【キース・カフーン不定期連載】リンダ・ロンシュタット、ロックの殿堂入りは実現するか?
ロックの殿堂入り授賞式が4月に迫る中で、2013年の受賞者に対して賛否両論が巻き起こっている。
◆リンダ・ロンシュタット画像
例えば、受賞者のひとりであるドナ・サマーは確かにディスコ・ミュージックでは一世を風靡したが、彼女のことをロック・アーティストではない、もしくはロックとは全く正反対だと感じている人もいるようだ。また、ヒップホップ・アーティストのロックの殿堂入りも一部では疑問視されている。
その一方で、批評家の受けが悪いがために1998年からずっと過小評価されてきたプログレッシブ・ハードロック・バンドのラッシュが、2013年にロックの殿堂入りを果たす。全世界で約4000万枚以上のアルバム・セールスを記録してきたバンドだが、実はアメリカでメインストリーム・ヒットとなったのは「トム・ソーヤー」の1曲のみ。同様に批評家の酷評をものともせずに絶大的人気を集めてきたKISSが、1億万枚以上のアルバム・セールスに反して殿堂入りしていないことを考慮すると、やはりこの結果にも首をかしげずにはいられない。ロックの殿堂が東海岸のアーティストをひいきにしていると非難する声もある。2007年に殿堂入りしたパティ・スミスはニューヨークを中心に活動したアーティストだが、ヒット曲はブルース・スプリングスティーンが大半を書いた「ビコーズ・ザ・ナイト」1曲、ビルボードTOP40にランクインしたアルバムは2作品だけだ。
ここ数年、音楽業界関係者とファン達がリンダ・ロンシュタットのロックの殿堂入りを実現するべく働きかけている。ロンシュタットは1970年代と1980年代におそらく世界最高の売上げを記録した歌手だ。1967年にストーン・ポニーズのメンバーとしてマイケル・ネスミスの曲「ディファレント・ドラム」をヒットさせ、その後はソロ・アーティストに転身。ブレイクするまでに時間がかかったが、1973年に発表した4枚目のアルバム『ドント・クライ・ナウ』がカントリー・チャートにランクインし、ニール・ヤングのツアーではオープニングを務めた。彼女の代表作として知られる1974年のアルバム『ハート・ライク・ア・ウィール』は1位を獲得。そこから一気に人気に火がつき、TOP40ヒットを21曲、そして『プリゾナー・イン・ディスガイズ』『シンプル・ドリームス』『リビング・イン・ザ・USA』の3作品をふくむTOP10アルバムを10作品も世に送り出した。
音楽的にひとつのジャンルに縛られるのを嫌った彼女は、ロック、オールディーズ、R&B、フォーク、カントリー、ニューウェーブ、そして後年にはビッグバンド・ジャズやメキシコ音楽(自身がメキシコ人、ドイツ人、オランダ人、イギリス人の血をひいていた)などを歌った。彼女のバンドでは、未来のイーグルズのメンバーなど一流ミュージシャンらが活動。また、フランク・ザッパ、アーロン・ネヴィル、グラム・パーソンズ、ザ・チーフタンズ、ザ・ローリング・ストーンズ、ニール・ヤング、フラーコ・ヒメネス、フィリップ・グラス、ジョニー・キャッシュ、ニルソン・リドルなど多数のアーティストとコラボレーションを行なったことでも知られる。オリジナル曲をレコーディングしなかったロンシュタットに対する反発の声もあったが、往年のヒット曲から埋もれていた名曲に至るまで、彼女が選んでカバーした曲はいずれも素晴らしいものだった。また、ウォーレン・ジヴォン、ローウェル・ジョージ、ジョン・デヴィッド・サウザー、ランディ・ニューマン、ジャクソン・ブラウンをはじめとする知名度の低かったアーティストの曲をカバーして、彼らの才能を世間に知らしめたのも彼女である。
若かりし頃は華やかで、ある意味アイドルっぽいキュートさを漂わせていたロンシュタットを軽く見る人達もいるようだ。1976年にアニー・リーボヴィッツが撮影した彼女の写真がローリング・ストーン誌の表紙と誌面を飾った。ロンシュタットとマネージャーが阻止しようと試みたにも関わらず、その時の誌面に下着姿の写真が掲載されてしまった話は有名である。1977年にはセクシーなポーズでタイム誌の表紙に登場し、1978年に1位を獲得したアルバム『バック・イン・ザ・USA』(ダブル・プラチナを受賞した初めてのアルバム)のジャケットではタイトなサテンのショーツとローラースケート姿を披露して話題を集めた。タブロイド紙はロンシュタットと当時は新進気鋭の政治家だったジェリー・ブラウン(現在のカリフォルニア州知事)の交際を大々的に報じた。ロンシュタット自身も、環境、移民人権、ゲイの権利、反戦争など政治問題に関する発言を積極的に行い、時おり議論を巻き起こした。後に『スターウォーズ』で最も良く知られる映画監督ジョージ・ルーカスと婚約したが、結婚には至らなかった。
ロンシュタットの力強くクリアで感情豊かな歌声と幅広いスタイルを歌いこなす歌唱力は誰もが認めるところだ。1970年代の終わりにプラチナ・アルバムを5枚出し、1979年には武道館で来日公演を行なった。しかし、1980年代に入ってからはメインストリームから次第に姿を消していき、ブロードウェイ・ソング、オーケストラとのジャズ・スタンダード、そして友人のエミー・ルー・ハリスやドリー・パートンとカントリー・アルバムをレコーディングするようになった。これらの作品はいずれも好調なセールスを記録したが、ロック・ファンは彼女から離れていった。
1990年代には異なるタイプの非メインストリーム系の音楽を探究し続けたロンシュタットだが、レコーディングやライブは以前ほど行なわなくなった。独身のままで2人の養子をとり、メディアを徹底的に遠ざける生活を送った。ハートのアン・ウィルソン同様に太ってしまった彼女を批判する者も中にはいた。現在66歳の彼女はもはやピンナップ・ガールではないが、その才能は今も輝きを放っている。現代音楽史において、リンダ・ロンシュタットほどの優れた能力で商業的成功をおさめたアーティストは数少ない。ロンシュタットは独自のスタイルと優雅さ、そして冒険精神で素晴らしいキャリアを築いた。偉大な彼女がロックの殿堂入りをするべき時はずいぶん前に満を持していると筆者は思う。
キース・カフーン
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