欧米人の目から観たフジロックの真実
欧米人の目から観たフジロックの真実 |
フジロックフェスティヴァル'00 in 苗場スキー場 by Dave DiMartino(LAUNCH.COM) |
私は長年ロックフェスティヴァルについて廻っていて、いまだに足を洗えないでいる。こまかい話をしてもしかたないが、私が初めて行ったフェスティヴァルにはJimi Hendrixが出演していた。もはや30年以上前の出来事だ。 そういう人間として正直に言わせてもらうと、もはや私は、またひとつロックフェスティヴァルに行くことが決まっても、楽しくてそわそわするというようなことはない。むしろ、よくある問題が脳裏をよぎる。 暖房:ナシ 食料:見当たらず 飲料:同様 そして昔ながらの不便なトイレ、貧弱な寝具…。 そもそも主催者たちは、ロックフェスティヴァルの魅力を中途半端なままにしておきたいのだろうか。もし彼らが事態を改善しようと思っているならば(そのつもりがすこしでもあるのなら)、 1)バカを出演させない 2)ひとが行きたくなる場所で開催する を両方実行するしかないはずなのだが。 The Fuji Rock Festivalは、この2点をともに満たしていると私は思う。 このフェスティヴァルは年に1度日本で開催されているもので(今年の会場は苗場だった)、例年世界中のアーティストのライヴが目白押しである。とくに、今年の出演者の顔ぶれは壮観だった。アメリカ合衆国以外の世界は、アメリカで大流行している一連の気の抜けたバンドに、まだ完全には骨抜きにされていないということなのだろう。要するに会場には、Limp Bizkitもどきのバンドやアタマのわるいラッパーたちの姿はなかったし、ドレッドヘアーの“ボーイバンド”さえ1組も見かけなかったのである。 The Fuji festの会場は、贅沢な場所にあった。会場の脇にある苗場プリンスは、冬季にはスキーリゾートとして賑わうホテルである。5か所に散在するステージの運営は、よく行き届いていた。それはくたびれはてたアメリカ人旅行者にとって思ってもみないロックフェスティヴァルだった。 さらに観客たちが、アメリカでコンサートに来る人々の多くと対極的だった。彼らは行儀よく、身なりは清潔で、観客自らが会場を掃除したり、ゴミの分別回収を行っていた。タバコの吸殻などは、首から鎖でぶら下げた携帯灰皿“ネックレス”に溜めこんでいたくらいである。 そんなわけで、はっきり言って私は、Henry Rollinsのカビ臭いステージなんかより、観客を見ているほうが楽しかったくらいである。 しかし、それより大切なのは、世界中の最高級のアーティストが大量に集結して、この3日間のフェスティヴァルで演奏することである。 たとえば、Primal Scream、Elastica、 A Perfect Circle、そして文句なく素晴らしいThee Michelle Gun Elephant(このバンドの詳しい話はまたあとで)。残念ながら、出演するバンドやDJ、ソロアーティストの総数は、私が数えたところ100組近かった。つまり、私が見ることができる数より見逃す数のほうが多くなりそうだったのである。しかし、私はできるだけいろいろなアーティストを観ようと最善を尽くした。 以下は、1日ごとの報告である。 1日目■2000年7月28日金曜日 フェスティヴァルの開幕に、1)どしゃ降りの雨、2)攻撃的な甲高い声で歌う大音量のFishboneほどうってつけの組み合わせがあるだろうか。 実は、Fishboneは私のお気に入りのバンドというわけではない。それにこのとき私は前夜の、まあその、美酒との遭遇のせいで気分が悪かったのだが、Fishboneはずぶ濡れになった私の頭がなんとか持ち直す以上のエネルギーを放っていた。 だから、ここはもういい。私はメインステージ(グリーンステージという名前だった)を離れて、小さいホワイトステージへ向かった。 そこで目にした若い女性3人組Yellow Machine Gunは、パンク指向の楽しめるバンドで(名前から分かるように日本人である)、ヴォーカリストの魅力的なうなり声が会場に轟いていた。彼女の歌声は、喋り声より少なくとも2オクターヴは低く、Black Sabbathのいまなお素晴らしい「Iron Man」を思い出させた。音は大きく、速く、とてもおかしかった。 次に登場したのは、私がこのフェスティヴァルでもっとも見たかったバンドのひとつ、多国籍の3人組Placeboである(実際には、名前の出ていない4人目のメンバーが陰でアシストしていたが)。 