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平らな二次元の世界から抜け出したマンガのキャラクター集団Gorillazは、陽光が揺らめくようなシングル「Clint Eastwood」がゴキゲンな夏のヒット曲として急上昇中だ。まるでChipmunks、The Archies、Josie & the Pussycatsの新ミレニアムにおける生まれ変わり、あるいはEddie Murphyが声を担当した映画『Shrek/シェラック』のドンキーと並んで、アメリカがお気に入りのいちばん新しい“歌うマンガ”としてもてはやされている。だがGorillazは、Walt DisneyやHanna & Barberaのセルロイド・ドリームに登場する暖かでふわふわした子供向けキャラクターでは、全然ない。Jessica Rabbitと違って彼らは本当に悪いヤツらで、そのような形にはまったく描かれていないのだ。
まず世をすねたろくでなしのバンドリーダーMurdocは、緑の肌ともっと緑の歯を持つ“マジでむかつくイヤな奴”。それからモップ頭でうつろな目をしたフロントマンの2Dは“激しい脳の損傷に苦しむ美少年シンガー”で、ギタリストのNoodleはバンドのオーディションに自分自身を巧みにフェデラルエクスプレス便で送り付けてきた「謎だらけな10歳の日本人少女」なのだ。ラインナップを締めくくるのドラマーでMCのRusselはアメリカのギャングスターで、子供の頃に「エクソシスト」型の悪魔に取り憑かれたために、死んだミュージシャンの霊(ときにはDel Tha Funkee Homosapienなどの生きているものも)を招きだす素晴らしい(呪われた)特殊な能力に恵まれている。
言うまでもないが、当面のところGorillazに関して土曜の朝のテレビやアクションフィギュアのセット、セヴンイレヴンによるコレクター向け限定版の特大カップが登場する見込みはない。
そしてGorillazとの対面インタヴューも期待できそうにない。残念ながら隠遁中のバンドメンバーは今日もLAUNCHには来てくれなかったが、怠慢とも思える彼らの不在は決して彼ら自身の責任ではないのだ。彼らがストーリーボードの世界から我々の世界へとやってくるために必要な技術が、まだ開発されていないのである。
「彼らはそのテクノロジーが実現する前に、音楽シーンへと登場してしまったのさ」と説明するのは、このヴァーチャルグループのスポークスマン兼ミステリアスなコラボレーターのひとりであるBlurのDamon Albarnだ。彼はGorillazのもうひとりの人間界への大使で、『Tank Girl』のクリエイターJamie Hewittとともに、アニメーションのバンドを代弁するために我々のところに来てくれたのだ。
「本当は僕たちじゃなくて彼らが来るべきなんだけど、来れるようになるまでは僕らが橋渡しをしようと思ってね」
「やりたいことを実現してくれるテクノロジーが存在しないので、とりあえずは僕たちが穴埋めしなくちゃいけないのさ。でも、彼らのメッセージを広めたかったから、当面Gorillazの人間大使をやることにしたんだ」とJamieは強調する。「そのうち彼ら自身が登場することもあるだろう。そうなればいいけど」
それではGorillaz、とくに悪魔主義者(「というよりも異教崇拝者だね、僕に言わせれば」とJamieは訂正する)であると自己申告し、一度は意図的にDamonを挑発して制止命令を出させたほどのスター気取りで頭でっかちのコントロールフリークであるMurdocは、マンガ作家とブリットポップの色男がプレス・インタヴューで彼らを代弁することを意に介していないのだろうか?
「実際のところは嫌がっているよ!」と笑うJamie。Damonも肩をすくめて言う。「そうだね、連中はそんなに喜んではいないさ。でも、今のところ他のチョイスがないんだよ」
ロンドンのLeicester Squareで有望なバンドを“発掘した”と主張するDamonとJamieは、Gorillazの音楽と神話についてもったいぶって(しかも真顔で)語っているため、彼らが単なるマンガのバンドであり、ウケ狙いのアーティストで、ずうずうしいサイドプロジェクトであるという事実を驚くほど簡単に忘れさせてくれる。そうではないだろうか?
