| 2001年12月5日 |
イスラエルへのテロ攻撃にショック |
「ちくしょう、f–k! 24時間の間で3つのパレスチナ人の自爆テロ? ばか野郎! 彼らは罪のない人々を殺しているんだ。政治が絡んでいることなんて、僕にとってはどうだっていいんだよ」
「宗教的な狂信的行為が日々攻撃的になっていく。もし狂信者になりたければ、なればいいよ。その狂信を自分の中だけに留めておいて、罪の無い人々を殺すのは止めてくれ」
| 2001年10月10日 |
アフガニスタンへの攻撃にコメント |
「俺がこれを書いている間にも、人々が残忍な仕打ちを受けていることはわかっている。でも、TVに映っていることと、自分の窓の外に見えることを、どうやってひとつに結び付けたらいいのだろう? 世界貿易センターへの攻撃の生々しさは近所で起こったことで、俺にとっては目の前に突きつけられている現実だ。だが、世界の反対側で起こっていることを現実として受けとめるには、あまりに遠い出来事のように感じる」
「自分が望むことはわかっている。俺の願いは、この戦争が、負傷者をできるだけださずに早く終わってくれること。アフガニスタンの人々が、国と生活を立て直し始められること。これ以上テロ攻撃が起こらないこと」
「参ったよ。前に書いた時はまだ、世界貿易センタービルはそこにあったのに今はもう無いんだ。ニューヨークにいる僕の知り合いは、みんな泣いてるよ。そもそも、たったひとりの命を奪うことだって、誰が正当化できるだろうか? 世界はもう全く変わろうとしている。ごめんなさい、でも何を書いていいか分からないんだ……ニューヨークの外に住んでいる人は、きっとここの状況は分からないだろう。4万人があのビルで働いていたんだ。家族や友達がいる4万人の人々……そして全ての救急隊員」
| 2001年7月11日 |
<Area:One>ツアーの精神について |
「できれば、音楽的容認と寛容のある環境を作り出すとともに、個人レベルの容認と寛容も促進したい」
「このフェスティヴァルで、男性や女性、黒人や白人にアジア人、ストレートの人やゲイの人が全員来られて、自分たちが受け入れられ認められていると感じる環境を作りたいんだ。なぜなら、ここ2、3年のポップ・カルチャーで最も気になる風潮のひとつが、露骨な女性蔑視や人種差別、ゲイ差別の文化が氾濫しているという事実なんだ。俺は個人的にそういったものをすっげえ不愉快に思ってる」
「女性差別、人種差別、ゲイ差別の傾向は、必ずしも一般の人々の生活を反映しているものではないと思う。(態度を示す)機会さえあれば、ほとんどの人たちは柔軟な感覚を持ち寛容であると思うよ」
| 2001年6月13日 |
“身売りした”との批判に対して |
(’99年の『Play』の大ヒットやNo DoubtのGwen Stefaniとのデュエット「South Side」のヒットで、“金の亡者”や“身売りした”との非難の言葉を浴びる)
「もし俺がそんなに“金の亡者”なら、なぜ俺は昔から何年も住んでいる同じ家にまだいるんだ? なぜ今も同じステレオを使ってるんだ? 古着屋で服を買い、KnudsenのSpritzer(清涼飲料)を特売で買うんだ?」
「いっつも不思議に思うのは、メジャーと契約してるミュージシャンが他のミュージシャンのことを“身売りした”って非難することだよな。偽善的なオシャベリ野郎どもから“身売りした”とかいう批判なんか受けなくても、生活をしながら一生懸命仕事をして、芸術や音楽を作りだすだけでも十分に大変なことだと思わないか?」
「誹謗中傷に反応するのは、たぶんあまり賢いことではないし、(周りから見て)不快なことかもしれない。おそらく非難には単純に“water off a duck’s back(『カエルの面に小便』の意)”型の態度をとるべきなのかもね。それか、いっそのことキレまくって、暴言吐いたマザーファッカーどもを見つけ出して、砂ん中に首まで埋めてからロバに小便をひっかけさせるべきなのかな。うん、そうだ、それが一番おもしろそうだな」
| 2001年3月23日 |
新アルバムへのプレッシャーについて |
「俺にできることっていったら、音楽を作ることぐらいしかないんだ。だから、家にいるときはずっと音楽のことを考えてる。次のアルバム作りに関しては、ある程度はプレッシャーはあると思うよ。そんなに大げさに言うほどではないけどね。自分にとっての本当の大きなプレッシャーは、単に良いアルバムを作るってことにある。自分ですごく気に入ってて、でも売れなかったっていうレコードを作るほうが、自分では気に入らないけど大ヒットしたっていうレコードを作るより、いいからね。だから、俺が次のアルバムでやりたいことは、自分が気に入るものを作る努力するってことだけだね」
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■本名:Richard Melville Hall。
■’65年ニューヨーク生まれのDJ、アーティスト、クリスチャン、菜食主義者、哲学科卒・・・現在もニューヨークに拠点を置いて活動中
■小説「白鯨(Moby Dick)」の作者であるハーマン・メルヴィルを曾々大叔父に持つことからMobyというニックネームを得る
■10歳の頃からクラシックの音楽教育を受け、ギター、キーボードなどの演奏を始める
■’90年頃からInstinct Danceというユニットで活動、XL RecordingsからUHF名義でシングルをリリース
■’91年には映画「ツイン・ピークス」をサンプリングした「Go」がクラブ・ヒット
■Prodigy「Charley」や、Orbital「Speed Freak」などのリミックスを手がけ、ハードコア・テクノ~レイヴ・シーンで最も重要なアーティストの1人となる
■’92年には1stアルバム『Moby』をリリース。 「Next Is the E」「Thousand」などがクラブ・チャートでヒット
■Erasure「Chorus」「Am I Right?」、Opus III 「I Talk To The Wind」、Brian Eno「Fractal Zoom」などのメジャー作品のリミックスも手がけ、Voodoo Childなどの名義を使い分けながらよりハードなブレイクビーツ・テクノを多く手がけるなど、活動の幅を大きく広げる
■’95年に『Everything Is Wrong』をリリースし、ロラパルーザ・ツアーに同行した頃から、本国アメリカで注目を受け始める
■ ’96年にリリースした『Animal Rights』ではさらにロックに接近。ロラパルーザ・ツアーの縁でSmashing PumpkinsやMetallicaなどのリミックスまで手がけたほか、John Lydon(元Sex Pistols~P.I.L)のアルバム『Psycho Path』を全面プロデュースして話題となる
■’97年にはアルバム『I Like Score』をリリースし、このアルバムからのシングル「James Bond Theme」をクラブ・ヒットさせたことで、再びクラブ・シーンに復帰
■ ’99年にリリースしたアルバム『Play』は全世界で900万枚という大ヒットを記録し、今やテクノという枠を超えて活動するアーティストとなっている
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