最新シングル「Taste In Men」を含む彼らのライヴは、張りつめていてエネルギッシュで、大いに観客に支持されていた。バイセクシュアルのリードヴォーカルBrian Molkoは、最近数年間にポップ界に現れた素晴らしいフロントマンのひとりであり、私は彼らのニューアルバムが待ちきれないでいる。 続いてソロ歌手のElliott Smithが、フルバンドを率いて味のあるステージを見せた。このバンドは最後には、偉大なポップ界の伝説Emitt Rhodesや後期のLeft Bankeのようなびっくりする音を出していたが、これは私の趣味で言うとまったく悪くはない。しかし、観客はおとなしく聴いていたものの、舞台上には動きがなくて見ていて退屈だった(コンサートではそういうことがつきものだ)。 そこで、なにか見て楽しいものはないかと、私は双眼鏡で客席にいる日本の若い女のコたちを眺めていた。彼女たちは“乳飼料育成”という文字のTシャツを着ていたり、英語を話す人間だけが事態を呑みこんでいる4文字言葉をかわいいネックレスにぶらさげたりしていた。明らかに、ここはパサディナではなかった。 そろそろ、この日の締めが近づいていた。予定表はまだ途切れていなかった(この日は夜遅くまで数組のDJがプレイすることになっていて、そのなかには私の好きなFantastic Plastic Machineがいた)のだが、もはや体力の限界であった。最後に見たのは、じつに平凡なFoo Fightersだった。 多くの人々は、彼らを見ようと待っていた。私は、彼らが舞台から出て行くのを待っていた。理想を言えば、彼らは舞台を降りてそのまま作曲と歌のレッスンを受けに行くのがいいと思った。Foo Fightersのフロントマンで元NirvanaのドラマーDave Grohlには、その両方のレッスンが絶対に必要である。 疑問その1:いったいだれかどうやってこのバンドを退屈という以外に考えているのか。 疑問その2:苗場プリンスホテルのバーは何時まで営業しているのか。 2日目■2000年7月29日土曜日 The Fuji festの2日目は、途中Ozomatliが登場して以後、国際的な雰囲気に染まった。L.A.を活動拠点とする彼らは、考えうるすべての音楽ジャンルを混ぜ合わせて、納得のいくポップス、しかも踊れるポップスを作り上げていた。彼らのステージは上出来で、観客の支持も高かった。もし私が責任者ならば、彼らをこの日のオープニングに持って来ただろう。 しかし、話はうまく運ばない。彼らは先述のHenry Rollinsの300万倍素晴らしかったのに、彼らの次に登場したのがそのRollins当人であった。彼はなぜかシャツを着て来るのを忘れたようで、有名なタトゥーと屈強な首がよく見えた。 私は思うのだが、彼はDave Grohlとバンドを組んだらどうだろう。そして何年か、無人の飛行機格納庫で練習していればいい。Rollinsはほとんどの曲で「おれ」「おまえ」「この未来は追求する価値があるはず」などと政治的対立を歌っていた。そうでないときに聞いてみると、バンドの演奏は悪くはなかったが、そのことが分かるのは、わずかなあいだだけであった。 このライヴのハイライトは、彼らが分不相応にもPink Fairiesの永遠の名曲「Do It」をカヴァーしたときであったが、残念ながらこの曲もまたHenry本人が(外交辞令的に控えめに言って)ぶち壊しにしていた。 それとはっきり対照的だったのが、それまで聞いたことのなかったthe Animalhouseである。彼らは惜しくも解散したイギリスのRideの流れを汲んでいて、演奏も歌も曲もいまなおはっきり思い出せるくらい素晴らしかった。彼らを見るまえに、少なくとも1回はアルバムを聴いておきたかった。いや、いまからでも、彼らのアルバムを聴いてみたい。それは大きな一歩になっていることだろう。 次に現れたのは、Sonic Youthである。47年間におよぶ彼らの活動歴のなかで、いまでも聴く価値のあるアルバムは1枚だけで、それもずいぶん昔のものである。フィードバックを多用してたえまなくそれで“遊ぶ”手法はこのバンドの忌々しい発明であった、と言えればいいのだが、私は本当に嘘が嫌いなのである。彼らは音楽の趣味がいいし、素晴らしいレコードコレクターであることは間違いない。