「これは単にギミックに満ちたマンガじゃないよ。連中は他のどんなバンドよりもリアルなんだ」とDamonは力説する。「ある意味では現実の存在よりもずっと正直だ。だって有名人やポップスターは自分たちの私生活について、しょっちゅう嘘をつかなくちゃならないからね」
「Gorillazはポップスターになるように育てられたんだ。それが彼らの仕事さ。基本的に連中は私生活を楽しむためじゃなくて、ポップスターになるためにこの地上にやってきたんだよ」とはJamieの弁。「彼らは仕事に専念しているんだ」
それでは、この仕事熱心な若いバンドのオフィシャルなバイオグラフィを紹介しよう。自称Svengaliでグループいちのスピード狂であるMurdocは、車の運転中にロンドンのオルガンショップのウィンドウに突っ込んで、そこで働いていたStu-Pot(文字どおり“シチュー鍋”)という名の若者にぶつけてしまった。そのせいで哀れなStuは昏睡状態に陥り、Murdocはこの凶悪犯罪に対する地域奉仕の刑として、回復不能な脳の損傷を受けた少年の保護者になることを命じられる。まもなく、やけになってNottinghamのTescoの駐車場を女の子にひけらかすように走っていたMurdocは再び事故を起こしコンクリート柱に激突、後部座席で植物のようにぼんやりと横たわっていた昏睡中のStu-Potは不運にも風防ガラスからまっしぐらに投げ出されてしまった。
この再び脳を損傷する災難のおかげで、Stuは幸運にも昏睡状態から目を覚ましたのである(だが彼が自身の能力のコントロールを完全に取り戻したというのは過大な誇張だろう)。そこでMurdocは、裁判所に指名された若き弟子と新しいバンドをスタートさせれば極めてクールだと決断し、彼に“2D”というずっときらびやかな芸名を与えて再洗礼したのだった。後にMurdocと2Dはソーホーのラップ専門レコード店を襲撃し、そこで働いていたRusselと知り合う。最後に、彼らの“ギタリスト募集”の広告に応えて謎めいた登場を果たしたのがNoodleだ。フェデラルエクスプレスのボックスから飛び出したときの彼女は、極秘裏に追放された4人目のPowerpuff Girlのようないでたちで、カンフーのポーズを決めてレスポール型ギターを振り回して見せた。こうしてGorillazが誕生したのだ。もちろん、これは「Behind The Music」あるいは「E! True Hollywood Stories」からそのまま取り出してきたような古典的なバンド・ストーリーである。
たしかに、これはちょっとやり過ぎだったかもしれない。だが、Gorillazの“事実としてのフィクション”的な幻想を(DamonとJamieのものおじすることのない断固たる熱意とともに)よりいっそう育て上げているのは、ポップミュージックの現状なのだ。結局のところJamieが直ちに指摘したように、Marilyn MansonやEminemといった並外れたロックスターは「いずれにしてもマンガのキャラクターみたいなもの」である。それに「Making The Band」や「Popstars」からは非常に一次元的なティーングループが大量に生産されているため、二次元のGorillazがまるでBeatles(少なくともRutles)のように信じられると思えてくるのだ。それでは、Gorillazとはこうしたポップス界に蔓延するプレハブ構造に対するリアクション、あるいは社会的な意思表明なのだろうか?
