【連載】「城南海」のよみかたVol.3「「兆し」インタビュー」

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1年半ぶりに待望のニューシングルをリリースする城南海。タイトル曲である「兆し」は、一青窈:作詞、武部聡志:作曲・プロデュースという、ゴールデンコンビが城南海のために書き下ろした作品である。夜明け前の、まだ闇に包まれた時間。そこに柔らかなぬくもりに包まれた城南海の歌声が、ゆっくりと世界を明るく照らし出していく。どんな困難な状況になろうとも、希望の光へ向かう人の気持ちを描いた「兆し」についての思いを、城南海に語ってもらった。

◆城南海 画像

一青さんが、私の地元のふるさとの言葉で歌ってくださって。奄美の言葉で、一緒にコラボレーションができたような気持ちになりました。

――「兆し」は、一青窈さんと武部聡志さんのお二人が書き下ろされた作品ですが、静寂の中にゆっくり光が差し込んでくるような、ジワジワと伝わってくる楽曲ですね。

城南海:この曲をいただいたのは今年の3月で、東日本大震災の直後でした。一青さんが仮歌を歌ってくださるということで、私もスタジオに一緒に行ったんです。そのときはすでに歌詞と音をいただいていたのですが、一青さんの歌を聞いて初めて自分の中で重なりました。一青さんが歌う表情を間近で見て、歌詞だけでは表すことのできないニュアンスや、ご本人の思いがダイレクトに伝わってきたので、「こんな感じで、私も歌えたらいいな」と思い、そのあとレコーディングに臨みました。

――今までそういう経験はありましたか?

城南海:録音して送っていただくことはありますが、その場に立ち会う、というのはなかなかないですね。仮歌の時点では、歌詞はまだ全部は決定していなくて、一青さんと武部さんが話し合いながら変更していかれたんです。そのなかで「詞に奄美大島の言葉を取り入れよう」ということになり、私も案を出させていただきました。

――城さんが入れた奄美大島の言葉とは?

城南海:“アヤハブラ”という言葉です。「兆し」には、“あぶらかだぶら”という印象的なワードが入っているので、“あぶらかだぶら”に似ている言葉を考えました。詞の途中に“蝶々”という単語が出てくるのですが、「あ!蝶々はアヤハブラと言う」と気がついたんです。

――“アヤハブラ”が蝶々なのですか?

城南海:「きれいな蝶々」という意味で、漢字では「綾蝶」と書きます。「綾」がきれいな、という意味なんですよ。私は、以前から一青さんの楽曲と世界観が大好きですし、「ハナミズキ」もカヴァーさせていただくなどして、ずっと憧れていました。その一青さんが、自分の地元のふるさとの言葉で歌ってくださって、「なんて贅沢なんだろう」と思って。曲作りに関して、奄美の言葉で一緒にコラボレーションができたような気持ちになり、本当にうれしかったです。

――そして、一青さんの歌を聞かれたうえで、城南海さんらしさをどのように表現しようと思われましたか?

城南海:一青さんの仮歌を聞いてからレコーディングに臨んだのですが、新鮮な気持ちで歌うために、一青さんのニュアンスは受け取りながらも、あえて聞きこまないようにしたんです。シマ唄の発声法の「グイン」を入れたり、自分のカラーを出しながら、一青さんから受け取った曲の思いやニュアンスを反映させて歌う、ということに重点を置きました。

――さらっと歌うと平坦にもなってしまうし、盛り上がりすぎてもいけない、非常に難しい曲ですよね。

城南海:そうですね。オケもアコースティックですし。でも、クリックに乗せずに、バンドの皆さんと一緒にレコーディングをしたんですよ。そこで揺れがあって、曲の山場では一斉にフィーリングで盛り上がったり、落ち着くところでは、さっっと引いたり。一緒にワッと録ったときに起こる揺れで、曲の魅力がより際立ったと思います。武部さんはいつもピアノを演奏するときに、曲の良さも歌の良さも引き出してくださるんですよね。

――また、この曲はチェロの音が全体を包み込んでいるように感じます。

城南海:チェロの音は、歌っていてとても心地良いですね。弦楽器の中でも低目の音で、温かさがあるし、下で支えてくれているような安心感があります。最初、武部さんと「もう1つ楽器を入れよう」ということになり、そのときに「チェロがいいかもね」という案が出ました。他のバンドは一緒に演奏したのですけれど、チェロは後で一人だけ上から重ねてもらって、曲が完成したんです。できあがってみて、この曲はチェロでとても良かったな、と思います。