私の好きなThurstonは、Sonic YouthのThurston MooreではなくTVドラマ『Gilligan's Island』の億万長者Thurstonなのだが、それはまあどうでもいい。 公平に言おう。私たちは、彼らが舞台にほどよい時間出ていてくれたことに感謝しなければならない。観客のなかには、トイレに行こうか、タバコを吸いに行こうか、あるいは両方に行こうかと迷いつつも、なにかを“見逃す”のを恐れていたひとが大勢いたのである。そういうことだ。 しかし次には、大いに期待できるライヴが控えていた。Johnny Marr's Faith Healersである。私はこれまでずっとThe Smithsを支持してきたし、MarrがThe Smiths以外でやってきたこともたいていは評価している。しかし、事実から目を逸らすわけにはいかない。 事実その1:このバンドにはフロントマンがいて、それはJohnny Marrである。 事実その2:Johnny Marrはそもそもフロントマンではない。 たしかに彼の歌声はしっかりしていたし、ギターはいつもどおりに完璧だったが、舞台上の彼はすっかり緊張して自意識過剰で、どこか震えているようでもあった。それは、自分の好きなアーティストが舞台に立っているのを見ているとき、たとえ想像するだけでも嫌になるような姿だった。 ライヴの途中、私には名案がひらめいた…MarrはもういちどMorrisseyと組んで、The Smithsを再結成するのはどうだろう? え、そんなことは分かってる? 不思議なことに、Marrはアンコールに応えて舞台に戻ってきた。もう1曲とせがむ観客に、彼はテレパシー以外の方法で応えることはできなかったのだが。 レッドマーキーに移動すると(この忙しいフェスティヴァルの新たな色名付きステージである)、フェスティヴァル全体の究極のハイライトとおぼしき素晴らしいライヴに出くわした。
私はいつしか(思ってもみなかったのだが)、Mogwaiはその2つのバンドより優れているのではないかと考えはじめていた。Mogwaiは大きくて華があり、そのあたりにいるだれと比べても際立っていた。彼らは、見る者をすべて納得させるものを持っていた。 今後彼らのレコードが大量に売れるかどうかは、もちろん問題ではない。そんな話題は、場違いというものである。 この日グリーンステージの最後を飾ったのは、攻撃的で素晴らしいThee Michelle Gun Elephantであった。 彼らは、私が日本で見たなかで最良の日本人バンドだった。というより、どこであれ私が見たなかで最良の日本人バンドだった。なじみのあるRamones風のノンストップでエネルギッシュな熱狂のなか、彼らは力強く正確な演奏で、ユーモアさえ交えながら次々に曲を繰り出した。Henry RollinsやSonic Youthに欠けていたものが、そこにはすべてあった。 3日目■2000年7月30日日曜日 最終日はEve 6に期待していたが、彼らのライヴは中止になったようだった。そこでこの日はまず、ロック人間が集まったというZebraheadを観に行くことにした。 彼らのライヴはなかなかのものであった。彼らは楽しい集団で、Kornの攻撃的な不快音とBlink182のトイレのユーモアの中間でバランスの取れる地点を見出していた。近い将来、彼らはミリオンセラーを放つことになるのだろう。 それにしても、アメリカからやって来たアーティストが観客に語りかけているようすは、いつ聞いてもおかしかった。自分たちの言葉をひとことでも理解できる観客がひとりでもいるのかどうか、彼らはさっぱり確信が持てなかったのである。 その後、急いでホワイトステージへ向かうと、すでにBuffalo Daughterのステージが始まっていた。カッコよくて聴きやすいこのグループは、私の好きな日本人バンドのひとつで、いつものように彼女たちは猫が鳴くような声で歌っていた。ちゃんとしたプロモーションや宣伝を行えば、彼女たちはアメリカ合衆国で大きな仕事ができるのではないかと私は思う。だれでも思うのであろうが。 A Perfect Circleは、こういうときに見ないでいつ見るのか。ただしこちらは、紙に描く円ではなくて現実のバンドである。グリーンステージに戻ってみると、彼らのライヴは予想外に熱かった。今回参加していたリードシンガー“Maynard from Tool”が、ポスターなどで見たとおり絶望的に“ヘンな”姿だったにもかかわらず、である。金髪のウィッグを着けたMaynardは、Dee Sniderの出来そこないの弟のようであった。