──この映画は音楽が大変重要な役割を持っています。挿入歌はすべてフォーク・クルセダーズですが、これはもうコレしかない、ということで決めてたんですか?
井筒監督:うん、もう他はやめよと思ってた。それ以外は(オープニングの)オックスだけでええやん、と。加藤和彦さんとの共同作業としては「悲しくてやりきれない」もそうだし「あの素晴らしい愛をもう一度」もそうだし、他のものを入れる余地はないやろと。他のものを入れたら色濃くならないと思ったからね。だからフォークルにこだわってやろうと思った。昔は、橋を渡ってたら自然に頭の中に曲が流れてきてたからね。なんか知らないけど悲しくてやりきれない、とか言いながら(笑)。そんなふうにして皆、悶々として生きてたんや。それをそのまま映画に取り込んでやれという感じですな。頭の中のBGMだから。そういうことです。
──映画の中で「悲しくてやりきれない」をオダギリジョーさんが歌われたのは?
井筒監督:康介(主人公/塩谷瞬)は物語の流れの中で、坂崎(オダギリジョー)に歌とギターのレクチャーを受けて、自分には関係ないと思って歌う気もなく歌ってたものが、何シーンかを飛び越えて自分の人生にバーンと関わってくる歌になるという意味をもつところだから、そこは教えた人の声をそのまま使おうと。当然オダギリくんに歌ってもらわな意味ないね、ということになったんですよ。それがあの橋のシーンにガチッと合ったわけです。オダジョーは今どこか遠くに行ってていない、でも俺は一人京都で暮らしてる、と。そういう意味あいもあるしね。だからあれが自分の哀しみややりきれなさと一緒にグッとくるんじゃないかな。オダギリくんもまた、非常に素直にハードボイルドに歌ってるから。あれは加藤さんが12弦ギターを弾いてるんですよ。オダジョーが生で歌って、加藤さんが同時に弾いたわけ。
──加藤さんにとっては何十年も前の曲ですよね。
井筒監督:加藤さんは「世の中がつぶれてきてヤバくなってきたら何を持って逃げますか?」って聞いたら、この曲を持って逃げるって言うてましたから。彼の中では一番思い入れのある曲なんですね。「イムジン河」が発売中止になったときの彼の気持ちが自然とフレーズになったものが、サトウハチローさんの詩と合ったというか。詩と曲が非常に合っていて普遍的なんです。いつだって人間の根源的な悲しみだ、と。
──救いようのない悲しみを歌った曲ですね。
井筒監督:この詩は三番までどの行も“悲しい”のよね。救いが全くない詩なのよね。雲が流れてるだけで悲しいのよ。出てくるもの、自分が見るものが全て悲しい。どこに救いがあるのか、どこにもないやないか、というね。でも、悲しいんだけども希望が何か感じられる。それでも人間っていうのは前に行くねん、という逞しさを表わしてるんですよ、あの“曲”は。何かをプロテストしてる熱さがある、自分を鼓舞させるような。
──サントラの中には「イムジン河」が、フォークルのライヴ音源、康介が歌うもの、加藤さんとTHE ALFEEの坂崎(幸之助)さんが歌うものの3ヴァージョンが入っていますが、一番気に入っているものは?
井筒監督:どれも面白いですよ。気に入るというよりも、どれもそれぞれに味があるね。坂崎さんは、中学のときに聴いて覚えた曲やからね、すごい長い歴史があるわけや、彼の中にはね。そんな思いも2002年ヴァージョンに出てるわけだし、それはそれで味がある。“大人”になった状態で歌ってるしね。康介は康介で知りたての気分で歌ってるしね。昔のフォークルはフォークルで遊んで歌ってるし、それぞれに面白いね。楽しいでしょ、そういう話はね。
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