――そうだったのですね、チェロの音ありきの曲だったのかと思っていました。

城南海:いえ、最初はギターとベースとパーカッションとピアノだけでやっていました。

――制作のお話を聞くと、本当にこの曲は導かれて完成された感じがしますね。

城南海:武部さんと一緒にお仕事をさせてもらっていると、どんどん良い方向へ導いてくださる感覚があります。すごく心強いですし、歌っていても安心できて。今回もすべて身を任せ、自分を出していけましたね。

――なるほど。武部さんとの作品は、今回が3作目だそうですね。

城南海:はい、そうなんです。ライヴや音楽番組でも、何度も共演させていただいていますが、まるで、東京のお父さんのように接してくださいます(笑)。武部さんは一青さんとずっと一緒に作品を作られているので、お互いの考えがすごく伝わっていると思うんです。「この詞のところは、切らずに繋げて歌おう」とか、歌詞の思いがもっとも伝わるような節の使い方とか、ブレスを入れるところとか、そういう点も、アドバイスをしていただきました。一青さんの歌詞は、言葉と言葉の間にブレスが入るのではなく、“ハナミズキ”のように、言葉の間という独特のところで音を切られるんですよ。この曲の詞も<少しだけ 視線を>というところを<少しだ け視線を>と歌うのですが、そういうところが、とくにおもしろいと思いました。

――ブレスの切り方が難しいのですね。

城南海:一青さんから仮歌を歌っていただく前に、ワンコーラスだけ詞をもらっていて、「試しに歌ってみる?」と言われて、1回だけスタジオで録ったんですけれど、本当にこの当て方で良いのだろうか?と思いました。一青さんが歌ってくださったのを聞いて、「これで良いんだ」と分かったのですが。言葉の使い方や合間の切れ方とか、一青さんの曲は独特なものがあってとても勉強になります。

被災地に行き、街の状況を目の当たりにして、なにも話せなかった。ただ、気持ちを伝えるために「兆し」を歌いました。

――城さんは「兆し」について「生涯歌い続ける曲に出会いました」と表現されていますね。

城南海:「兆し」は、いつ、どこで、誰が聞いても、普遍的な曲だと思うんです。先が見えないこともあるし、不安に感じることもある。そういうときだからこそ、「明るい兆しがみたい」という思いも、みんなが感じることだと思うんですよね。私はこれから何十年も歌い続けていくのが夢なのですが、曲をいただいたときに、心にスッと染み込んできて、そこで「ずっとこの先も歌っていきたい」と感じたんです。奄美のシマ唄のように歌い継がれる歌を歌いたいですね。曲を作っている段階で、スタッフの皆さんも、この曲に愛情を込めて作っているのがすごく伝わってきて、私も頑張って歌いました。

――「兆し」は、城さんが歌われるシマ唄のように、時間の風化に負けない強さがある、と感じます。とくに、復興をめざしている日本の状況にも重なりました。

城南海:メッセージ性が強くて、でも、音として人の心に浸透していくような、聴けば聴くほど、染み込んでいくような、ずっと残っていくような曲だと思うんです。去年、奄美大島が台風で大変な被害にあったときに、東北の方や、全国の方が支援してくださって。この間久しぶりに奄美に帰って、まだがけ崩れの跡が残っていたり、見たことのない景色が広がっているところもいっぱいあったけれども、少しずつ復興している姿が見えたんですよ。皆さんが応援し続けてくださったから、奄美は今、復興していっている。だから東北の方にも、「ありがとう」という気持ちと、応援し続けるという気持ちを伝えたい、という思いをこの曲に込めています。

――実際にこの曲を歌ったときの、お客さんの反応はいかがでしたか?

城南海:最初は、今年の春に行われた自分のツアー(<ウタアシビ2011春>)で歌いました。コンサートホールは音ひとつがとても響くので、反応が伝わりやすいんです。拍手の音で、みんなの気持ちやテンションが分かるんですよね。一瞬の静寂があって、ゥワーッという拍手が沸き起こりました。この曲を最初に歌い終えたときに、思いが伝わった拍手だと感じたので、それがすごくうれしかったです。そして、自分のライヴ以外で初めて歌ったのが、今回の東日本大震災で大きな被害にあわれた宮城県の南三陸町でした。このときは屋外だったのですが、皆さんじーっと心で受け止めるような表情で聞いてくださいました。

