱っている店が、どうやら新宿にあるらしい」って(笑)。
──間違いなく西新宿エリアですね!
J:そう(笑)。雑誌の白黒広告とか載ってたでしょ。それを見て「ここへ行ってみようぜ」って。
──少年の冒険の始まりだ。
J:ほんとに冒険(笑)。西新宿へ行ってみたら、半径50メートルぐらい近づくと、店の場所がすぐ分かるぐらい大音量でロックが流れててさ(笑)。
──もう店が分かった(笑)。西新宿のキニーでしょ。エジソンの向こうにあった輸入盤専門店。
J:そこかも(笑)! 店に入ってみたら、ほとんど全部、血が流れてたり、顔に虫がたかってるようなジャケットばっかりなわけ(笑)。その中で一番すごいヤツを探し当てる競争だよ(笑)。それ以外でも他の店でUKのゴシック系とかも漁るんだけど、やっぱりちょっと病んでいるようなジャケットばっか(笑)。あと当時、日本のメジャーレコード会社からパンクのアルバムが企画で発売されたんだよ。ディスチャージ、G.B.H、カオスU.Kとか。友達がディスチャージを買って、レコードを掛けたときの衝撃。“コレは何!?”みたいな(笑)。仲間達と集まって聴いてたけど、みんな、無言になっちゃってさ(笑)。不思議なもんで、いくら勉強しても歴史の年号なんて覚えられないのに、どっかのバンドのメンバー名だけは一度見ただけで覚えられるんだよね(笑)。
──それはやっぱ高校じゃなくて軽音部に進学したからでしょ(笑)。
J:そういうことか(笑)。そうやっていろんな音楽に触れていって、自分もバンドをやりたいと思ったとき、日本にも目が向いていったわけ。どうやら日本にもカッコいいロックバンドがいると。ライヴハウスという場所で日夜、日本のバンドがライヴを繰り広げているらしい、と。輸入盤屋に行けばライヴ告知とかバンドのチラシとか貼ってあってさ、やっぱそういうのを目にしてたから。
◆インタビュー(2)へ
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