「作られたバンドはたくさんいるけど、どれもひどい作られ方をしている。何かを作りあげようとするのなら、どうして適切なやり方で作らないんだろうって僕らは考えただけさ」とJamie。
「もっと伝統的なやり方で進めたほうがずっと簡単だったろうけど、僕らは自分たちが属しているポピュラー文化の世界について何かを変えようとしているんだ。だって、僕らはその現状に満足できないからね」。DamonはGorillaz Manifesto(Gorillaz宣言)の朗読に突入しそうな勢いで話す。「今の状況には人々を非常にネガティヴな方向へと導きかねない、ちょっと邪悪な側面がある。それこそが僕らがこのプロジェクトに取り組んでいる目的なんだ」
邪悪な側面? このようなマンガのスーパーフレンズが、いったいどのような言葉にできない悪からポップス界の住民を救おうとやってきたのだろうか?
「知性の欠如とある種の失語症が助長されている」とDamonは嘆く。「ポップミュージックは、ヒップホップ、へヴィメタル、単にストレートアヘッドなポップスなどの形態に関係なく、一般的になるにつれて言葉を失い始めて、魂をなくしてしまう。世界感を提示することを忘れてしまうんだよ」
Gorillazの音楽は世俗的なところがいちばんの特徴である。ヒップホップ、メタル、ポップのみならずパンク、ファンク、トリップホップ、熱いバターを塗ったソウル、腰を揺さぶるディスコ、Beasties/Beckスタイルのインディーロック、U.K.ガラージュ、U.S.エレクトロ、ジャマイカのダブとレゲエ、そして活きのいいラテンリズムと多彩で、自身が想像上の単語で“ゾンビ・ヒップホップ”と呼ぶファットでファンキー、かつフレッシュな“オールドスクールとニュースクールの出会い”的なサウンドを作り出したのだ。
もちろん、Gorillazの同名デビューアルバムでの国際的なフレイヴァーの大半は、キューバのコンボ、Buena Vista Social ClubのIbrahim Ferrer、東西共演デュオであるCibo MattoのMiho Hatori(Noodleの別人格)、西海岸のラップマスターDel Tha Funkee Homosapien(Russelがテレパシーでチャネリング)、Talking Heads/Tom Tom ClubのChris FrantzとTina Weymouth、カナダのターンテーブル奏者Kid Koala、ジャマイカのダブ伝説Junior Dan、そしてDan “The Automator” Nakamura(Deltron 3030/Dr. Octagon/Jon Spencerのプロデューサー)といった数々のコラボレーターのおかげである。
このようにキラ星のごときスーパーグループがファーストアルバムに結集してしまったため、Gorillazが再びスタジオに入るときには(そう、一般的な認識とは違い、Gorillazは1回限りの企画ではなく続きが予定されている)、これを越えるのに苦労することは間違いないだろう。だが、狡猾なバンドのメンバーは、すでにビッグなアイデアをたくさん抱えている。Murdocは自身のアイドルであるOzzy Osbourneとの共演に対する関心を繰り返し表明しているし、もちろん向こう側の世界とつながることのできるRusselのサイキックな能力によってコラボレーションの可能性が無限に拡がるのだ。
「Russelの頭からは何が飛び出してくるか想像もつかないから、きっとビックリ仰天させられることになるだろうね」。Damonがニヤリと笑って言うと、Jamieも興奮しながら「Russelは亡くなったシンガーの魂を宿すことができるから、Tupac、Elvis、Frank Sinatraなんかとも共演できるんじゃないかと期待しているのさ」と付け加えた。
その一方でアニメーションの弟分とコラボレートすることによって、Damon自身のキャリアと創造性も再活性化されたようだ。
「人生でこれほど楽しんだことはなかったよ。自分が望む相手、本当に自分をインスパイアしてくれる誰とでも共演できるんだからね」と彼は驚嘆して見せた。「音楽を作ること以外に現実の約束事は何にもないから実現できるのさ。これはアンダーグラウンドに留まりながら、同時にメインストリームに浮上できる方法なんだ」
