【インタビュー】中村雅俊「折り返し地点はとっくに過ぎたかなと。だから、先を目指すのではなく、今日をどう生きるか」

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目の前にいるのは、永遠に変わらない青春スターだった。中村雅俊、65歳。俳優として第一線で活躍し続ける一方で、シンガーとしてもデビューから毎年欠かさずに全国ツアーを行い、積み上げた記録は42年間で約1500回。新曲「ならば風と行け」について、開催中の“中村雅俊コンサートツアー2016「L-O-V-E」”について、好きな音楽について、これからの生き方について。聞いているだけで元気をもらえる、飾りのない言葉と、さわやかな語り口に耳を傾けよう。

◆中村雅俊 画像

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■ いい歌というのは、みんなが“自分の歌”として歌えるようになるんですよね

── すでに10月1日から、ツアーが始まっています。手ごたえは?

中村雅俊(以下、中村):セットリストは我ながらよく組み立てられたのではないかと思います。いつもは自分の歌ばかり歌ってるんですけど、今回はビートルズをやってるコーナーがあるんですよ。ちょうど50年前にビートルズが来日した時、俺は宮城の高校生で、武道館に行きたかったけど行けなかったんです。そういう思い出も含めてビートルズをやろうかということで、あんまり有名でない曲を選んでやってます。

── それは楽しいですよね。

中村:コーラスも含めて、完コピみたいにやってるんですよ。ドラムのやつが詳しくて、そこの息継ぎがどうのとか(笑)。けっこう楽しくやってます。

── 持ち曲が多いと、セットリストを選ぶのは大変じゃないですか。

中村:自分のレパートリーとしては300曲はあるんで。毎回20曲以上歌うけど、300分の20と考えると、選ぶのはけっこう大変ですね。おかげさまで、どうしても歌わなきゃいけない曲ってあるじゃないですか。「恋人も濡れる街角」とか、そういうのが7〜8曲あるんですけど、それ以外の半分強ぐらいはざっくり変えます。毎年大変なんですけど、楽しみのひとつでもありますね。


▲シングル「ならば風と行け」」初回盤

── 新曲「ならば風と行け」は、ステージで歌うと、どんな気持ちになる曲ですか。

中村:ツアーの2日目にこの歌を歌った時に、ワンコーラス歌うたびに拍手が来ました。説得力があるのかもしれないですね、この曲。ワンコーラス歌ったあとにうわーっと拍手が来て、2コーラスを歌ったあとにもさらに拍手が来たから、すごくうれしかったですね。何かこの歌、反応いいみたいって(笑)。

── 新曲のリアクションとしては、最高ですね。

中村:もう本当に。いい曲だなと思っていて、自信作ではあったんだけど。たぶん、来た人全員がCDを買っているわけではないと思うんですけど、初めて聴いたかもしれないのに拍手が来るというのは、すごくいいなあと思いました。CDで聴くだけよりも、ライブでのパフォーマンスのほうがより響いてくれたのかな、と思いましたね。

── この曲、松井五郎さんの詞先だと聞きました。

中村:そうです。去年出した「はじめての空」という歌も作詞が松井さんで、40周年の時に出したアルバム(2014年『ワスレナイ』~MASATOSHI NAKAMURA 40th Anniversary~)の、リードトラックになっている「君がいてくれたから」という歌も松井さん。その前に、宮城県の東松島というところの小学校の校歌を作らせてもらった時も、松井さんと一緒に宮城へ行って、ここのところ松井さんとずっと一緒にやってる感じがありますね。それに、そういう仕事だけで会う関係で作ってるんじゃなくて、プライベートも一緒にいたり、俺のやってるラジオ番組に出てくれたり、いろんなことをお互いにわかった上でやってる感じですよね。

── ここはこういう意図で書いた言葉ですよとか、説明はしてくれるんですか。

中村:細かいことは言わないですけど、人に問いかけながら、結局は自分に問いかけているという歌ですよね。やっぱり松井さんはうまいなと思うし、さらに都志見(隆)さんの曲作りもうまいなと。途中でパッと雰囲気が変わる感じが、いいなあと思いますね。最初にもらって聴いた時は、けっこうインパクトありましたね。また都志見さんのデモテープの、歌がうまいんですよ。

── あ、仮歌も都志見さんが。

中村:そうです。レコーディングもずーっとつきあってくれて。コンサートも必ず観てくれるし。

── 「ならば風と行け」は、三拍子のスロー・バラードですね。

中村:確かに自分の作品で3/4のワルツ形式というのは珍しいですね。俺、吉田拓郎さんが好きで、去年のコンサートでは「外は白い雪の夜」という曲を歌ったんですよ。あれも3/4で、骨太な感じの歌で、作りとしては太田裕美ちゃんの「木綿のハンカチーフ」みたいな、男と女の問いかけの歌になってるんですよ。それを都志見さんも観てるし、俺が拓郎さんを好きだということも知ってるからなのかな、イメージ的に拓郎さんっぽいテイストがちょっと入ってますよね。

