【2016年グラミー特集】イーグルス誕生の瞬間をリンダ・ロンシュタットが語る【追悼グレン・フライ】
デヴィッド・ボウイ逝去のショックからまだ覚めやらぬうちに、また悲しい知らせが飛び込んできた。イーグルスのギタリスト、グレン・フライが亡くなった。
◆イーグルス画像
『ホテル・カリフォルニア』などで計6回のグラミー賞を受賞した世界的ロックバンド、イーグルス。1971年の結成以来、途中14年の解散期間を経ながらもずっと第一線で走り続けてきたこのバンドの原動力となったのは、「ツートップ」と言われるグレン・フライとドン・ヘンリーの強い絆だった。そんな彼らがどのように出会い、どのようにバンドを結成したのか。今年のグラミー賞で特別功労賞生涯業績賞を受賞した米歌手リンダ・ロンシュタットは、2年前に発表した自伝の中で、イーグルス誕生の瞬間を次のように語っている。
「当時、プロデューサーだったジョン・ボイヤンが、私のサポートバンドを作ろうと熱心に奔走していたの。そのちょっと前に、ドン・ヘンリーが私に会いたくてロスへ来ていたみたい。私に自作の曲を歌って欲しかったんだって。正直彼の曲は当時の私にはあまり合わなかったのだけど、ある日トルバドゥール(70年代カリフォルニアサウンド発祥地とも言えるクラブ)で彼のドラムを耳にしたとき、スゴイって思った。だからジョンに言ったわ。「ドン・ヘンリーにドラムをやってもらったら?」ってね」
「次はギタリスト。最初バーニー・レドンが欲しかったんだけど、彼はその頃すでにフライング・ブリトー・ブラザーズで活動していたからダメだったの。それで私、「わかった、じゃグレン・フライにするわ。彼はすごく上手いわよ」って言ったの。当時私はJ.D.サウザー(後にイーグルスに多くの楽曲を提供した作曲家/歌手)と住んでいたんだけど、グレンはJ.D.の友人でミュージックパートナーだったのよ」
「あの頃は私たちもあまりお金がなかったから、バックバンドのメンバーとしてツアーに帯同してくれていたグレンとドンはずっと相部屋だった。そうして一緒に過ごすうちに2人は、片方が優れたシンガー(ドン)、もう片方が優れたソングライター(グレン)だってことに気づいたのよ。グレンはドンのことを“僕の秘密兵器”って呼んでたわ。グレンは「いつかヘンリーと一緒にバンドをやるよ」ってよく言ってた。だから私は「それはいいアイデアね」って勧めていたのよね」
「それである日、みんなでそのことについて話し合ったの。ジョンは「2人がバンドを結成するなら、僕が力になれるよ。そしてレコード契約が獲れるまで、リンダのバックで演奏したり、ライブやったりしてればいいさ」って言ったわ。つまりそれなら全員にとって得だったってわけ。それで私はもう1人のギタリストとして前バンドを脱退したバーニー・レドンを提案し、ジョンはベーシストとしてランディ・マイズナーを提案した。これが、イーグルスの誕生よ」
グレン・フライのご冥福を心からお祈りしたい。
写真:Getty Images