彼は、Henry Rollinsに倣ってシャツを着ていなかった。背中に入れた派手な背骨のタトゥーを彼は見せびらかしていたが、「おいおい、こいつ60歳になったらどうするんだろう」と思ったひとはあまりいなかったようだ。しかし、おそらく数人の日本人観客は私と同時にそう思ったはずである。 彼らのライヴのクライマックスは、Maynardが挑発的に金髪のズラを脱だ瞬間であった。彼は完全に剃り上げた丸坊主だったのである。これに似た衝撃を探すなら、いまから30年近く前、イギリスの“ニューロックシアター”全盛期に、アートロックを標榜したGenesisのコンサートでPeter Gabrielが巨大な花のかぶりものを着て歌ったことであろう。あれをGenesisの詐欺行為と言っているのは、いまでも皮肉屋だけである。カッコいい! 詐欺といえば、みんなが好きなWireをカヴァーしているElasticaについても触れておかねばなるまい。よし、行こうか、Elastica。 がっかりするくらい退屈で、リードシンガーJustine Frischmannは狙いも音程も外しがち。ひいきめに見て2流バンド。見どころは、Wireの「12 X U」をカヴァーしているときだけだが、Elastica自身の書いた曲がどれも足元にも及ばないことを考えると、よくこの曲をカヴァーしたものだと唖然とする。もし私がFrischmannの元恋人BlurのDamon Albarnに関心があったならば、ある意味で彼女が歌っている内容がもうすこし気になるのだろうが、残念ながら私には興味がない。みなさんはいかがかな? 急いでレッドマーキーへ移動すると、the Fuji festのもうひとつのハイライトが待ちうけていた。ウェールズのバンドSuper Furry Animalsの素晴らしいライヴである。 風格の漂う彼らは、ウェールズ色の濃い最新アルバムの収録曲を演奏していた。美しいアレンジ、繊細で独創的な楽曲。彼らは、この日出演料に見合う仕事をしたバンドが見せたあらゆる長所を備えていた。世界はウェールズ音楽のアルバムを求めていて、それをリリースするミュージシャンは何百万人もいる。しかしsuper(一段上)でfurry(毛が逆立つよう)な魅力のあるこのバンドは、そういった有象無象のひとつではないのである! 続いてグリーンステージに、元Stone RosesのリードシンガーIan Brownが登場した。Brownは、インド人パーカッショニストを起用して最新ソロアルバムの曲を取り上げていた。一風変わったライヴだったが、なかなか楽しめた。観客のなかには、少なくともひとり、こんなことを考えていた男がいたようだ。 「あれ、もしおれがこのライヴ評を書くことになったら、“Brownのヴォーカルスタイルは'70年代のイギリス人アーティストMike Huggに似ている。Huggっていうのは、みんな忘れてるだろうが、Manfred Mannのキーボーディストで『Chapter Three』ではヴォーカリストだったのである”とか言うのか。まさか」と。また、こんなことを考えていた観客もいた模様である。「おかしいな。Stone RosesでスーパースターだったBrownが、なんで(少なくとも理論的には)元同僚のベーシストがやってるバンドの前座を務めてるんだ」と。
これまでの全活動を踏まえた高みに立って素晴らしいアルバムを出したPrimal Screamは、たっぷりの持ち時間のあいだ全力のライヴを行っていた。大胆なタイトルの『Swastika Eyes』収録曲のほか、(いまや彼らが取り上げる宿命だったとしか思えない)MC5の“Kick Out The Jams”のカヴァーなどで、彼らは見ている者たちを圧倒した。 3日間のフェスティヴァルの最後にふさわしいクライマックスに恵まれて(それがPrimal Screamのライヴだったのか、その直後に私が食べたディナーだったのかはともかく)、私は、たとえば宇宙に行ってもそうは思わないであろうくらい、この北太平洋に浮かぶ島のリゾート地にやって来てよかったと思った。だいいち、宇宙には酸素がなくて死ぬおそれがある。 The Fuji fest、これに優るものはめったになかった。そしてエコロジー的にも、これよりクリーンだったものはほとんどなかったはずである! Dave DiMartino |
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