【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.62 「SMAPの終焉に思うこと」
SMAPは、ただの国民的アイドルグループではない。日本に根付いたアイドル文化において、最長期間活躍し、貢献した、正真正銘のトップ・アイドルグループだ。歴代のジャニーズ出身のグループの中でもその活動期間の長さと人気度から別格と言えよう。
今のアイドルのように「会いに行ける」などの親近感をウリにするのと違い、昔のアイドルたちは、歌、ダンス、容姿などが世間と一線を画する人でなければならなかった。そういった「手の届かないアイドル」が人々の憧れとして重宝された時代の最後をかすめ、その後に、芸とルックスに加えて、一般人が身近に感じられる雰囲気を持ったアイドルの新時代を創世したグループがSMAPである。歌手、ダンサー、俳優、モデル、お笑い、レポーター、司会。彼らが挑んだ分野は幅広く、それまでのアイドルが手を出さなかったお笑いや司会業にまで挑み、ものにしてしまった。
SMAPを音楽的側面から観ると、テレビの歌番組がほぼ消滅し、アイドルとして「歌」に置かれる比重が少なくなった分、他の新分野へも才を分配された時代の変化をものともせずに、従来のアイドル同様またはそれ以上にヒットを飛ばしてきた。ミュージシャンとして、個々に光るものが強くあったかどうかはわからないが、楽曲のクオリティの高さと彼らのグループとしての個性が相まって音楽的魅力となっていたことは明らかだ。
そして、B'zと並んでチケットが取れないと有名だったのがSMAPのコンサート。マルチな才能を持ったメンバーなので先行きもきっと明るいはずだが、やはり、個は個。グループとしてのコンサートを望むファンの方を思うと胸が痛む。私も一度はその評価の高いライブを観てみたかったのでとても残念だ。
一方で、思うこともある。
SMAPの活動期間は27年。アイドルグループとバンドは違うがグループ活動という点では共通するので比較すると、世界中の多くのバンドが短命で終わる中、27年間もグループ活動を続けられることは奇跡に近い。その長い期間中、もう十分すぎるほどファンへ、そして世間への貢献は成されたのではないだろうか。謝罪会見を見た時も思ったが、胸が苦しくなったし気の毒に感じてしまった。一体、誰に謝る必要があったのだろう?
すでに彼らは多くの歌、作品、そして思い出を残してくれている。それらはメンバーをはじめとする作り手側の関係者にだけではなく、日本中、世界中で暮らす多くの人々の心に残る。昨晩、最後の曲として披露された名曲「世界に一つだけの花」にも言えることだが、SMAPの楽曲にはそれぞれの時代を象徴する日本の強力なコンポーザー、ミュージシャン、スタッフのサポートが凝縮された作品が非常に多いのをご存じだろうか。
アイドルという言葉裏にある色眼鏡を外さざるを得ない才と努力の結晶であったモンスター級グループはまもなく消えてしまうが、彼らの生み出した作品とそこから見える世界はずっと存在し続けるし、個々の活動にも期待を寄せられることは素晴らしいことだ。
これから彼らが歩む新たな道の選択とそこでの活躍を同世代として楽しみにしている。
◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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