――被災地でも歌われたのですね。

城南海:はい。仙台、水戸でも歌いました。自分から支援に行く一歩が、なかなか怖くて踏み出せなかったんです。でも呼んでいただいたおかげで、その第一歩が踏み出せました。私は震災の翌朝からお仕事で1週間ほど中国に行っていたため、本当の惨状を把握していなくて。南三陸町へ行って、そこで初めて街の状況を目の当たりにしたんです。だからMCではなにも話せなかった。そのとき思ったのは、自分は歌で呼ばれたのだから、「歌を歌おう」ということ。ただ、気持ちを伝えるために歌いました。そして、去年、奄美を支援いただいた感謝の気持ちも伝えたくて、奄美のシマ唄も歌ったんです。最初に南三陸町で歌えたのが、とても意味があることだと思いました。

――「兆し」のミュージックビデオを拝見しましたが、濃紺の世界に穏やかな光が差し込む様子が描かれていて、映像に吸い込まれるような感覚になりました。

城南海:CGを入れたり、シンプルなんだけれど、メッセージ性が強い作品です。アクセサリーも何も着けなかったんですよ。メイクも目の周りを少し強くしていますが、ほとんどスッピンです。背景も柄ではなくて、ぼんやりした灯りがついていて、そのシンプルさがこの曲の良さを引き出しているような気がします。今回、監督の中野裕之さんとメイクの中野明海さんはご夫妻でいらっしゃるんですけれど、すごく息がぴったりで。他のスタッフの方も阿吽の呼吸でお仕事をされていて、本当にプロの現場だと思いました。

――そして2曲目は、ACジャパン国境なき医師団支援キャンペーンCMソングの「ずっとずっと」です。

城南海:この曲は、震災よりずっと前の去年の春に録った曲なのですが、ケニアや向こうの子どもたちを思いながら歌いました。

――そのときは、外国の方に思いを馳せて歌ったのですね。

城南海:私はその国に行ったことがないし、映像でしか見ていないから、そこまで身近なわけではなかったんです。でもこの曲をレコーディングした後に、奄美大島の集中豪雨も東日本大震災もあって。自分たちの身の回りにも当てはまる環境に置かれて、<きっときっと叶うから 望みを決して捨てないで>というこの曲のメッセージがより一層、自分の中に入ってきました。その気持ちが、今のライヴでの歌に反映されると思うんですよね。音としてはそのときに録った曲だけれど、ライヴで歌い続けていて、お客さんの反応も「ずっとずっと」に関しては、ストレートに伝わる曲なので、すごい反応があって。だから今こうして「兆し」と一緒に出せるのは、本当に良かったなと思います。

――今の城さんの年齢にも合っている楽曲だと思いました。

城南海:そうですね。この曲を最初に録ったときに、サウンド的にも<君のことをもっと>というCメロのところで、強くベースが入っていたり、同世代の人たちにも聞いてもらえる分かりやすい歌詞とサウンドだな、と思います。この曲をレコーディングしたとき、また新しい一面をここで出せた、と感じたんですよ。歌詞にも、“卒業アルバム”とか、今までにはない言葉が入っていますし。私の友だちもライヴに来てくれるのですが、「『ずっとずっと』が好き」という人も多くて。アンケートを見ると、若い人はもちろん、年上の方まで好んでくれる方が多いですね。

――3曲目の「十六夜」は、明るさ、壮大さを感じます。

城南海:最初から奄美の月が自分のイメージの中で浮かんで。奄美の月明かりの中で海が揺れている感じや、「女波=みなみ」とか、「榕樹=ガジュマル」とか、景色が浮かんでくるワードが散りばめられていて、故郷に帰ったような気持ちになる歌です。

――詩的な歌詞で、「ずっとずっと」の等身大の歌詞とまた全然違いますね。

城南海:どちらかというと、私は「十六夜」系統の歌詞が多いですね。その中でも、詩的だと思います。曲もキラキラしていて、すごく素敵な曲ですね。

――違う魅力を持つ3曲が収録されましたが、どんなふうに聞いてもらいたいですか?

城南海:私にとっては1年半ぶりの作品のリリースなんですけれど、今このタイミングでこの3曲を出す、というのが、意味があることだと思うんです。普遍的な3曲だと思うんですよ。みんな自分の加那(奄美地方の言葉で「愛しい人」を表す)がいて、加那を思うという気持ちも共通している。それはずっと変わらないことだし、そういう温かい気持ちを、歌を通してみんなで伝え合いたい。とくに「兆し」は明るい希望を少しでも見つけてもらえたらいいな、と思います。3曲ともしっとりした曲だけれど、希望のある音です。エッセンスは違えども、根底に流れているのは同じテーマなので、ぜひ通して聞いていただけたらうれしいです。

文:桂泉晴名

城南海:テレビ出演情報
9/10(土)フジテレビ系「MUSIC FAIR」
「兆し」を歌います。


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