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エレクトロニックミュージックの開拓者Orbitalは、変化の激しいテクノ/ダンスのジャンルで、独創性と音楽性のひときわ高い革新的なユニットとして注目される。作曲やサンプリング、レコーディング、ライヴパフォーマンスに斬新な手法で臨む彼らは、絶え間なく(しかも急速に)進化するこの分野の音楽を常にリードし、平均的なテクノバンドのファンをはるかに上回る数のオーディエンスを獲得してきた。エレクトロニックミュージックは、彼らの活躍に後押しされてメインストリームに食い込んだといってもいい。

Orbitalはイギリス南部で、Phil & Paul Hartnoll兄弟のベッドルームからスタートした(バンド名はロンドンのM25 Orbital Motorwayにちなむ。都心を迂回する外環道路で、レイヴァーたちはアシッドハウスのパーティーを探しながらこのハイウェイを流す)。

''80年代初期のエレクトロやヒップホップ、ハードコアパンクに入れ込んだ兄のPhilが、自宅に簡単なスタジオを作り、弟と共に録音した“Chime”で''89年にインディーズデビュー。パルスと直感を武器にしたこのシングルが、たちまちレイヴの名曲ともてはやされ、彼らはLondon/ffrr Recordsとメジャー契約。“Chime”は''90年になって再リリースされる。

''91年にバンド名をタイトルにした正式なデビューアルバム(“green album”と呼ばれる)、''92年には同じくバンド名をタイトルにした2nd(“brown album”と呼ばれる)をリリース。この2枚はアシッドハウスに独占されていたミュージックシーンに斬り込み、一筋縄ではいかない挑戦的なダンスナンバーを作り上げるOrbitalの才能を実証した。

彼らが成功した(そしてテクノがメインストリームに受け入れられた)もう1つの要因は、ライヴパフォーマンスにあった。山のように積み上げた機材の向こうに、2人のメンバーがいるだけのシンプルなステージだったが、彼らはライヴでかなり即興的なアプローチをとった。たいていのバンドがありきたりなループやDATドライヴの装置に甘んじていたのに対し、彼らはその場でミキシングをし、サンプルやシーケンサーをマニュアルで操作したのだ。

このため、たとえテクノとはいえ、Grateful Deadのようなバンドと同様、演奏するたびに内容は違ったものになる。今でこそChemical Brothersなどのエレクトロニックバンドがこの手法をとるようになったが、当時は珍しかった。また、Hartnoll兄弟はリミキサーとしても引く手あまたで、Yellow Magic Orchestra、EMF、Drum Clubから、Queen LatifahやMadonnaのプロジェクトにまで携わっている。

こうしてダンス/エレクトロニック界の重鎮となった0rbitalだが、それでもまだ飽き足らず、''94年の3rdアルバム『Snivilization』では、マイクを排水管に突っ込んでリズムトラック用の水滴の音を録音するといったサンプリング上のテクニックを用い、幾層にも重なったサウンドスケープを構築した。

''96年には4thアルバム『In Sides』を発表。これに先立って発売された28分におよぶシングル“The Box”は、まさに“エレクトロニックシンフォニー”と呼ぶにふさわしく、John Barry風の映画音楽を愛してやまない2人の趣味がよく表れている。

マシンを駆使しつつ、メカニカルな冷たい音にはならない音楽を作るOrbitalの能力は、欧米で常に絶賛を浴びてきた(イギリス国内では多数の音楽賞を受賞)。ライヴへの取り組み方とツアーへの意欲が、彼らの信頼性をさらに高めている(中でも''96年、Glastonbury Festival出演と、ロンドンのRoyal Albert Hallで行なったユニークなショウは見ものだった)。またOrbitalは、''97年夏に映画『Event Horizon』のサウンドトラックも手がけた。