Gorillazのアルバムは英国チャートで3カ月間もトップ10に留まっており、米国でもすでにDamonの“現実のバンド”であるBlurの過去のどのアルバムよりも上位にランクされている。彼らがポップカルチャーにおけるアグレッシヴな戦闘を続行するとしたら、メインストリームへすばやく完全に浸透する、あらゆる種類の画期的なヴァーチャルバンドが登場するための道を切り開くことになるのは間違いないだろう。それは少なくともDamonが期待し、予想している事態でもある。
「数年のうちにこれが基準になると思うから、充分なクォリティを持つ青写真を提示しておきたいと努力したんだ」と彼は明言する。「若者たちはコンピュータで音楽を作るだけじゃなくて、それに付随する驚くほどクレイジーなイメージも制作するようになるだろうね。そしてそれが最終的にはまったく新しい種類のバンド、さらにまったく新しい形のエンタテインメントへと進化していくんだ」
「人々はコンサートへ行かなくなるよ。コンピュータの画面に張り付いて日々を過ごすことになるんだ」。Jamieはそう予言した。
しかし、今のところ人々はコンサートに出掛けているので、DamonとJamieはGorillazが適切なライヴギグを通して大衆に音楽を届ける必要があると考えた。そうして’01年3月のシュールリアルな一夜、Gorillazはロンドンのナイトクラブ「Scala」に姿を現したのである。実際のところMurdoc、2D、Russel、そしてNoodleは実物よりも大きく、当惑する満員の観衆の前にそびえ立つ50フィートのモニターにテクニカラーの画像が投影される一方で、匿名のミュージシャンが観客からは見えないビデオ画面の裏で演奏していたのだった。
「本当はね、実際には観客のほうがスクリーンの影にいたと考えたいんだ」とDamonは想定している。「すべてが裏返しなのさ。そこにバンドがいるにもかかわらず、見ることはできない。ミュージシャンを見ることができないから、誰がそこにいるのかはわからない。Ibrahim Ferrerがいたことも、僕がいたかどうかも誰にもわからないんだ。そこにはミステリーの感覚が存在するのさ」
驚くべきことに「Scala」のオーディエンスの大半は、Damonと有名人の共謀者たちがスーパースターのアイデンティティをずっと隠し続ける計画だということを受け入れているようであった。
「中には“正体を現せ!”と叫び続ける人たちもいたけどね」とJamie。「だけどほとんどの人たちは僕らの企みに乗ってくれたよ」
どういうわけかGorillazは不可能を可能にし、二次元と三次元の間の境界線をさらにあいまいな(別にblurに引っ掛けてるわけではない)ものにしたが、これはすべてがどういうわけかうまく機能した結果である。
実際に今のところGorillazが行なってきたことはほとんどすべて、三次元世界に住む否定論者が決して予測できなかったような驚くほどの形で機能してきた。
「この調子が続くとしたら、向こう1年くらいの間にコンサートを実施して4人のキャラクターをステージに上げ、屋根裏に潜んだスタッフがボタンの並んだ大きな装置で彼らを操ることも可能になるだろう」。Jamieは野心たっぷりに企みを語る。
「これがうまくいっているという事実は、さらに前向きにプッシュする必要があるということを意味している。英国だけでも100万枚近くのシングルを売上げたし、ヨーロッパでもいたるところでチャートのトップに立っているんだ。誇張するわけじゃないけど、今のところすべてがうまく機能している」
さらに彼は信じられない様子で付け加えた。「12歳の子供たちがGorillazに合わせて運動場を飛び回ったり、ダブやレゲエにはまったりしてるんだよ。WestlifeやBritney Spearsじゃなくってね!」
子供といえば、Damon自身の2歳になる娘はどうなのだろう? 彼女もBritney陣営のティーン向けポップスよりもGorillazのほうを気に入っているのだろうか。どうやらそのようだ。というのも彼女にとって、マンガの世界と現実世界の境界線は極めてあいまいなものだから。Damonは笑顔を浮かべながら言った。
「彼女は2Dを見るたびに、あれは僕だと思ってるよ」
By Lyndsey Parker/LAUNCH.com |