── まさに。それ、言おうと思ったんですよ。“明日はまだ続くだろう〜”っていう字余りっぽい歌い方とか、あ、拓郎さんぽいなって。

中村:そうそう。俺もそういうイメージでした。都志見さんは本当にうまいんですよ。いろんなタイプの曲作りができる。すごく才能のある方だと思ってます。

── 「風と行く」というのは、雅俊さんの中で、どういうイメージですか。いろいろ想像できる表現ですけども。

中村:思った通りに、Naturallyという感じじゃないですか。風の吹くまま、気持ちの向くまま、自分のやりたいと思う感じで突き進んで行くということが、基本にあるんじゃないですかね。人に対する応援歌のようだけど、自分に対する応援歌でもあると思うので、主人公が特定できないところがいいなと。聴いた人が「自分の歌だ」と思ってくれると、ありがたいなと思います。歌って、「これはこういう歌だ」ってこっちが限定すべきものでもないと思うんです。聴いた人がいろんなとらえ方をしていいと思うので、そういう意味でこの歌は、すごくキャパが広いかなと思います。

── まさに。そうですね。

中村:プロモーション・ビデオを作る時に、ひとりでギターを弾いて歌ったんですけど、思いのほか、ギター1本で歌うのもいいなと思ったんですよ。語れるんですよ、詞が。メロディがない語りでも響くような歌詞なんで、ちょっと爪弾いて、しゃべりながら歌えるみたいな、そういう歌でもあるなと思うんですよね。

── カップリング「夜空に」にもフォークソングの香りがありますね。スリーフィンガーでさわやかに聴かせるような。


▲シングル「ならば風と行け」」通常盤

中村:そうですね。作曲の(鈴木)キサブローくんは、昔うちのバンドでギターを弾いてた時があるんで、大作曲家と歌手という関係じゃなくて、普段から「おい、キサブロー」っていう感じなので(笑)。キサブローくんの作った曲はコンサートでよく歌うんですよ。この曲もかなり評判がいいです。けっこう優しく歌っているので、女性向きかもしれない。

── 作詞は売野雅勇さん。確か、同い年ですよね。

中村:売野さんと俺は2週間違いですね。同じ1951年の2月生まれで、俺のほうが2週間ぐらいお兄さんです。この間、売野さんのトリビュートのコンサートがあって、ひとり3曲ぐらいずつ歌ったんですけど、その中に売野さんとキサブローくんのコンビに作ってもらった曲もありました。もう30年ぐらい前になるのかな、根津甚八さんと『誇りの報酬』という刑事ドラマをやっていて、その時の主題歌が、キサブローくんの作った「想い出のクリフサイド・ホテル」という曲。

── 野球のボールを投げ合うとか、名画座のオールナイトとか。言葉のはしばしに、同年代だからこそ通じるフィーリングがあるんだろうなと思って聴いてました。

中村:昔、売野さんが全曲の詞を書いたアルバムを出したことがあるんですよ。『I Love You, All~36th Portrait~』っていう、自伝的作品というのかな。女川にいた時にはこういうことがあったとか、四つの時に死んだ親父のこととか、いろんな話をしてアルバムを作った記憶があります。同い年というのは、シンパシーをお互いに感じながら、一緒にできるところがありますよね。

── 通算53枚目にして、とてもみずみずしいシングル。

中村:まず聴いてもらって、歌える人は歌ってほしいなと思ったりします。「ならば風と行け」は特に、歌うと気持ちいい歌ですよ。本人が言ってるんで間違いない(笑)。「これ、いいだろ?」って、歌ってると得意な気持ちになれるような歌ですね。さっき言った“明日はまた続くだろう~”とか、言葉を放り投げるような歌い方なんですよ。あれがね、歌ってると気持ちいいんですよ。

── あらためて聞いていいですか。雅俊さんの好きな音楽のルーツって、やっぱりフォークソングですか。

中村:好きだったのはビートルズですね。でもビートルズのアルバムも買ったけど、同時にローリング・ストーンズも全部買ってるという。どっち派とかじゃなくてね。どっち派とか言ってる人でも、意外とどっちも意識の中にあるんですよ。あとね、振り返ると……先日、荒木一郎さんのコンサートにゲストで出たんですよ。荒木さんのヒット曲で「空に星があるように」という曲があるんですけど。

── 知ってます。もちろん。

中村:これが本当に名曲で、それはそれであの時代によく聴いたし。荒木さんのライブに参加させてもらって、いろんな曲を聴いてたら、知ってる曲がたくさんあるなってあらためて思いましたね。なんでそのコンサートに出たかというと、39年前に荒木さんと一緒にアルバムを作ったんですよ(1977年『辛子色のアルバム』)。その中に「辛子色の季節」という曲があって、これがまた名曲で。最初のフレーズからインパクトがあって、“いつか 俺達にも 青春を昔話に する日が来る”というフレーズから始まって、メロディも構成も素晴らしい。ちょうど40周年のコンサートを東京でやった時に、大学のクラスメイトとクラブの連中が80人、バックでコーラスをやってくれたんですよ。その時に「辛子色の季節」を歌ったら、みんなその歌が大好きになってくれて。でもアルバムの中の1曲だったので、カラオケに行ってもないんですよ。「どうにかしろよ中村」とか言われて、俺にはどうにもできないよって(笑)。それくらい評判が良かったんですね。そのあと、ギター1本で歌う時があったんだけど、みんな完璧に覚えてて大合唱になった。いい歌というのはみんな自分の歌として、ちゃんと歌えるようになるんだなと思いましたね。

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